Return of Happiness(2)

文字数 3,003文字

◇無重力の楽園◇

 魂の重力は物理的重力と似た仕組みで作用する。そもそも、似ているからこそマリアはこの力をこう名付けたのだ。
 重力とは物体の中心に向かって引き寄せられる万有引力と、その物体が回転を行う場合に自転軸から垂直方向へ遠ざかろうとする遠心力の合力のことである。
 引力の強さは中心からの距離によって決まる。遠ざかるほど弱くなり、近付いて行けば強くなる。地球は完全な球形でなく赤道方向に膨らんだ回転楕円体なので、最も中心から遠ざかる赤道上では北極や南極に比べ〇.五%ほど引力が弱い。
 一方、遠心力は回転の速度と自転軸からの距離によって変わるわけだが、地球の自転は一定の速度なので後者のみ考えればいい。こちらは引力とは逆に中心から遠く離れるほど強くなり、近付くと弱くなる。

 魂の重力の場合、中心とはその魂の本質、精神の深層部のこと。ゲッケイがスズランの意識を封じた領域。魂と魂が引き合う力はここへ集束する。互いを良く知り深く想い合うほど深部まで導かれるわけだ。言い換えれば、相手との距離が近付き心を許すことで強くなる力だとも言える。
 次に遠心力だが、魂は惑星のように自転しているわけではない。だが遠心力に相当する力はある。その魂の持ち主が有する“運命を動かす力”だ。例えば魔力であったり他者を言葉巧みに扇動する話術であったりと種々様々ではあるものの、なんにせよ自分や他人の運命を左右できる力が物理的重力で言うところの遠心力に相当している。
 こちらは“カリスマ性”と言い換えてもいい。この力が強いほど遠く離れた存在にまで影響を及ぼす。

 魂の重力とは他者への想いとカリスマ性の合力。ゆえに心の距離が開いたりカリスマ性が損なわれれば減衰することもある。第三者の干渉も無視できない。潮の満ち引きが月の引力によってもたらされるように星々は互いに影響を与え合っている。マリア、ゲルニカ、ディル、エヴリン。零央(れお)鏡矢(かがみや)の血を引く者。六柱の影。スズランとモモハル。ブラックホールの中心部に喩えて特異点とまで称される極大重力源が一つところに集まると、より大きな災厄を引き寄せてしまう。
 けれど、それぞれが適切な距離を保てば? 引力と遠心力は時に打ち消し合って無重力の領域を生み出す。同じように互いの重力を無に、あるいは大幅に弱体化させられる立ち位置を見つけ出せば過酷な運命の連続から解放されるかもしれない。

 もっとも、会いたい、近くにいたいと思うからこそ強く引き合ってしまうわけで、この方法では結局幸せになれない。近くに在りて共に生き、それでも重力の影響を抑えられる術が必要なのである。

 無論、極めて困難。だがマリアはできると思っている。何故なら彼女は“魂”を司る神。事実として彼女が創ったこの空間では魂の重力を軽減できている。万物の父、新世界の礎になった賢介の意識を誤魔化し、ルールの穴を突いて空白地帯を構築した。
 いや、構築しようとしている。まだ万全ではない。完全に重力の影響を遮断できるまであと数年か、あるいは数十年。とにかく長い時を要するだろう。スズランが生きている間には叶わないかもしれない。
 だとしてもミナが言うように目途はついた。やはり、あの二人が鍵。もしかしたらクチナシにも助力を頼むかもしれない。

