八章・少女の英雄(2)

文字数 4,654文字

 その日の夜、アイビーとナスベリの姿はココノ村の食堂の中にあった。
 キンシャ騎士団は王都へ、義勇兵はホウキギ子爵と共に彼のお膝元であるチョウカイへ戻って行った。詳しい事情は後程自分から国王に説明すると約束し、アイビーが帰らせたのだ。
 食堂には村の住民達も集まっている。子供達は昨夜と同じように先に二階へ上がらせた。クルクマが見ていてくれるそうだ。
 彼等はナスベリの話を聞くため集まった。彼女が自分から、村を出て行った理由とそれからの経緯を話したいと申し出たのだ。しかし、流石に赤の他人にまで辛い過去を語る気にはなれず、村の住民とアイビーにだけ説明することにした。衛兵隊もいないのはそのためだ。自分が話した後なら、他の誰に教えようと構わないとも言っている。タキア王への事情説明に必要なら好きに話してくれということだろう。
 戦闘服からレンゲに借りた服に着替え、食堂の中央の椅子に座った彼女は、やがて訥々と語り出す。
「二十一年前のあの日、アタイがまだ十三だった時……母ちゃんが家を出た」

 その日の朝、目を覚ますと母の姿は無く、父の失踪時と同じように置き手紙が一枚だけ残されていた。
 それには父の行方がわかったから会いに行くと書いてあった。自分の留守中は祖父母を頼りなさい、すぐに帰るから心配しないでとも。
 けれど数日経っても母は帰って来なかった。寂しくなり、手紙に書かれていた通り父方の祖父母の家まで行くと、二人は孫を温かく迎えてくれた。事情を話すと、自分達は血が繋がった家族なんだから、いつまでいてもいいんだと言ってくれた。
 けれど二人とも、やはり母のことは嫌っていて、いっそこのまま戻らなければ良いのにと話す声を聞いてしまい、無性に悲しくなって外へ飛び出した。

 すると、そのまま屋敷へ駆け戻った直後に閃いた。

 自分が二人を連れ戻そう。母は凄腕の魔女だけれど世間知らずなところがある。迷子にでもなっているのかもしれない。だから助けに行こう。まずは母を見つけ出し、それから二人で父を探して、三人で村へ戻って来る。
 冒険の旅に出られる。そう思うと胸が躍った。カズラと一緒に読んだ絵本のようにワクワクすることがたくさん待っているに違いない。
 幸い、母から魔法を習っていたし、カタバミや血気盛んな男子とケンカばかりの日々を過ごしてきたため腕っぷしにも自信がある。何があっても自分の身くらいは守れるはずだ。お金もしばらく生活に困らない程度の蓄えを母が置いていってくれた。

 そして彼女は──かつての自分(ナスベリ)は、両親と一緒に暮らす幸せな未来や、それを掴み取るまでの大冒険を夢見て村を出て行ってしまった。
 誰かに話せば引き留められるかもしれないし、逆にせいせいすると吐き捨てられるかもしれない。だから誰にも教えず、夜中にこっそり旅立った。

「馬鹿だったんだ、私」
 世間知らずなのは母でなく自分の方だった。旅に出て、すぐにそれを思い知った。
 狡猾な大人に騙され、持って来た大金はあっさり失ってしまい、パンの一つも買えずにいたら別の悪い大人が声をかけて来て、言葉巧みに誘い込まれた先で危うく売り飛ばされそうになった。
 母が自分を置いて行ったのは、安全な場所で待っていてほしかったからなのだと、村を離れた後でようやく理解した。

 散々な目に遭った。苦い経験を繰り返し味わった。
 ココノ村を、自分達親子に優しくない冷たい村だと思い込んでいた。
 でも、村の外にはもっと過酷で哀しい現実が数え切れないほど転がっていた。
 いくら魔女だからって、十三歳の少女が純朴なまま一人旅を続けられるはずが無い。
 旅に出てから八ヶ月後、ついに人を殺した。

