八章・災悪の戦い(1)
文字数 5,104文字
「クルクマさんっ!!」
ナスベリさんが小型砲の砲口をこめかみに押し当て、ロウバイ先生は魔力糸でクルクマを縛り上げました。彼女は抵抗することなく、おとなしくそれを受け容れます。
「間に合った……」
──そう呟き、安堵の表情を浮かべて。
「なんて……なんてことをするんだ! せっかく、スズちゃんが……!!」
「だからですよ……」
「ハァ!?」
激昂して語気が荒くなったナスベリさんを無視すると、彼女はナデシコさんに縋りつくアイビー社長へ語りかけました。
「社長はこの人達やスズちゃんに、本当のことを教えたんですか?」
「!」
突然、アイビー社長の肩が震えました。怯えるように。
「本当の……こと?」
眉をひそめたナスベリさんに向かって、クルクマはポケットから取り出した一枚の紙を折り畳んだ状態で渡します。
警戒しつつそれを受け取ったナスベリさんは、中を開いて目を走らせ、驚愕しました。
「なっ、そんな……じゃあ、まさか」
「そうです……ソルク・ラサなら“竜の心臓”だけを消し去ることは可能でしょう。でも、どのみちナデシコさんはその瞬間に死ぬ」
「死ぬ……?」
疑問符を浮かべたロウバイ先生もナスベリさんの手から紙を受け取り、その内容を黙読して痛ましそうにアイビー社長の小さな背中を見つめます。
「アイビー様……」
「スズちゃんも見る? それはね、オトギリさんの一族の研究資料だよ」
呆然としたままの私を見やるクルクマ。
私は、何も答えられません。
「あの一族は“竜の心臓”を人間に埋め込む実験もしていた。ユニ・オーリのように」
私に語って聞かせるためか、クルクマは勝手に喋り始めました。
「その結果わかったのは誰もがナデシコさんのようになるわけではないということ。竜の心臓との“適合率”とでも呼べばいいかな? 融合することで到れる深度の深さには個人差があった」
そして、と彼女は説明を続ける。
「適合率の差によって融合した被験体の末路も変わった。一定のレベルを超えると“竜の心臓”の消滅が=被験体の死になることがわかった。だから彼等は研究を断念したと書かれている。“竜の心臓”は一度“門”として開いてしまうと十分間で自然消滅するからね。そもそも“門”として開くことの危険性も彼等は知った。
けれどオトギリさんはアイビー社長への復讐と、ヒメちゃんの口を封じることに拘っていた。だから自分が負けた時の切り札として閉じた状態の“心臓”を体内に隠しておいたんだ。幸いにも彼女は適合率が低く、命には関わらないこともわかっていた。だから単に自分の肉体を容れ物として扱うことが出来た。でもナデシコさんは違う!」
クルクマの瞳には強い怒りが宿っています。
それが彼女の犯行動機。
「ナデシコさんは完璧な被験体だ! 美しいからじゃない、本当はそれが“魔王”として選ばれた理由だ! この世界の神々すら超える深度に到った彼女と竜の心臓は一心同体で、心臓を消せば彼女は死ぬ! アンタはそれを知っていたのにスズちゃんにソルク・ラサを使わせようとしたんだろう? 自分では親友を殺せないから!!」
そう、それが社長の本当の計画。
私を騙して自分の親友を殺させること。
そんなこと、そんなことは──
「わかっていましたよ……」
私は立ち上がり、魔力糸でクルクマを縛った糸を断ち切る。
「スズランさん!?」
「社長が私を騙していたから、なんだって言うんですか……しかたないでしょう!? 友達なんだから!!」
「スズ、ラン……?」
「まさかスズちゃん、気が付いていたのに……」
ええ、知っていました。オトギリの研究資料とか、そんな物の存在や内容は知りませんでしたけれど、社長の態度で薄々察してはいたのです。
社長は頻繁にナデシコさんに会って来たはずでしょう? なのに、はしゃぎすぎでした。聖域で私達に秘密を開示したあの時からずっと、不自然なくらい、この時を楽しみにしていた。
まるで、最後の思い出作りをするかのように。
氷の大地が鳴動します。重奏魔法で砕け、細かな破片となった氷が次々に宙へと浮かび上がりました。
抑え切れない私の怒りが魔力を漏出させ、大気を押し退ける。この大地を包む霧の障壁が悲鳴を上げる。
そんな中で、真っ向から彼女を睨みつける。
「私は、貴女のことを何にも知らない間抜けでした。でも、クルクマ、貴女も私のことがわかっていません。
私を見た目通りの純粋無垢な子供だとでも思っていましたか? 違うでしょう? 他の誰よりも、貴女がそれを知っていたはずでしょう? 私は何人も殺している! とっくの昔に貴女と同じ殺人者です! あの施設で、あの屋敷で! 故郷の城を砕いた時にだって大勢殺しているのです!」
だから、いいじゃないですか?
