断章・影絵の怪物

文字数 4,968文字

「それだけの力がありながら、目的も持たず生きておるのかえ?」

 もったいないねと彼女は言った。
 あれはどこかの戦場だった。一時だけ、お金を稼ぐため傭兵として戦ってみたら、敵軍にとても強い魔女がいた。腰の曲がった老婆なのに、それまでに見たどんな魔法使いより術が多彩で強力。災害が人の形で現れたかのような存在。
 時間は数分程度でしかなかった。なのに壁は砕け、床は抉れ、天井は無くなった。防衛を頼まれていた砦は完全に崩壊してしまっている。一対一での戦いなのに大軍がぶつかり合ったかの如き様相。敵も味方も巻き込まれるのを恐れて逃げ出してしまった頃、向こうから話しかけて来た。

「お前さん、名は?」
「リンドウ」

「ふむ、聞いたことが無いね……影を操るその術も初めて見た。驚きだ、アンタみたいな化け物をこのアタシが知らなかったなんてさ」
「ずっと、谷にいたから」
「谷?」
「お父さんと隠れていた。でも大きな地震で崩れて、お父さんは岩に潰された。死ぬ前に、もう外へ出てもいいって言われたから、出て来た」
「ほう……」
 老婆はそう呟いて目を爛々と輝かせた。
「その場所はどこなんだい?」
「知らない」
 谷を出てから何年もあてなく歩き続けた。自分がどこから来たのかなんてわからないし、どこへ行こうとしているのかも、最初からわかっていない。

「なんだい、覇気の無いツラだね。それだけの力がありながら、目的も持たず生きておるのかえ? もったいないね」

「目的?」
 言葉は知っている。その意味も。けれど父以外の口から初めて聞いたそれはリンドウにとって未知の概念と大差無かった。
「目的は、無いとだめなの?」
「いや、別にええよ。空っぽの人形の方が記憶は読みやすかろう」
 ──そう言って老婆は無造作に歩み寄る。リンドウは直感的に相手が“本気”になったのだと察した。今までの攻防は全て彼女の使う“珍しい魔法”を見極めるためのお遊びに過ぎなかったのだと。

 だから逃げた。

「なっ!?
 突然自分の影の中に落ちて消えてしまった彼女を、老婆は慌てて探す。でもその時にはもう、影そのものが消失していた。

『なんとまあ逃げ足の速い……少々見くびっておった。獣みたいに思い切りの良い子だね。まあ、長い人生また会うこともあるかもしれん。ふえふぇふぇふぇ』

 最後に聞いた言葉はそれだったけれど、結局二度と再会することは無かった。もし再び出会っていたら、きっと恐ろしい目に遭っていたと思うので幸運である。
 それからもリンドウはふらふらと旅を続けていたが、ある農村で一人の青年と出会ったことにより、ようやく“目的”を持った。

 彼に愛されたい──止めどなく溢れ出してくるこの感情と同じくらい、彼に私を愛して欲しい。それが彼女の人生の初めての目標。

 結婚という儀式が男女を番いとして強く結びつけてくれると教わったので、別の女性と結ばれる予定になっていた彼を深夜に呼び出し、自分とも結婚して欲しいと頼んだ。
 彼は断ったが、リンドウは食い下がった。生まれて初めての恋で加減も駆け引きも何も知らなかった。結婚してくれるならなんでもすると言った直後、立ち止まった彼の背中にぶつかり、振り返った彼に腕を掴まれた。
 彼、トリトマも好きだと言ってくれた。リンドウの容姿を褒め、親同士が勝手に決めた結婚だから自分は乗り気じゃなかったんだと語り、彼女を抱いた。
 良かった、それならずっと一緒にいられる。リンドウは父が死んで以来、初めて幸せを感じた。

 でも、それからは何をやっても上手くいかなかった。
 まず、彼の両親や村の人達に嫌われてしまった。彼女はただ彼を愛しているから一緒にいたいだけなのに、どうしてもその事実が理解されない。彼女のしたことを誰もが口々に責め立てる。あの子は彼のことを愛していたのに、後から来たあなたがどうして奪ったりしたのだと。
 彼女も理解できなかった。そんなに愛しているのなら自分がそうしたように、彼に直接その事実を伝えればいい。村から離れ、他の男性と結婚する必要だって無い。二人で一緒に彼を愛してはいけないのだろうか?
 彼女の一族はずっと谷で隠れて暮らしてきた。その間に一般的な価値観や倫理観を喪失してしまったことを、リンドウも村の者達もまだ知らずにいた。
 とはいえ、流石の彼女もそのうち、自分が悪いことをしたのかもしれないと思い始めた。誰も彼もが悲しそうな顔をしている。理由は理解できなくとも結果は明らか。だから心を痛めた。誰一人傷付けるつもりなんて無かったのだ。