「その直後、私達に会ったのね」
「はい」
 アイビーの言葉に頷く。そう、あれは初めて人を殺してしまい、限界寸前まで精神的に追い込まれていた時だった。追跡を逃れるため魔法使いの森の中へ逃げ込んだら、そこで二人の魔女に出会った。
 そのうちの一人がアイビーだった。
「ずっと忘れてたけど、あれが社長との出会いだったんだな」
「そうよ。まったく、思い出させるのに苦労したわ」

 アイビーはナスベリから事情を聞き、追跡してきた警官達との間に入って彼女の殺人が正当防衛だったことを証明してくれた。相手は街で名士として崇められている男だったが、錬金術に傾倒しており、裏ではさらってきた女子供を使って異常な人体実験を繰り返していた。強い魔力を持つナスベリもそれを理由に目を付けられ、危うく殺されそうになったのである。

 嫌疑が晴れた後、自由の身になったナスベリに対し、彼女が旅をしている事情を聞いたアイビーは故郷へ帰るべきだと諭した。
 でもナスベリは頷かなかった。
『村には帰りたいよ。でも、その前に父ちゃんと母ちゃんを見つけなきゃ』
 故郷を離れて、しばらくすると気が付いた。自分も結局、両親のことや冒険への憧れを言い訳にして息苦しいあの場所から逃げ出して来ただけなんだと。
 それじゃあ駄目だということも、この旅で学んだ。辛いことや苦しいことから目を背け、逃げ続けた人間はいずれ必ず腐っていく。
『あの錬金術師は、死んだ奥さんを生き返らせたかったんだろ。でも、アタイらは人間で神様じゃない。そんなことできないし、しちゃいけない。死んだ人は戻らないし、やってしまったことも無かったことにゃできない』

 ──母は、ただ恋をしただけだったのかもしれない。でも、そのせいで不幸になった人が確実にいる。
 父も、周囲から責められ蔑まれる日々に耐えられなかったのかもしれない。だからって何もかも放り出して無責任に行方を晦ませたからこうなった。

『アタイだけなんだ。あの二人の娘で、魔女のアタイが行かなきゃ駄目なんだ。他の誰も、あの二人のことを追いかけちゃやれないから』
 結局もう一人の魔女の説得にも応じず、必ず両親を見つけ出すと誓って少女はまた旅に出てしまった。いつか両親を見つけ出したら、アイビー達のところへ必ず顔を出すからと約束して。
 その、もう一人の魔女に指導してもらい、ナスベリはついにホウキと契約した。何故かどれだけ練習しても一向に上手く飛べなかったけれど、それでも移動範囲は格段に広がり、父や母の手がかりを見つけてから目的地へ向かう速度も向上した。

 おかげで、村を出てから一年以上が過ぎた頃ではあったが、ついに両親を見つけた。

「会えたのか?」
 クロマツの質問に、ナスベリは何も答えない。どう言ったらいいのかわからないという、そんな迷いが見える。
 でも、やがて小さく頷いてみせた。
「会えたよ……ただ、想像していた再会とは違った」
「どういうこと?」
「……」
 ナスベリは、やはり口を噤む。こればかりは言っていいものかどうか。聞いたらきっと後悔するだろう。けれど、ここまで話しておいて結末を教えないのは、それもまた残酷な気がした。村の皆は父と母のことも気にかけていてくれたのだから。
「……じいちゃんと、ばあちゃんは、いねえな」
 集まった老人達の中に祖父母がいない。その理由はまだ知らないが、少なくとも今この時だけはいなくて良かったと思う。あの二人にだけは絶対に教えられない。
「ナスベリ、君の祖父母は……」
 カズラが説明しようとする。彼女はそれを遮った。
 今はまだ、聞きたくない。
「後でな。とりあえず、先に話しておくよ。父ちゃんと母ちゃんの“最期”を」

 ──その日、母もまた、やっと父に追いついた直後だったらしい。魔女である彼女から一年以上も逃げ回っていたのだ。父はきっと、それだけ必死だったんだろう。
 けれど、とうとう再会した。目撃情報を探したナスベリは、あっさりと特徴の一致する二人が近くの宿へ連れ立って入って行ったと知り、その宿へ向かった。