「ゲルニカ、それにディルは“突破”できた。私達が生きていた頃には存在しなかったし、想像もしていなかったわね。賢介を超える子が現れるなんて」
 深度限界を突破した超越者。彼と彼女の力をこの世界を覆う結界に組み込ませてもらい、大幅に重力減衰率を向上させた。深度を無視してダメージを与えられるクチナシの斬撃も同様の効果をもたらす可能性は高い。
 妹の目に希望の光を見出し、ユカリ・ウィンゲイトは微笑む。
「それにしたってアンタの執念の成果だからね、大したもんだよ」
「姉さんの協力のおかげでもあるわ」
 マリアは≪世界≫で魂を司る女神。一方、ユカリは≪情報≫で記憶を司っている。魂は表層に積み重なる記憶の影響を受けて変質する。逆に記憶も魂の本質に影響を受けて選択を行い、その後の未来、すなわち将来的に得られる情報を変化させる。魂と記憶とはこのような相関関係にあり、切っても切り離すことができない。だから双子の姉妹の自分達が受け持つことになったのだと思う。
「私やユウだって頑張ってるでしょ。褒めて」
「もちろんミナ達にも感謝してるわ」
 ミナの≪創造≫はこの世界を補強するのに一役買っているし、弟のユウは≪均衡≫の力で魂の重力に干渉し影響を均質化させてくれている。大気中に拡散した魔素と同じ。一点に集中させないことで災厄の発生率を下げ、発生時の被害を減らす。これもまた転生前の研究で判明していた対処法の一つ。
 カイ、龍道、要の権能もなんらかの形で役立てられないか研究中。
 ここが完成に到り魂の重力の影響を完全に遮断できる楽園と化したなら、さらに自分達始原七柱の負担は減る。他の特異点にとっても安らげる貴重な場所となるだろう。
「ゲルニカと零示(れいじ)、それにレインさん達にはネットワークの件でも感謝しなくてはね」
『恐縮です』
 茶会の場に金髪でメガネのAIメイドも現れた。ゲルニカと零示が構築し雨龍(うりゅう)達が発展させたレインボウ・ネットワーク。あれも実に良く出来ている。

 旧世界の日本には“分霊”という概念があった。神社に宿っている神霊の御霊を別の社を建立した際に分けるというもの。神霊の御霊は二つ三つと数を増やしても全てが同一の存在であり、その力も弱体化したりはしない。むしろ、より広く多くの人々に信仰されることで神力を増す。
 ネットワークと有色者(ゆうしきしゃ)の仕組みはそれに近い。有色者が行使する力はあくまで始原の力の一部。つまり本来は始原七柱の力なのだ。彼等はレインボウネットワークを介して権能を借りているに過ぎない。
 だが、同時に彼等は力の源である始原の神の“重力”まで肩代わりしなければならない。彼等にとっては災難だが、七柱にとってのそれは救済である。ユウがしている重力の拡散と同じ。広範囲に広げて薄めることで一点に集中していた負荷を軽くする。

「今も有色者の数は増え続けている。スズラン達の生きる世界では特に急速に」
「私達が大暴れしたおかげね」
「コラッ」
 調子に乗った姪をたしなめるユカリ。マリアのおかげで全員生き返ったとはいえ、自分達六柱の影が多くの者達を苦しめ、殺めてしまった事実を忘れてはならない。
 軽く小突かれたミナは唇を尖らせた。尖らせつつもしっかり謝る。
「ごめんなさい……」
「うん、ミナはいい子。ちゃんとわかってるのよね」
 そんな娘の頭を抱き寄せ、優しく撫でるマリア。まだしばらく時間はかかる。でも必ず実現してみせる。この子達のため、そしてスズランや未来の子供達のために。
「今に、もっとゆっくり過ごせるようになるからね」
「楽しみ。まあ兄さんは今のままでも退屈しないって言いそうだけど」
『カイ様は落ち着いて見えるのに戦闘中毒者(バトルジャンキー)であらせられるのですね』
「競い合うのが好きなのよ。根っからの体育会系だもの」
「私と賢介の子にしてはそうなのよね。さて、それはそれとして出発の時間。出かけるとしましょう」
 マリアは立ち上がった。自分達は宝石の中から見守るだけだが、何かがあれば手を貸すことになるかもしれない。

 今日はスズラン達が“地球”へ旅立つ日である。
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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