 次の目標が決まった。村の人達の笑顔を取り戻したい。トリトマと二人、力を合わせて取り組むことにした。
 リンドウは様々なことを試みた。力仕事を手助けしたり、畑を荒らす害獣を始末したり、薬を作って病気の人へ届けたり。
 でも誰も喜んでくれなかった。余計なことをするなと言われて怒られた。薬も信用してもらえず、病気の人は死んでしまった。クロマツという人の奥さんだった。

 わからない。どうしたらいいのだろう? 村の人達は彼女と夫が何をしても、全く機嫌を直してくれない。それどころか逆に怒りっぽくなっていく。

 泣いていたら、ある日突然、夫に殴られた。辛気臭い顔をされると余計に気が滅入ると。だから彼女はなるべく笑い続けるようにした。すると殴られることは無くなったし、夫は何度も彼女を抱いてくれた。おかげで一つ学べた。相手に喜んでもらうには、自分自身がまず笑顔でいなければならないのだと。

 やがて二人の間に子供が産まれた。すると夫は以前より穏やかな表情でいることが多くなった。初めて出会った頃のように。彼女にとってはこの時期が一番幸せだった。

 けれど幸福は長く続かなかった。娘が成長するほどに、何故かトリトマの表情は険しくなっていった。理由を尋ねても何も答えてはくれない。口数は減り続け、代わりに子守唄を歌うことが多くなった。自分の中の何かを忘れまいとするかのように。

 そして娘が三歳になった直後、彼は失踪した。置き手紙が一枚残されていて、ようやくリンドウは夫が娘を疎んじるようになった理由を知った。成長するにつれあの子が自分と瓜二つになっていくこと、それに耐えられなかったのだと。
 彼女はもう一つ知った。夫が彼女を怪物と思い、恐れ慄いていたことを。あの老婆にも言われたのに、どうして忘れていたのだろう? 普通の人から見た自分は化け物なのだ。
 すぐにでも追いかけたかったけれど、やはり怖がらせてしまうだけかもしれないという懸念と、娘の存在が彼女を引き留めた。自分と瓜二つの可愛い我が子。
 この子も怪物になってしまうのだろうか? それは嫌だ。娘には人から愛される人生を送って欲しい。
 だからリンドウは村に残った。自分だけではきっとできない。トリトマを育ててくれたこの村の人々の力を借りなければ、ナスベリを幸せにはしてやれない。
 でも、自分を嫌っている人達にどうやって助力を乞えばいいだろう? 頭を悩ませた末に彼女はもっと嫌われることにした。
 驚かせたり怖がらせたりして反感を買おう。自分に敵意が集まれば、きっとその分だけナスベリへ向けられるそれは減る。幸いにも義父と義母は孫のことを無条件に可愛がってくれていた。あの二人に仲立ちになってもらえば、ナスベリだけなら必ず受け入れられるはず。

 リンドウは村の人々を以前のように手助けしつつ、同時に彼等を脅かした。実害は与えないよう細心の注意を払い、恐怖と混乱を撒き散らし、以前にも増して嫌われた。
 すると思惑通り敵意は彼女だけに集中した。ナスベリは予想外に腕白に育ってしまったけれど、ちゃんと他の子達と仲良くしていて、夏には村中に魔法で作った氷を配ったりもする。優しい子だ。自分のせいで敬遠されてしまってはいるけれど、誰も母親と同じ化け物と思ってはいない。計画は成功だ。

