Return of Happiness(1)

文字数 3,375文字

◇語らう女神達◇

 微睡みの中、マリアは思い出す。三人の幼子が公園の砂場で泥だらけになって遊ぶ風景。無邪気に、互いが男女であることさえ意識せず。
 けれど、それが彼女達の恋の始まりであり、後にマリアの夫となる夏流(かながれ) 賢介(けんすけ)に初めて出会った日の記憶。

『よかったデスねユカリ、マリア。モーお友達ができマシタ!』
『ケンスケ君、これからも娘たちと仲良くしてあげてクダサイ』

 両親はイギリス人。母方の祖母はノルウェー。天然の銀髪は北欧諸国に多い。多いとは言っても世界全体で見れば二%ほどしか存在しない希少な髪。けれど一卵性双生児なのでマリアと姉のユカリは共にこの珍しい特徴を母から受け継いで生まれた。
 祖父や祖母のことは好きだったが母国にいた間の記憶はあまり無い。なにせ日本に移住してきたのは三歳の時。両親は日本文化マニアで父はその研究者でもあった。だからまだ幼い娘達を連れ、憧れの国までやって来たのだ。

『賢介、ユカリちゃんとマリアちゃん、どっちに結婚してもらう?』

 彼の母親は、よくそう言って息子をからかった。容姿のせいでなかなか他の子と馴染めなかった姉妹は隣に住む彼、来日して最初に仲良くなった少年とばかり遊んでいたからだ。そのうちに当人達もこう思い始める。

『マム、わたしたち、おおきくなったらケンスケとけっこんするの?』
『にっぽんだと、さんにんでけっこんできたりする?』

 ──もちろん、だから結婚したという流れではない。彼女達は三角関係で日本の法律は重婚を認めておらず、マリア達が成長するにしたがい周囲の見る目も変わった。一般的な日本人とは全く系統の異なる美貌。否が応にも人目を引き、姉妹は多くの男性に言い寄られた。
 ただ、周囲の期待や冷やかし、それらが一因になったことは否めない。幼い頃に抱いた淡い恋心。その小さな灯が消えていたら成長後に互いを意識することも無かったかもしれない。
 吹き消されず残っていた火は、青年期に入り、ついに大きく燃え上がった。

『マッ、マリア! どうか僕と結婚してほしい!』
『どうして先に言うのよ!? 今から言おうと思ってたのに!』

 高校生の時に交際を始め、大学卒業前には結婚を決めた。カイを産んだのは二十三の時。働き始めたばかりで余裕が無かったため、少し間を空けて二十七でミナ、二十九でユウを出産した。

 そして三十八歳の時、世界は滅んだ。

(ねえ、賢介……あの頃に想像できた? 自分が新しい世界になり、その中に逃げ込んだ私達が神様をすることになるだなんて。助けてくれたことには感謝してるけど、その後も大変だったのよ。
 それからね、生まれ変わった私はまた幼馴染と恋をしてるの。これって、もしかすると貴方がそう望んだからかしら?)

 問いかけても返事は無い。夫が自らの脳内に新世界を構築し“滅火(ほろび)”の脅威から家族を守って以来、答えは一度も得られなかった。新世界ではありとあらゆるものが彼の一部のはずなのだが、長い沈黙は彼をより遠く感じさせることもある。
 ソースコード──旧世界でのプログラミング言語を用い、ソルク・ラサのような魔法を生み出す時にだけ彼の意志と記憶がまだ残っていることを感じられる。以前、魔王呪法の開発に傾倒していた時期があった。けれどそれはミナ達を止めたいという気持ちより彼が呼びかけに答えるかもしれないという淡い期待を抱いた結果。

