Fly Me to the Moon(2)
文字数 3,237文字
「正気かいスズランくん?」
ビーナスベリー工房タキア支社。その応接室。計画内容を聞いた三つ子の長女ムラサはソファーにもたれかかったまま呆れたように眉をひそめる。
直後、頭を平手で引っ叩かれた。
「不敬者」
姉にして支社長のマドカである。相変わらずボーイッシュな短い髪を手櫛で整え、唇を尖らせるムラサ。
「ボクは友達だからいいんだってば」
「そうそう、マドカ姉は硬いんだよ」
追従するシキブ。すかさず、もう一度平手が繰り出される。
「ここでは支社長と呼びなさい」
再び弟妹を叱るマドカ。無事なのは黙っていたサキだけ。
そのサキ、二十歳を過ぎてすっかり背が伸び、同時に髪も伸ばして三つ子の姉弟と差別化を図った女性はしとやかに訊ねる。
「スズランさんのお力なら、月へも簡単に行けますよね? そうなさらないということは、何かお考えが?」
「考えというほどのことでもないのです」
同じく成長して彼女達とほとんど変わらない目線になったスズランは、苦笑を浮かべて回答する。別に深く考慮して始めたことではない。単なる思い付き。
「ただ、皆さんには興味を示していただけると思いまして。今この世界の技術でどこまでやれるのか、確かめてみたくありません?」
「それは──」
「もちろん、やってみたいよ!」
「相変わらず面白い話を持ち込んでくれるね」
サキを押しのけて身を乗り出すムラサとシキブ。技術者集団のビーナスベリー工房ならそう答えてくれると思っていた。
もちろんマドカにも確認する。
「どうでしょう?」
「スズラン様のご意思とあらば、無論従います。社長の許可も下りていますし」
当たり前のことだが、スズランは先にオサカにあるビーナスベリー工房の本社にも顔を出して話をつけてきた。なので計画へのゴーサイン自体はすでに出ている。支社には実際の作業に当たる者達への挨拶に伺っただけ。
いや、もう一つ重要な仕事が残っている。それは──
「では、しばらくの間ショウブのこともお願いいたします。訓練は、このメニュー通りに。ショウブ、お姉さん達にご挨拶して」
「よろしくおねがいします!」
事前の練習通り、大きな声で挨拶するショウブ。その姿を見たマドカは口の端から涎を垂らした。
「か、かわいいいいいいいいいいいいいっ!」
「マドカさん」
「はっ!? す、すすすすすみません! スズラン様の弟君に対しご無礼を」
「節度さえ保ってくれれば構いませんが、あくまで節度を保ってくれたらの話ですからね。いいですね?」
「はい」
プレッシャーをかけられて青ざめるマドカ。彼女は無類の少年好きなのだ。そんな彼女の元に大事な弟を預けるわけだから、しっかり釘を刺しておかなくてはならない。それがもう一つの大事な用件。
まあ、実際のところそんなに心配していない。三つ子もいるから大丈夫だろう。三つ子は三つ子でショウブに悪影響を与えないか心配な面はあるものの、そちらはマドカが阻止してくれるはずである。
話がまとまったところでスズランは立ち上がり、ソファーに座らせたままの弟の目の前で屈みこんだ。目線の高さを合わせて最終確認。
「それじゃあ、お姉ちゃんは行くけど、本当に大丈夫? しばらく村には帰れないわよ」
「かえっちゃだめ……?」
「一週間に一回。それ以外はここで訓練。そういう約束でしょう?」
「うん……」
不安そうな顔。心が痛む。
けれど、この子の願いを叶えるためには必要なことだ。甘やかしてばかりではいけない。成長も促さなくては。
「お姉ちゃんは何日かしたら戻って来る。お母さん達も暇を見て会いには来てくれるから安心しなさい。宇宙飛行士の訓練、がんばるのよ」
「うん」
「お土産も持って来るからね」
「うん」
ああ、名残惜しい。惜しいけれど未練を断ち切りタキア支社から去った。次は北の大陸まで行かなければ。
北、西、南、東の順番で回って今回の計画への協力者を募る。人間だけでは成し得ない。まだこの世界の文明はそこまで発展していない。
