八章・結びの糸(3)

文字数 2,558文字

 それから猛特訓が始まりました。アイビー社長直々の指導を受け制御技術を向上させるための短期集中訓練です。
 ところが一向に成果が出ません。どんなに集中しても、どういうわけか発生させた水が球形になってくれないのです。今日も訓練に使っている屋内実験室の床はあっという間に水浸しに。
 破裂した水球の飛沫を魔力障壁で防ぎ、一人だけ無事な姿の社長は、濡れネズミならぬ濡れクマちゃんになった私の脛をポインターで叩きます。

「なってない。何度言えばわかる? 貴女の場合、出力制御がとにかく不安定なの。そのせいで流れのコントロールにまで支障を来してしまっている。だからまずは出力制御の方に集中。一定量の水を作り出せるようになりなさい。
 まったく……ホウキでの飛行や魔力障壁はそれなりに上手く扱えているのだから素養が無いわけじゃないでしょう? どうしてそんなにできないの?」

 どうしてと訊かれても、私にだってわかりません。昔からどうやっても出力調整が苦手なのです。思いっ切りぶっぱなす分には簡単なんですけれど……。
 そうして悪戦苦闘を続けるも、三日、四日、五日と無情に時間ばかりが過ぎて行きます。その事実が私を焦らせ、意識をさらに散漫にさせてしまう。
 見抜いた社長はとうとう匙を投げました。

「ああもう駄目! 全然駄目だわ貴女! 今日はもうおしまい!」
「そんな!? まだ始まったばかりです!」
「ちっとも集中できてないじゃない! そんな状態でいくらやったって無駄なの! 今日一日休んで頭を冷やしてきなさい!」
 叱りつけられ、自分でも焦っていることに気付いていた私は大人しく従いました。自室に戻り、唇を尖らせて不貞腐れます。
「どうして上手くできませんの……」
「不思議だね……」
 クルクマも疲れ切った表情。彼女にもアイビー社長が仕事で離れている時などに特訓を指導してもらっています。本当に毎日練習漬け。なのに私の技能は一向に向上せず、逆に悪化する始末。
(帰れると思ったのに……)

 村を離れて三週間。しかも一度ぬか喜びしてしまったせいで、どうにも心が脆くなっていました。ここ数日、気を抜くとそれだけで涙が零れ落ちます。

「大丈夫、必ず帰れるよ」
「……気休めですわ」
 クルクマに励まされても、ひねくれた心は素直に受け止められません。逆効果と悟った彼女は「少し出て来るよ」と言って本当に退室しました。しばらく一人にした方が良いと判断したのでしょう。
 彼女は大人……私も大人になったら勝手に魔力のコントロールが上達したりしないものでしょうか? よちよち歩きの赤ちゃんがいつの間にか走り回っているように。

 ──無理ですね。ヒメツルだった頃にも下手っぴでしたもの。

「どうしたらいいんですの?」
 誰にともつかない質問。時々、私は誰でもない誰かに語りかける。こういうのをなんと言うんでしたかしら。イマジナリーフレンド?
 いけません、村の皆に会えない寂しさのせいで空想の友達を頼り始めました。しっかりしないと。
「……やっぱり練習するしかありませんよね」
 社長には休んでいろと言われましたが、そんな場合ではないと思います。私は着ぐるみを完全に脱ぎ捨てると、いつものように部屋に備え付けられた浴室に入りました。ここで自主訓練です。

「水球生成!」

 巨大な水の塊が空中に出現し、そして暴れて、弾け散りました。



 一方、部屋を出たクルクマは社長室へ赴き、アイビーに相談を持ちかけていた。
「社長、ちょっといいですか?」
「いいと言う前に入って来てるじゃない。貴女もずいぶん図太くなったわね」
「部屋の前の観葉植物に迎撃されなかったということは、話を聞いてくれる気があるってことでしょう? なら遠慮する必要はありませんよね?」
「良い神経してる。まあ、ちょうど一仕事終えたところだし休憩しましょう。ゲッケイの弟子らしくタイミングを計るのが上手な子だこと。ナナカ、お茶を」
「かしこまりました」
 応接用のソファに移動し、秘書のナナカが淹れてくれたお茶を受け取るアイビー。それから訊ねる。
「で?」
「スズちゃんのあれは心に原因があるんじゃないかと思うんです」
 対面に座り、同じく茶を啜りながら切り出すクルクマ。
 アイビーは小さく頷く。
「でしょうね」
「気付いてたんですか?」
「貴女と同じ理由で黙っていたのよ。こういうのは本人が自ら気付いて解決するのが最良。ただ、それができないとなると……」
「思っていたより、問題の根が深い」
「みたいだわ」
 どういう心理がスズランの魔力制御を乱しているのか、推察するのは容易だ。彼女には他の人間に無い唯一無二の才能がある。
「あの魔力、怖がってしまうのは当然」
「社長から見てもそう思います?」
「もちろん。桁が違い過ぎる」
 瞬間的な出力ではアイビーも互角だと言える。総量においても彼女には一時的に大幅な増加を見込める切り札があり、短時間であれば拮抗できるだろう。
 だが、あの少女の魔力は底無しだ。文字通り果てが無い。どれだけ消費しても瞬く間に完全回復する。長期戦に持ち込まれたなら世界最強の魔女と呼ばれている彼女でも勝ち目は薄い。
 もっとも今のままではそんな状況になりようが無い。現状の拙い技量のままなら簡単に制圧できる。ヒメツルの頃、彼女は名うての魔道士達に挑まれ次々に蹴散らしたそうだが、彼等には子供相手の油断と素人同然の彼女に対する傲りがあったのだろう。あるいはあの圧倒的な魔力で先制攻撃を仕掛けたか。魔力の出力値に大きな隔たりがあると、弱い方の魔力障壁は強い方にあっさり破られてしまう。出力値が高いということはそれだけ大きなアドバンテージなのだ。
「なんとしても、あの子は一人前に鍛え上げなければならない」
 無限の魔力に確かな技術が加われば向かうところ敵無し。少なくともこの世界に彼女を脅かす存在はいなくなる。そのくらいになってくれなければ、いくつもの並行世界を滅亡させた“崩壊の呪い”に対抗するなど不可能だろう。
 問題は自身のその強大な魔力をスズランが誰より恐れてしまっていること。その一点に尽きる。

「私に考えがあります」
「奇遇ね、私もよ」

 どうやら自分達は同じことを考えているらしい──互いの表情からそれを察した二人は、顔を見合わせながら邪悪な笑みを浮かべた。
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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