Sage’s love and peace(2)
文字数 2,631文字
ロウバイが食堂へ入ると、すぐに女将のレンゲが気が付き挨拶してくれた。
「あら、いらっしゃい先生。この時間に来るのは久しぶりね」
「こんばんは。ええ、つい──」
無精をして食材を切らしてしまいましたと、そう言いかけた彼女は食堂の奥にいる人物の姿を認め、素早く言葉を入れ替えた。
「──こちらのお料理をいただきたくなって」
「あらあ嬉しい。うちの人も息子も喜びます。あなた、モモ、ロウバイ先生よ」
「おー! らっしゃい先生!」
「いらっしゃ~い」
レンゲの呼びかけに厨房から返したのは宿の主人サザンカと彼の息子のモモハル。モモハルはロウバイの生徒でもあり、さらには三柱の下に仕える四方の神々の一柱・
「モモハルさんも本格的に厨房に立つようになったのですね」
「ええ、うちの人の方針で他に夢があったら好きにやってもいいって考えてたんですけど、結局自分から宿を継ぎたいって言い始めて」
「ふふ、神子の経営する宿屋ですか。前代未聞ですね」
「霊験あらたかだなんて噂が立って、またお客さんが押し寄せるかもしれませんよ」
「そうなれば経営も安泰でしょう」
実際のところスズランの結界がある限り決戦直後のように人が押し寄せることは二度と無い。だとしても多少は客が増えるだろう。ここは良い宿なので、魅力が知れ渡れば神子目当てではない純粋な観光客も訪れるはず。
「将来的にはわたしの仕事もスズちゃんが継いでくれると嬉しいんですけどね。そしたら女神と神子の夫婦で経営する宿屋ですよ」
「それはモモハルさんの今後の努力次第でしょう」
「そうなんですよね。あの子、小さい頃はグイグイ行ってたくせに最近は恥ずかしがって消極的になっちゃったもんだから心配で……あっ、すいません長々と。どうぞ、お好きな席に座ってお待ち下さい」
「はい」
一瞬、レンゲはある方向へ目を走らせた。気が付きつつもロウバイは、彼女が予想した通り素知らぬ顔でそちらへ向かう。
一番奥のテーブル。そこには早くも緊張した面持ちの男が一人、先に座っていた。
「あの、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
他にも席はたくさんあり、いずれも空いている。しかしロウバイはここに座りたい。彼と話せる位置に。
「は……はい! どうぞ、ご遠慮無く」
「ありがとうございます」
我ながら堅苦しい挨拶。もう出会って三年目だというのに未だ緊張が解れない。やはり弟子のことは言えないなようだ。彼女自身もまた、恋に関しては乙女のように初心なのだから。
彼の名はノコン。辺り一帯を統治するホウキギ子爵に仕え、ココノ村を守るために派遣されている衛兵隊。その隊長を務める人物。齢は今年で三十九だと聞いた。
黒髪黒目。背はロウバイよりやや高い。鍛え上げられた肉体と精悍な容貌。左の眉から右の頬にかけては長い刀傷がある。
子爵に実力を見込まれ士官する以前には傭兵をしていたそうだ。当時の二つ名はオガの鬼神ノコン。その勇名はある一戦を機に大陸全土へと知れ渡った。
──十五年前、タキア王国北部のオガ半島に南方の戦で敗れた敗残兵達が流れつき野盗と化した。多くの民や旅人が被害に遭い、王国は討伐隊を編成。その中に当時はまだ傭兵だった彼の姿もあった。
敵には魔法使いも複数いて、実戦経験に乏しい王国側の魔道士達は簡単に捕らえられてしまい、魔法の使えない兵達だけが残された。あわや壊滅寸前というところで彼が指揮官に成り代わり態勢を立て直す。
彼の見事な指揮と作戦立案能力、そして人の身の限界まで鍛え抜かれた力が思う存分に振るわれた結果、魔力を持たない兵士だけの小隊で魔法使い三人を撃破。恐怖した野盗の一味は散り散りに逃走し、後に別動隊に捕縛された。その偉業は奇跡に等しい戦果として今も武の道に身を置く者達の語り種となっている。
そんな人物が辺境の小さな村にいる理由は、実はこの宿の名物料理カウレにある。領主が大のカウレ好きでレシピの公開されていないこの料理を守るため最も信頼できる兵士を守りに据えた。それだけのお話。
そのカウレを食べ終えたノコンは、まだ食事中のロウバイをちらちら見やりつつ一向に席を立とうとしない。待っているのだ、語らえる時を。食事中にはなるべく会話をしない。それが彼の流儀。
ロウバイは彼のためにと食事のスピードを早める。しかし、そのせいでスープが気管に入りむせてしまった。
「けほっけほっ、うう……」
「だ、大丈夫ですか?」
「え、ええ、すみません、お見苦しいところを」
「いいえ、あなたに見苦しいところなどあるものですか」
「ノコンさん……」
「ロウバイさん……」
「あっつい」
見つめ合う二人。苦笑しながらトレーで自らを扇ぐレンゲ。あの二人が揃うと必ず室温が上昇する。
「さっさと結婚すりゃいいのにな。相思相愛なのはわかってんだからよ」
厨房から顔を出し、小声で囁くサザンカ。しかしレンゲは馬鹿ねと呆れ顔になる。
「二人とも、これまで長いこと禁欲的な人生だったわけでしょ」
「勝手がわからねえってことか?」
「それもあるけど、楽しみたいんでしょ。恋をしている間にしか味わえない一喜一憂ってやつをね」
「なるほど……」
息子のモモハルもサザンカの後ろで聞き耳を立てメモを取っていた。自分の恋の参考にするつもりだろう。そんな我が子に近寄りバンと背中を叩く。
「あんたはもう十分に味わったでしょ。生まれた時から恋してるんだから、そろそろ本気で頑張りなさい」
「が、頑張ってはいるよ」
「あんたの願いを叶える力ってやつも今のスズちゃんには通じないんだっけ? ああ心配だわ。ちゃんとお嫁さんにもらえるのかしら」
「もっと頑張るから!」
「なんつうか、オメェは本当に父ちゃん似の性格だな。きっと苦労すんぞ……」
予知能力など無くとも自分のように尻に敷かれる未来が見える。サザンカは息子の恋の成就を願い、同時に深く同情した。
一緒に食堂を出た二人はしばし並んで村内を見て回ることにする。ノコンの日課なのだ。毎日欠かさず、皆の安全のため巡回を続けている。この職務に忠実な男とやはり生真面目なロウバイがゆっくり顔を合わせられる時間は少ない。一緒に暮らしてでもいれば別なのだが。
だからこそ、やはり──
「ノコンさん」
ロウバイは、もう一歩先へ進むことを決意し、今はひとまず足を止めた。