「受付の人も、私が母さんと瓜二つだったからすぐに親子だと信じてくれた。それで部屋まで案内してもらったら、あの人は驚かせようって言って鍵を開けて、ドアが開くまでの短い時間、私はものすごくドキドキしてた」

 顔も覚えていない父。一年と二ヶ月ぶりに会う母。
 二人は自分を見て喜んでくれるだろうか? 娘が迎えに来たのだから、ココノ村へ一緒に戻ろうと言ってくれるだろうか?
 少し不安になった。簡単に説得することはできないかもしれない。でも、森で出会った二人の優しい魔女にも約束した。必ず会いに行くと。だから時間がかかってもいい。両親を説得して絶対に故郷へ帰る。
 長旅で疲れ切った心は一刻も早く帰りたがっていた。懐かしい友人達の顔が次々に脳裏に浮かび、生意気なカタバミや冷たい態度の大人達でさえ恋しく思える。


 ──けれど、ドアが開いた瞬間、もう二度と帰れないと悟った。


『ハッ……ハッ……チクショウ、チクショウ……どうして、どうして追いかけて来たんだ。お前が来なければ……お前さえいなきゃ、この、魔女め……!』

 父が、ベッドに横たわった母に、何度もナイフを突き立てていた。

『ひいっ!?

 受付の男が腰を抜かしてへたり込む。悲鳴を聴いて振り返る父。ほんのりと記憶の中に残っている姿とはまるで別人。真っ白な髪。殺意と憎悪で濁った目。血塗れの歪んだ形相。その顔がナスベリを見てさらに引き攣る。

『な、なんで……なんで? 殺したじゃないか、今……殺したじゃないか!?

 正気を失った彼には、自分の妻と娘の区別もつかなかったようだ。次の瞬間にはわけのわからないことを喚き散らしつつ襲いかかって来た。呆然としているナスベリの首を掴み、壁に叩き付け、顔面にナイフを突き立てようとする。
 だが、逆に黒い刃が彼の胸を貫いた。

『ナス、ベリ……』

 母が魔法で影を操り、攻撃したのだ。まだ辛うじて息のあった彼女は、夫と娘に最期の言葉を残す。

『ごめん……ね……』

 彼女は、妙に穏やかな表情で息絶えた。
 一方、父はまだ倒れなかった。胸の傷から流れた血の量に反比例して目に正気の輝きが戻り、表情も穏やかになる。そして彼は目の前にいるのが誰なのか理解した途端、自らの首へ刃を当てた。

『お前、ナスベリか……ああ、すまなかった。大きくなったな。本当にお前はリンドウと瓜二つだ。ごめんな、オレは、それに耐えられなかった』
『や、やめ……』
『全部オレ達二人のせいだ。だから、お前はこんな風になるなよ。他人の人生を狂わせて、傷付けてばかりの大人になるな。頼むから……幸せになってくれ』

 怯えて竦んでいるうちに、父は躊躇無く自身の首を掻き切ってしまった。
 血が飛び散った。倒れ込んだ彼を受け止め、ナスベリも壁に背を預けながらゆっくりと床へ座り込む。
 父の体の重みと、溢れ出してくる血の温もりが幼い頃の記憶を喚起させた。
 小さい頃、本当に小さかった頃には父もこうして自分を抱いて、そして子守歌を唄ってくれていた。
 村を出てからあの歌を聴いた覚えが無い。タキア王国、あるいはココノ村の辺りだけで伝えられているものなのかもしれない。

『……父ちゃん、母ちゃん……』

 呼びかけても、もう何の反応も無かった。いつの間にか、あの受付の男もいない。警察か何かを呼びに行ったのだろう。

 どうでもいい。

 この先のことなんて考えたくない。やっと家族三人が揃った。悲しくて辛くて、こんなにもやるせない状況なのに、今ここで時を止めてしまいたい。
 だから新しい魔法が生まれたんだろう。歌詞の思い出せない子守歌を父と母のため鼻歌で奏でた、その瞬間、自分の中で何かがカチリとハマッた。
 そして全て凍りついた。
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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