二章・ビーナスベリー工房(2)

文字数 3,130文字

「お待ちしておりました、スズラン様、クルクマ様」
 本社の前に降り立つと、まるでこの時間この場所に現れることを知っていたかのように女性が一人、佇んでいました。
 黒髪に暗金色の鋭い瞳。褐色の肌。背が高くお綺麗な方で、長い髪も見事に結い上げてまとめてあります。タキアでは全く見かけないタイトなスーツ姿。白いスカートの裾から伸びる長い脚は焦げ茶のストッキングで覆われています。
 素足でないとはいえ、あんなに脚を出すなんて……スカートの丈が膝より少し上あたりまでしか無いです。あれが今の流行? 靴も踵の部分が高い。私がタキア王国にいた九年の間に、都会のファッションは大きく様変わりしたのですね。
「あなたは?」
 クルクマに問われ、彼女は一礼。
「社長秘書のナナカと申します。お二人を案内するよう仰せつかりました」
『なるほど。はじめましてナナカさん、スズランです。よろしくお願いします』
 こちらも深々頭を下げたところ、不思議そうに見つめられました。
『何か?』
「いえ……副社長から聞いてはいましたが、その、可愛らしいお姿ですね」
『その副社長さんの仕業なんですけど』

 好きで着ているわけではありません。

 なにはともあれ、彼女に案内されて社屋の中へ。私達の姿を見た社員の方々がざわつきます。
「な、なんだあれっ」
「ぬいぐるみが動いてる……おい、誰の作ったゴーレムだ? 良いアイディアじゃないか、きっと売れるぞ」
「いや、社長のお客様らしい。中に人が入ってんだよ」
「待って、後ろにいるあの子、たしか才害(さいがい)の魔女の弟子じゃない?」
「本当だ」

 とまあ、そんな感じであちこちから好奇の視線が突き刺さって来ます。しかもほとんど魔法使い。おかげでようやくナスベリさんの意図を理解し、感謝できました。

(なるほど、これだけ多数の魔法使いがいたら、いつものメガネでは危なかったかもしれません……)
 あのメガネは認識を阻害するだけですからね。物理的に顔を隠せるこの着ぐるみの方が安心感があります。
「いやあ、聞いていた通り魔法使いが多いんですね」
 廊下を歩きながら感心するクルクマ。たしかに珍しい光景ですわ。魔法使いは年々数を減らしており、今では大陸全体で千人ほどしかいないと言われてますもの。
 ナナカさんは私達を先導しつつ、軽く頷きました。
「はい。当社には多数の魔道士が在籍しております」
「研究に没頭したい人や、世間からあぶれた人の受け皿になっていると伺いました」
「当社の前身である“魔道具開発工房”の頃から、一貫してその理念を貫いております」

 ──そういえば前に本で読んだことがあります。アイビーさんがこの会社を立ち上げた経緯は、研究一辺倒で生活力に乏しい魔法使いや、様々な理由で世間を疎み、あるいは逆に疎んじられて居場所を無くした人間を保護するためだったと。魔法使いの森が惑わしの結界で侵入者を阻んでいるのもそのため。あそこには俗世を嫌う魔道士が何人もいて隠遁生活を送っています。
 まあ、私やゲッケイのような犯罪者が隠れ家として使っていたケースもありますけれど。思えば、よくお目こぼししてもらえていたものですわ。

(ひょっとしたらアイビーさんは、あの頃から私を“神子”だと知っていましたの?)
 ありえない話ではありません。アルトラインとも旧知の仲だそうですから、未来の神子を保護する目的で森に住まわせてくれていたのかも。
 私がそんなことを考えている間に、クルクマはさらに質問を重ねました。
「噂では“聖域”の出身者も多数おられるとか」
「……」
 突然、ナナカさんは立ち止まりました。そして振り返り、探るような眼差しでクルクマを見つめます。
(聖域って、たしか……)
 魔法使いの森の中心部にあるという特別な場所。実在するかも定かでない伝説です。
 けれど、森の中心部には実際どうやっても入れない場所がありました。以前クルクマと二人で探索に行った時、惑わしの結界と同じように認識を欺かれ、歩いても歩いても元の場所へ戻される体験をしたことがあります。
 私にとってはちょっとした探検程度のつもりでしたが、ここへ来てあの場所の話を持ち出すなんて、クルクマは意外と本気で謎を解きたかったのでしょうか?
 首を傾げていると、ナナカさんがようやく返答します。
「……お二人になら話しても問題は無いでしょう。仰る通り、当社には“聖域”出身者が少なくありません。私もその一人」