 だからだろうか? 安心した彼女の心に魔が差した。
 ナスベリが十三歳になった年、不意に「もういいのでは?」と考えてしまった。あの子はきっと自分がいなくとも生きていける。むしろ化け物の母親なんて傍にいない方がいい。だから、自分はもう、トリトマを探しに行ってもいいのではないか。
 ナスベリは小さい頃、よく泣いた。どうしてお父さんがいなくなったのかと何度も問いかけて来た。
 正直に私のせいだと答えると、あの子はいつも泣きじゃくりながら彼女を叩いた。
 でも、いつの頃からかそうしなくなった。
 逆に「母ちゃんのせいじゃない」と励ましてくれるようになった。不思議な子だ。どう考えても全て母親が悪いのに。
 あの子が愛しい。離れたくない。けれど、そんな娘から父親を引き離してしまった責任を取りたい。なにより自分自身がまた彼に会いたい。

 最低の考えだった。
 あのまま娘の傍にいてやるべきだったのだ。
 でも愛情を言い訳にして、結局のところ我が子を捨てた。たった一人で置き去りにして夫を探す旅に出た。書き置きにはすぐに連れ帰るようなことを書いていたけれど、本当は当てなんか無かった。あれはナスベリを安心させたくて書いた苦し紛れの嘘。
 村から遠く離れてしまって、やっぱり自分は怪物だったのだと再認識した。愛娘を置き去りにした罪悪感より、再び彼に会えるかもという期待の方が大きかったから。
 そして一年後、ようやく彼に追いついて、こうなった。

「ああっ!! クソッ、クソッ、クソッ、クソッ!!

 二人で入った宿の一室。ベッドに押し倒された彼女の胸に、夫が何度も繰り返しナイフを突き立てる。魔法を使えば防ぐことは簡単だったのに、あえてそうしなかった。せめてもの贖罪のつもりで殺意と憎しみを受け入れ続けた。
 もう腕に力が入らない。でも、できれば頬に手を添えて謝りたかった。髪が真っ白で顔色も悪く、酷く痩せこけている。再会したその瞬間からわかっていた。自分のせいでこうなったのだと。あんなに凛々しかったのに、精悍な顔立ちだったのに、もう見る影も無い。全てリンドウという名の怪物が彼を追い詰めたせい。

「どうして……どうして、追いかけて来たんだ……」
「ごめん……ね……」

 彼女が謝ると、彼は泣きながらもう一度ナイフを引き抜き、振り被った。目の前の怪物を殺さなければ安心できないのだろう。
 リンドウ自身、他に方法は無いと思った。命を捧げるから、代わりに許して欲しいと心の中で願った。
 けれど──

 ドアが開く。
 入って来たのは記憶の中より少し大きくなったナスベリ。
 一年ぶりに見た娘の姿に、彼女は目を見開き──笑った。

 ああ、私はやっぱり愚かな女だ。
 この一瞬に、人生の末期に、あの子の顔を見られたことが、親子三人再び揃えたことが嬉しくてしょうがない。
 トリトマ、今まで苦しめてごめんね。
 ナスベリ、こんな結末を見せてごめんね。
 でも、せめてあなたは……あなただけは、これから幸せに……私なんか忘れて、幸せになって。

(ごめんね)

 錯乱して娘に襲いかかった夫の胸に、影を操り、刃を突き刺す。怪物は結局、死ぬ瞬間まで怪物だった。
 謝罪が二人に届いたかはわからない。彼女の人生はその瞬間に終わった。自分のせいで夫と娘の人生が大きく狂わされたことも、二人がこの直後にどのような決断を下すのかも知らないまま身勝手に幕を下ろした。

 後悔は多い。

 けれど、これだけは胸を張って言える。
(私は私の人生を生きた。どれだけ醜く傲慢で、邪悪なそれだったとしても一度も自分を偽らなかった。怪物として生まれ、怪物として死んだ)
 ナスベリにも、そうあって欲しいと願う。
(心配しなくて良いわ。あなたは私と違って、皆を笑顔にできる子だから。たとえ怪物になったとしても、きっとそれは多くの人々に愛される怪物。
 トリトマと出会って、あなたを産んだことが、私の人生の中で最大の幸福。ありがとう、ナスベリ。お母さんは、ずっとあなたを愛してる)

 娘が新たな魔法を生み出した。彼女の周囲の何もかもが凍り付く。
 トリトマも、そしてリンドウも。
 影絵を操る魔女は、母となれた幸せを思い返し、砕け散った。
 その結晶は雪のように愛する我が子へ降り注ぐ。
 抱きしめるように、優しく。
 怪物は死しても怪物のままで、それでもやっぱり、母親だった。




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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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