「あと一人くらい殺したって変わらないでしょう? 私は“最悪の魔女”なんだから!!」
「えっ……?」
驚いたナスベリさんの目が見開かれる。
その瞬間、クルクマはこめかみに突き付けられていた小型砲を手で弾き、私は魔力障壁を纏って彼女との間合いを詰めました。
「クルクマッ!」
「くっ!?」
私の拳をすんでのところで避ける彼女。しかし代わりに殴られた大地が割れ砕け、大量の海水が噴出します。
直後、ホウキに乗って飛来した何者かが水柱を迂回しつつ低空飛行でクルクマを摑まえ、連れ去りました。
(逃がさない!)
私は空中を睨みつけ、そのホウキを追ったのです。
「スズちゃんが、何人も人を殺した……? それに自分を“最悪の魔女”って、どういうこと……?」
彼方で繰り返し輝く閃光。ここにまで伝わって来る衝撃と揺れ。スズランがクルクマ達を攻撃している。呆然と見つめるナスベリを見て、ロウバイは深く嘆息した。
「まさか自分で明かしてしまうとは……」
「なっ、え? ロ、ロウバイさんは知ってたんですか!?」
「ええ、アイビー様も……」
「そんな……」
じゃあ知らなかったのは、この場では自分とモモハルだけか? いや、モモハルは全て見通す眼神の
「モモ君、は……?」
「スズはね、前は、もっと大きなおねえさんだったんだ」
俯きながらそう答えるモモハル。
「でも、その、ぼくのせいで赤ちゃんになっちゃって……」
「モモハルさん、覚えていたのですか」
「うん……ぼくが、スズと“ずっといっしょにいたい”って思ったから……」
「そんな、じゃあ、まさか……あの子は本当に……?」
モモハルの告白でナスベリも理解した。あの少女が、自分達が今まで“スズラン”だと信じていた相手が何者であるかを。
「ナスベリさんには全てお話しましょう。ですが、今はあの二人を止めるのが先決です」
「で、でも、あの子は」
「これだけは先に言っておきます。最悪の魔女に関する噂を全て否定するわけではありませんが、少なくとも彼女は……スズランさんは本心からご両親やココノ村の人々のことを想っています。そこに偽りは一切無いのです」
「……」
ナスベリの脳裏に一年前からの記憶が浮かび上がって来る。
出会ってから、まだ、たった一年。けれど、その一年間に見て来た“スズラン”という少女の姿を思い返す。
そして、拳を固く握りしめながら頷いた。
「わかりました、追いかけましょう」
彼女の正体が何者であろうと、たしかに、カタバミ達と一緒にいる時のあの笑顔に嘘は無い。そう思えたから。
「だ、だったら……私も、連れて行ってくれないか……」
「えっ?」
「ナデシコ!?」
「これは、とても効いた……」
ゆっくりと身を起こす彼女。アイビーに支えられながら自分の胸に突き刺さった短剣の柄を掴み、一気に引き抜く。
ドス黒い刃の短剣。それは、かつてクルクマが自分の師を殺すため用意した強力な呪物だった。あの戦いの後で回収し、再び使えるようにしておいたのである。
しかしナデシコにダメージを与えられたのは、これに封じられた呪いのおかげではない。
「素晴らしいな彼女は。これだけのダメージを受けたのは昔アイビー達と戦った時以来だ。それだけ強く、友の身を案じていたのだろう」
スズランに手を汚させたくない。だから代わりに自分が殺す。
そのために、あの瞬間、彼女は己の全てを擲ったのだ。引き換えに殺されても構わないという想いの強さが“深度”を深め、ナデシコのいる領域にまで刃を届かせた。
ほんの僅かに、この命を奪うには足りなかったが。
「これだけの使い手は失われるべきじゃない……私も手伝おう。彼女達を止めなくては」
立ち上がるナデシコ。その姿を見上げ、アイビーも涙を拭う。
「わかった……それが貴女の望みなら」
流星が至近距離を掠めた。その暴力的な風圧だけでクルクマとガーベイラはホウキごと吹き飛ばされて地面に落ちる。
「出て来なくて良かったのに!」
「君が死ぬのは看過できない!」
「いいんだよ、自業自得だッ!」
流星は空中で軌道を変え、再びこちらに向かって来る。クルクマは慌ててガーベイラを立ち上がらせ、その場から離れた。
氷の大地が粉々になり、またしても海水が噴き上がる。崩壊がすぐ後ろにまで迫り二人とも全力で走って逃げた。
不意に、何してるんだろうと思ってしまう。覚悟してきたはずなのに。彼女の代わりに魔王ナデシコを殺して、その後は自分が殺されたって仕方が無いと思っていたはずなのに、どうして逃げたりしなければならない?