 ──この回答には、私もクルクマもビックリしました。

『本当にあったんですね、聖域』
「いやあ、まさかこんなに簡単に噂の真相を確かめられるなんて」
「我々聖域出身者はスズラン様が“神子(みこ)”であることもすでに承知しております。ならば、いずれ必ずわかることですから」
『え?』
「神子である以上、いつかは聖域に赴かねばなりません。そういう決まりなのです」

 そんなの初耳です。

「まさか、あなたも神子じゃないですよね?」
 クルクマの冗談に今度は頭を振る彼女。
「畏れ多い。私達聖域出身者にとって神子様方は神そのものと同じ。あなたはスズラン様のご友人ですから目を瞑りますが、ここや聖域でそのような冗談は仰らない方がよろしいと忠告します」
「ハハ……肝に銘じておきます」
 苦笑するクルクマ。反応を確かめ、再び歩き出すナナカさん。この方、魔力はクルクマと同程度にしか感じません。けれど妙な迫力がありますね。
 社内に入ってすぐ、広いロビーにこういう高層建築には付き物の“動く階段(エスカレーター)”があったのですが、彼女はそれよりも奥の設備に案内してくれました。昇降箱(エレベーター)です。
「ロビーにもありましたよね?」
「あちらは一般社員用で、社長室まで行けるのはこちらだけです」
『なるほど』
 あ、一般社員と言えば、
『魔法使いでない方もちらほら見かけますね』
「ええ、何も魔力が無ければ入社出来ないわけではありませんので。むしろ全体で見れば魔法使い以外の方が多いくらいです」
『そうなんですか』
 よく考えると世界一の大企業ですもの。本社で研究や開発に携わる以外の人員も数多く必要ですよね。経理・営業・商品の運搬。商品開発においても魔法使いでなければ駄目ということはないでしょうし。アイディアを出したりモニターになったり、魔法が使えなくともできることは色々ありますわ。
 昇降箱に乗った私達は一気に最上階へ。全部で三十五階もあります。そりゃ階段なんて使っていられません。
 扉が自動的に開き、外へ出ると、いきなり小部屋のような空間でした。廊下は見当たりません。足下は綺麗な赤い絨毯。金糸で見事な刺繍が施されています。いかにもな雰囲気ですが、左右には無数の観葉植物が並べられていました。まるで植物園。ここにいる方の能力を考えると、どれも番兵のように見えてきます。
 奥にドアが一枚あって、プレートには“社長室”という刻印。いよいよ世界最強の魔女と再度対峙する時が来たわけです。
「こちらへ」
 案内のナナカさんに続き、私達も奥へ。
 ナナカさんがドアをノックします。
「社長、スズラン様とクルクマ様をお連れいたしました」
『入りなさい』
 中からすぐに返答の声。
 私達が緊張しながら見つめる先で、ドアを開くナナカさん。
 すると──
「えっ?」
 驚くナナカさん。私とクルクマもきょとんとします。たしかに今、中から声が聴こえたのに誰もいません。
 三人揃って目を丸くしていると、背後から肩を叩かれました。
「よく来たわね、入りなさい」
『わぁっ!?
 いつの間にか背後にアイビーさんが立っているではないですか。驚いて跳び上がった私に意地の悪い笑みを向ける彼女。
「すぐに私を超えてみせると豪語していたけれど、この程度の隠蔽魔法(ステルス)に気付かないようでは、やはり先は長そうね」
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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