自分の中のマリアの知識や六柱の能力を借りては駄目だ。そう、甘やかしてばかりではいけない。それは何もショウブに限った話ではない。
この世界で生きる全ての生命にも、もっと成長を促さなければ。
「いつかまた、私はこの世界を去るでしょうしね……」
人として生きると決めた以上、寿命もそれに従う。それまでに出来る限りのことをここでやっておきたい。
ホウキに跨った彼女は、早速北の大陸を目指して飛んだ。
ふと思いついたスズランは直接北の大陸へは渡らず、ホッカイの森の中にある入口から地下遺跡へ入った。
「せっかく復活させたのに一度も使ってなかったものね」
この世界の五つの大陸を繋ぐ巨大地下遺跡。これはマリア・ウィンゲイトだった時代に彼女が自ら建造したものである。
特殊構造世界。彼女達“三柱”がそう呼んでいた世界は全て始原七柱を打倒するための実験場であり、ここではミナ達との戦いに耐えられる戦場を創り出そうとしていた。地下遺跡は実際に戦闘が始まった場合に砦として使うことを想定したもので、当然かなり強固な構造になっている。
ところが約千年前、三柱がこの世界を去った後に発生した大戦。魔王ナデシコと彼女を背後から操っていた二人を打倒するための戦い。その一戦で想定通り要塞として使われた遺跡は甚大な被害を受け、本来の機能の大半を喪失。
現代において全く活用されていなかったのはそのせいである。誰にも直し方がわからず放棄されてしまったのだ。
「界壁強化の結界を維持するためでもあったのでしょうけれどね……」
以前この世界は四大精霊族と呼ばれる各種族を四方の大陸に配置して世界を包む界壁を強化していた。そのため千年近くも大陸間の交流が禁じられていたのだ。遺跡も直そうと思えば直せたはず。そうしなかったのは万が一の可能性を恐れたアイビーらの意志によるものだろう。
「さて、と」
長い階段を下り、さらに長い通路を進んだスズランは一枚の大きな扉の前で足を止めた。現代の技術でも再現できない特殊合金製のそれは製造から千三百年近い時を経てもいまだサビ一つ見当たらない。埃などで薄汚れてはいるが。
「あら?」
床を見て気付いた。最近使われた形跡がある。
「竜族なら空を飛べるからこれは使わないかもと思っていたけれど」
ごく一部に翼の無いドラゴンも存在する。彼等が使用したのかもしれない。
近頃、中央大陸でもドラゴンはよく目撃されている。エルフやドワーフ、ウンディーネといった他の四大精霊族と同じで大半は観光目当て。今のところ大きなトラブルは起きていないと聞く。
「まあ、時間の問題でしょうね」
エルフ、ドワーフ、ウンディーネと違ってドラゴンは姿形も人とは異質。いずれ大きな軋轢が生じてしまうだろう。そうなることが自然の摂理。それを解決しておくことも今の彼女の目標である。
スズランが扉の横のパネルに触れると機械音声が発せられた。村にある扉と同じ。
『転移装置をご利用ですか?』
「ええ、北の大陸まで」
『わかりました。接続が確保され次第、扉が開きます。そのままお進みください』
言葉の直後、扉が開く。その向こうにあるのはまた長い通路。
「うん、ちゃんと作動してるわね」
各大陸間はかなり遠い。だから簡易に行き来できるよう転移装置を設置してある。今のこの世界には少々過ぎたる技術だとは思うのだが、大陸間交流を盛んにしたいという思惑があったのであえて復活させた。
中央大陸各地ではビーナスベリー工房やゴッデスリンゴ社の技術者達が早くも仕組みの解明に乗り出しているらしい。そう簡単に再現はできないと思うが、彼等なら百年内には試作品を組み上げてしまうかもしれない。
いつかはここも聖母魔族の世界のようになるのだろう。あれは、かつての自分が築いた理想郷の一つ。これから目指すべき目標。
そのためにも──
「まずはナデシコさんとオニキスに会わないとね」
スズランは、扉の向こうに歩を進めた。