 そして結局、何も起こらなかった。

「だってのに、まだアイツのことを想ってるんだから、アンタって本当に一途よね」
「……姉さん」
 一時の眠りから覚めると目の前に姉がいた。鏡映しの双子の姉妹。お互い二十代半ばの姿に戻っている。始原七柱になった後、徐々に若返ってこの年齢で固定された。おそらくこれが自分達の全盛期ということなのだろう。
 椅子の上でのびをしたマリアは、テーブルに頬杖をつき言い返す。周囲はまばらに木々の生えた草原。頭上は快晴の青空。涼やかな風が吹きすぎる。あの幼い日の公園で感じた爽快感。良く再現できている。
「姉さんこそ、本当はまだ賢介のことを好きなくせに」
 自分達は双子。だからといって中身まで同じなわけではなかったけれど、共通する部分も多々あった。夏流 賢介に対する想いは、その最たるもの。
 ユカリは妹の言葉に嘆息を返す。この問答も今まで何度繰り返したか。
「アタシは不安で堪らなかった。告白して、それで結局ケン坊に選ばれなかったらってね。それで他の男どもにとっかえひっかえ手を出してたんだし、まあ自業自得」
「賢介は姉さんにも惹かれていたのにね」
「ねえ? もったいないことしたわ」
「ふふ」
「くくっ」
 そしてまた二人で笑う。そんじょそこらの恒星より長生きしたもの、今さら昔の恋話で感情を大きく波立たせたりはしない。彼女達姉妹の間では賢介の話は今や定番のジョーク扱いになっている。
 ただ……カタバミのお茶を再現して手に取り、マリアも同様にため息をつく。
「スズランが姉さんと同じ失敗をしてしまわないか、それが心配だわ」
「たしかにあの子はアンタよりアタシに似てるかも。こと恋愛に関しちゃね」
 同じ茶を飲み、天を仰ぐユカリ。どうにも自分達はそういう血筋らしい。恋をするのが下手なのだ。ミナも零示を相手に素直になれず拗らせていたし、母方の祖母だって祖父を捕まえる際に苦労したと聞いた。
「アンタが例外なのよね。あまりにすんなりケン坊と結ばれたもんだから実はエイリアンなんじゃないかって疑ったわ」
「ならカイ達は星間ハーフね」
「──ハーフには違いないけど日英よ。宇宙のどっかの星と地球の合いの子じゃないわ」

 突如割り込んで来るミナ。いつもと変わらぬ十歳前後の姿のままマリアの膝へよじ登る。そして母親を椅子代わりにして座ると、満足そうに鼻息を吹いた。

「むふー」
「もしもしお嬢さん? ご満悦のところ悪いんだけど、重いわ」
「娘が大きく育ったのを実感できて嬉しいでしょ」
「痛いところを突くわね」
 苦笑しながら抱きしめる。実際には一度大きくなった娘が縮んでしまった感覚なのだが、それはそれで可愛いものだ。
 ユカリは妹と姪っ子のイチャイチャする姿を見て半眼に。
「アンタらほんとラブラブね。エヴリンが来たらまたケンカになるわよ」
「べー、返り討ちにしてやるわ。オリジナルの私の転生体(うまれかわり)だからって、この特等席だけは誰にも譲らないんだから。彼女や兄さんはもう大きいんだし、ここに座る権利があるのは私とユウだけ。スズランの方なら許してあげなくもないけど、ママは駄目」
「まったくもう、この子は……」
 呆れるマリア。我が子なのに独占欲が強い。いや、我が子だからこそ? 想定してみる。もし賢介が以前と同じ姿で隣に立っていれば、自分も子供達や姉以外と彼を共有する気になれないだろう。
(意外と嫉妬深いのね、私)
 随分と長生きしたのに未だ新たな発見がある。人の心とは複雑なもの。それを司る神となった今でも全ては理解しきれない。

 ──ここも心の中にある領域。つまり精神世界である。マリアの転生体スズランの魂の一部にして、ミナ達“六柱の影”に安らぎをもたらすため構築した空間。スズランの胸の宝石が出入り口の一つ。
 近頃のマリアは、ここでミナ達“六柱の影”と共に新たな実験を行っている。新世界の万物が魂に帯びた重力。その遮断ないし影響を緩和するための研究だ。魂の重力のせいで気軽に会うことができないエヴリンともパスを繋ぎ、ここへは自由に出入りできるようにしてある。
 研究自体は転生前から行っていた。ただ、オリジナルのユカリやミナ達はけして協力的とは言えなかった。永遠に続く生に飽き飽きしていた彼女達は常に刺激を欲していたから。魂の重力に引かれ過酷な運命が降りかかることは、彼女達にとってむしろ幸運。
 しかし今は状況が違う。重要な案件を思い出し、切り出すユカリ。

「エヴリンと言えばさ、こないだ来た時の観測結果なんだけど」
「どうだった?」
「意外と大きな変動があったよ。減衰率がだいぶ上がってる。詳しくはこれ見て」
「なるほど、いい感じね……」
 期待通りの結果に自然と笑みをこぼす。ミナも母の膝の上でティータイムを楽しみつつ我がことのように胸を張った。
「流石ママ、もう目途をつけちゃった」
「理論は昔と変わっていないのよ。以前は足りなかった要素が揃ってるだけ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み