「ッ!」
直下から巨大な力が迫って来た。それに気付いたクルクマは咄嗟にガーベイラの襟首を掴み前方に放り投げる。そして自分は跳躍し最小限の範囲に絞った小さな魔力障壁を展開した。
氷を突き破って飛び出してきたスズランの突撃を、しかし彼女はその魔力障壁を斜めに当てて“受け流す”ことでどうにか凌ぐ。だが直撃を避けただけだ。盛大に弾き飛ばされ地面を二度三度とバウンドする。
「クソッ──」
まだ続くぞ。相手はあのスズラン。こんなもので終わるはずあるか。迅速に態勢を立て直した彼女の予想通り、空中で静止した少女の指先に凄まじい魔力が収束していく。
「眼前の敵を打ち砕け」「白華の雷」
巨大な雷が落ちた。だが、その雷は途中で軌道を変えてクルクマがいるのとは別の方向に落雷する。突然伸びて来た長い氷柱が避雷針代わりになった。
「なっ!?」
「早く来い!」
驚くクルクマの襟首を、今度はガーベイラが掴んで走らせる。
「アンタ、あんな芸も持ってたの!?」
「氷に穴を掘るだけだと思ったか?」
このガーベイラという男は聖域の出身者だ。南のコンゴウ村の生まれでナスベリと同じく水や冷気の操作を得意としている。ただし魔力が弱いので戦闘では役立てないと言っていた。
「この場所は冷気の精霊が多いからな。私の魔力でも多少なら戦える」
「もしかして、それでホッカイの北端に住んでんの!?」
「いや、あれは単に研究のためだ」
喋ってる間に次の攻撃が放たれた。雷は同じ方法で防がれると踏んだか、信じられない数の魔力弾が一斉に空から降り注いで来る。
流星雨のようなそれが二人を襲った。
「う、うあああああああああああああああああああああああっ!?」
一発一発が並の魔道士の大魔法級の威力。大地が砕けて粉々になり、その破片から破片へ飛び移って、最終的にはガーベイラのホウキで再び宙に舞い上がる。生きているのが不思議なくらいアクロバティックな逃走劇。
「デタラメすぎる! これが“最悪の魔女”の力かっ!?」
「そんなわけないだろ! こんなのスズちゃんにとっては肩慣らし以下だ!」
そうだ、やっぱりこの程度のはずが無い。その気になったら、もっと広範囲をまとめて消し飛ばしてしまうことだって出来るはず。なのに、どうしてこんな──
「げっ!?」
後方に振り返ったクルクマは、咄嗟にガーベイラの頭を掴んで斜めを向かせる。
「な、なんだ!?」
「回避!」
クルクマの指示に従った、というより顔の向きを変えられたことで無意識に針路を変更したことが幸いだった。直後、巨大な炎の刃が二人の飛行していた軌道を通過して眼下の大地を切り裂く。
文字通り、北の大陸が二つに分かたれた。
大量の蒸気が上がり陸と陸が離れていく。
「馬鹿、な……」
「これがスズちゃんだよ」
ひょっとしたら手加減してもらっているのかもしれない。そう思ったが甘かった。今の攻撃もさっきの雷も、本気でこちらを殺すつもりのものだ。
だが、クルクマは忘れていた。
スズランの武器が魔力だけではないことを。
次の瞬間、頭上からガツンと何かに殴られ、二人は再び地面に落ちる。突然すぎて受け身も取れず、盛大に氷の上を滑走した。