終章・故郷の友人(2)
文字数 2,007文字
宿屋へ戻った私達を待っていたのは、アイビーさんのその一言でした。
「え? あの、それはどこに……」
おそるおそる訊ねる村長。私達がお墓参りしていた間、アイビーさんに捕まって一緒にお茶をしていたようです。
「例の廃村。あそこに建てるわ。実は大金を支払って購入済みなの。せっかくだから活用しないと損でしょう」
「いや、たしかにそれはそうですが、でも支社なんて……そんな計画、私は一度も聞いてませんよ」
再びメガネをかけたナスベリさんがビーナスベリー工房の副社長として訊ねます。
するとアイビーさんは、例によってあっけらかんとした表情で答えました。
「それはそうよ、ついさっき、ここでお茶を飲みながら決めたんだもの」
「はぁ!?」
驚き、目を剥いたナスベリさんのその眼前へティーカップを突き出すアイビーさん。
「おかわり」
「へ?」
「もとい、ナスベリ」
それはまさかギャグですの?
全然上手くないです。
ナスベリさんも呆れ顔。
「なんですか……」
「あなた、そこの支社長を兼任しなさい」
「え……?」
「私、昨日言ったわよね? 素直になりなさいって。その顔に書いてあるじゃない、この村から離れたくないって。なら、そう言えばいいの」
──そう、私とモモハルが見た未来はこれ。
「勘違いしないでよ、これはビジネスチャンスでもあるの。前々から思っていた、オサカにだけ戦力を集中させるべきじゃないって。たとえば修理依頼よ。大陸全土から依頼品を回収する費用だけで毎年莫大な額を払ってる。直して送り返すから単純に考えてもさらに倍だわ。もったいないでしょ?」
「え、ええ……って、なるほど」
「理解したようね。各地に支社を建て、その地方の案件を担当させるのよ。最初の出費は大きいけれど長い目で見ればいつかプラスに転じる。未来のための先行投資。だから私の右腕の貴女が、その第一歩を確実に踏みしめなさい」
「社長……」
ナスベリさんは迷いました。アイビーさんは昨日、イエスマンなどいらないと言ったのです。ここで従うことが正解? 仮にそうだとしても、こんな風に厚意に甘えてばかりでいいものか。すでに散々助けられているのに。
多分、そんな風に考えたのでしょう。
でも──
「ナスベリ」
「……」
父が、母が、おじさまとおばさまが、村長が決断を見守りました。私達も彼女が答えるその時を待ちます。
ちょっとずるいですよね。皆がハラハラしているのに、私とモモハルだけはもう答えを知っていますもの。それどころか実はノイチゴちゃんにも教えていますの。
そのノイチゴちゃんがフライングしてしまいました。
「ナスベリおばちゃん!」
「え? あ、どうしたの、ノイチゴちゃん?」
「いっぱいあそんでね!」
「あ──」
瞬間、大きく揺れたナスベリさんの瞳には何が映ったのでしょう?
その答えはわかりませんが、とにかく彼女は頷きました。
「うん……すぐにまた遊びに来るよ。お仕事で、すぐ近くへ引っ越して来ることになったからね」
「やった!」
跳び上がって喜ぶノイチゴちゃん。
つられて全員、顔が綻びます。
誰もこの子の笑顔には敵いません。
「おにーちゃん、アイス食べられるね!」
「あ、駄目。ノイチゴちゃん、それ以上は駄目よ」
「アイス?」
「ナスベリさんがつくってくれるって、スズがいってた」
モモハル! 貴方も自重なさい!
「スズ……?」
「ごめんナスベリ、うちの子が変なことを言って」
「あ、いや、いいよ。それより──」
謝るうちの両親に手の平をかざし、アイビーさんの方へ振り返る彼女。
「それ、面白そうですね。やってみませんか社長?」
「なるほど、貴女の開発した冷蔵箱の冷却能力をさらに高めてやれば、一般家庭で簡単に氷菓子を作れるようになるか。次の目標はそれね」
わあ、なにげない一言で天下の大企業が新製品を開発することになってしまいましたわ。流石に商魂逞しい方々です。
そしてビックリする我が家の父と母。
「えっ? れ、冷蔵箱ってナスベリが作ったの?」
「あ、うん。でも開発チームの一員だっただけだよ。冷却機構は私の魔法を参考にしてるけど」
「な、なら直せたりする? うちの冷蔵箱、最近調子悪いんだけど……」
「あ、買ってくれたんだ。十年以内なら無償修理だよ、もちろんOK」
その後、ナスベリさんは意気揚々と我が家にやって来て不調だった冷蔵箱をいとも簡単に直してくれました。出世してからこういう仕事とは縁が無かったので、楽しかったそうです。そんな彼女を見るアイビーさんも嬉しそう。
ともかく、そんなわけで、まだ村へ戻ったわけではありませんが──ご近所に、綺麗でかっこいいお姉さんが引っ越していらっしゃいました。
これからますます大変なことになりそうなので、正直とても頼もしいです。彼女が傍にいてくれるなら、お母さまもきっと私が行くことを許してくれるでしょう。
そう、私は行かねばなりません。
何故ならば──