序章・女神の果実

文字数 2,067文字



 大陸中央部、その大半を占める魔法使いの森。商業都市オサカは森の西端に面している。
 ここはかつて隣接するキョウトの一部だった。だが大陸の南北を繋ぐ流通の要でもあるこの街は、商人達こそが真の支配者であり、やがて彼等は財力によって自治独立権までも買い取った。
 現在、オサカは一都市であると同時に一国家としても認められている。それも七大国の一つに数えられるほどの富める国だ。

 商人が統べるこの国に王はいない。とはいえ国である以上、代表者は必要となる。ここでは商業組合の理事長がそれに相当する。現在はハナビシという老人がその椅子に座っており、組合に所属する多くの者達の意見を聞きながら取捨選択を行い、国全体の舵取りを決めていた。他国との交渉や国際会議が行われる際にも陣頭に立つのは彼である。
 だが、彼自身はこうなることを望んでいなかった。理事長などと言えば聞こえはいいが、結局のところ国としての体裁を保つため面倒を押し付けられただけ。同じ面倒事でも彼にとっては商いをしていた頃の方がずっと楽しかった。
 ましてや、この国の本当の長は自分ではない。誰もがそう思っている。ハナビシは単なる雑用係で、オサカの顔は彼女だと。

「……大きいなあ」

 毎朝、新聞を取るために家の外へ出るたび、嫌でもそれが目に飛び込んで来る。まるで王城のようにそびえ立つ、オサカで最も巨大な建物。曲線を多用した蠱惑的なデザインが見る者の目を奪う白亜の塔。例の彼女が経営する世界一有名な会社。

 ビーナスベリー工房。

 十年ほど前だったろうか、あの建物は一夜のうちに出現した。彼女の率いる魔法使いの集団があっという間に築き上げてしまった。オサカに隣接するキョウトは世界で最も多く魔道士を擁する軍事国家だが、彼女の配下の魔法使いは、実はそのキョウトより多いとも言われている。
 なにより本人が“世界最強の魔法使い”だそうだ。最凶と謳われる、あの才害の魔女でさえ恐れるほどに。
 できれば、あの方を怒らせないまま任期を終えたい。ハナビシは今日もそう思いながら家の中へ戻った。



 それから数時間後。
「──!」
 ビーナスベリー工房本社。最上階にある社長室。この大企業を経営するオサカの顔こと魔女アイビーは何かを感じ取り、突然腰を浮かせた。その拍子に椅子が倒れて耳障りな音を立てる。
 彼女の異変を感じ取り、秘書のナナカも顔を上げた。
「社長、どうなさいました?」
「……始まったわ」
 そう言って彼女は窓際へ歩み寄り、ガラス窓の向こう側を見る。言葉の意味を理解できなかったナナカは同様に窓へ近付き、そして息を呑んだ。
「あれはまさか、アイビー様!?
「ええ、ソルク・ラサよ」

 青い光が天を貫いている。この日、この時、世界中の人々が目撃した。中央大陸東北部に出現した巨大な光柱を。三柱の主神ウィンゲイトの血を引く神子(みこ)スズランが生み出した奇跡を。

「とうとう、この時が来たわね……ナデシコ」
 アイビーは光が消えるまでその光景を見つめ続けた。そして光が消えた瞬間、すぐに瞼を閉じて祈った。

 ここから世界の運命を賭けた戦いが始まる。
 どうか、今度こそ人類に勝利を──

 振り返ると、そこにはナナカだけでなく多くの社員が集まっていた。皆、自分の命令を待っている。
「アイビー様、我等全員、身命を賭して戦いまする」
「なんなりと、ご命令を」
 そんな彼等をしばし見つめ、ふっと相好を崩す彼女。予想外の態度に戸惑った若者達へ優しく語りかけた。
「気が早い。たしかに、敵はもう、いつ現れてもおかしくない状態。アルトラインの予言の時は近い。それでもまだ幾許かの猶予はあるはず。だから、まずは確かめましょう」
「確かめる……とは?」
「もちろん、我等が“救世主”の資質」

 何者なのかは知っている。自分達は逐一彼女の行動を監視してきた。今どこに、どんな姿で生きているのかも把握済み。
 でも、まだ直接話したことは無い。やはり人間の本質を見抜くには直に会ってみるのが一番だろう。
 とはいえ、いきなり自分が会いに行っても混乱させてしまう。向こうはまだ神子として覚醒したばかり。しかもゲッケイという強敵と戦った直後だ。少しくらいは休ませてやりたい。
 さて、ではどうするか。考えた彼女は、ちょうど頭を悩ませていた別の案件が使えると気付いた。

「そうね、あの子をぶつけてみましょう。彼女が抱える問題に対し、新たな神子達がどう働きかけるかを見てみたい」
 それに手頃な試練だ。救世主にはもっと成長してもらわなければならない。彼女の傍にいるはずのもう一人の神子の成長も促せる。
 アイビーはナナカに命じた。
「決めた、副社長を呼んでちょうだい」
「しかし、今はトキオに」
「私の命令だと言いなさい。そうすれば飛んで来るわ」
「社長~、副社長は飛べません」
 最年少の社員が苦笑する。
「ああ、そうだったわね。まったく、あれだけ繊細な技術を持っていながらどうして空は飛べないのかしら」
「原因は目下調査中であります」
「まあいい、とにかく呼び出して。あの子には、村を一つ潰してもらうわ」
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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