四章・生みの苦しみ(3)
文字数 3,635文字
「ハァ……」
今日も駄目でした。これに関しては一朝一夕に上達するものではないし、長い目で見るべき。仮に滞在中にできるようにならなくても、例の三つの課題さえクリアしたら村には帰っていいと言われています。
けれど、失敗を繰り返すうちに嫌でも理解できたのです。これまで私がどんな危険な行為を続けてきたのかを。
制御できない力は容易に事故を引き起こします。
それを私は、あまりにも気軽に扱い続けてきた。
意図せず誰かに大怪我をさせていたこともあるはず。
わかっていたのです。
でも、目を逸らし続けてきた。
「私には……魔法しか無かったから……」
ただの貧民の子。ゴミ溜めの中で育ち、知識を学ぶ機会は無かった。母が死に、守ってくれる存在も喪った。
そんな私が生き延びるには突然目覚めた魔力に頼るほか無かった。
けれど、いつからか境遇を言い訳にするようにもなってしまった。
私を虐げた大人達。助けてくれなかった大人達。蔑み、疎んじ、何もかも奪い取ろうとするもの。
大人は当時の私にとって全て敵だった。そう思い込むことで暴力を振るう自分を正当化していた。
そんなことは、もうやめよう。
ここに来て、ようやく決意できました。
(わかっています。とっくの昔に、何年も前から、全ての大人がそういう存在ではないのだと)
たしかに悪い人達はいます。けれど、そんな人達ばかりではありません。
いえ、悪人にだって、そうなってしまった事情があるでしょう。
かつての私のように。
だからこの訓練は続けなくてはなりません。もう二度と、私の力で無為に人を傷付けてしまわないように。
そう思って自分の両手を見つめた、刹那──
「?」
一瞬、腕の中に何か見えた気がしました。
「赤ちゃん……?」
見知らぬ赤子を抱いていたような、そんな錯覚。
もしかすると未来予知?
「どういうことですの、アルトライン?」
呼びかけに返事はありません。単なる私の勘違いだったのか、あるいはまたしても彼の神様らしからぬ茶目っ気か。
なんにせよ、不思議と元気が湧いて来ました。
「やるしかない……また、そんな風に考えてしまった」
でも違いますよね。
自分で選んだんです。
「やりたいからやる。だからこそ、ここへ来たのでしたわ」
浴槽には十分な水が溜まっています。ビーナスベリー工房は温度を操るのが得意な企業。この浴槽にも水を温めて設定した水温にしてくれる装置がついていました。
その装置のスイッチを押し、水が温まるまでの間、タライで汲んだ水と専用のブラシを使いクマちゃんを磨く私。毎日着用するものだからと水洗いできる設計にしてくれたそうです。ナスベリさんは凝り性ですこと。
「よく考えたら、今も一人ではありませんでした。貴方がいます」
お話はできない無口な同居人ですけれど、ナスベリさんが贈ってくれた大切な友達。今日も貴方のおかげで正体がバレず平穏無事に過ごせました。
「お礼に名前をつけてあげましょう。貴方の名前は、今日からクマハルです」
うん、我ながらしっくりきます。
これからもよろしく、クマハル。
やがて、お風呂から上がった私はクマハルを抱いて横になりました。どんな素材なのか外装は水を弾き、内部も例の空調機能を利用してすぐに乾かせるのです。本当に高機能な子ですわ。
「おやすみクマハル。明日も一緒に頑張りましょうね」
貴方がいても寂しさが消えて無くなるわけじゃない。
けれど、元気付けられます。
夢の中で村の皆にも会えたらいいのですけれど。
瞼を閉じた私の頬に、涙が一粒、輝きながら滑り落ちました。
大陸南東部、魔法使いの森の一角にて、クルクマはかつて自らも暮らしていた師の屋敷へと舞い戻り、単身で試練に挑んでいた。
「やれやれ……冗談が過ぎますよ師匠」
屋敷の地下に造られた広大かつ複雑な迷路。目当ての品はこの場所のどこかに隠されている。そこまではわかっている。
ところが魔法の灯りで照らし出されたその迷路は刻一刻と姿を変え、侵入者を翻弄していた。亡き師の高度な技術と性格の悪さの産物。他人を騙し、いたぶり、捻じ伏せるのが大好きだった彼女の心血を注ぎ込まれた趣味の悪い玩具。
ここがこうなっていることはもちろん知っていたわけだが、改めて目の当たりにするとため息しか出て来ない。
「アイビーさんに手伝ってもらえりゃ楽なんだけどな……」
彼女ならいちいち迷路など攻略しなくとも簡単に目標地点を探り当て、そこへの直通路を生み出せるだろう。もちろん魔力に乏しい自分に同じ芸当は出来やしない。スズランと組めば可能かもしれないが、彼女の場合まだ力加減が下手だ。目標の資料まで破壊されてしまっては意味が無い。
だから一人で来た。
愛弟子の復活がかかっているため、この課題に限りアイビーは協力的だ。頼めばついて来てくれただろう。もし彼女が駄目でもラッパス達の助力は得られたに違いない。
けれど邪魔だ。もちろん彼等は腕利きの魔道士なのだろうが、それでもここでは一人の方が良い。アイビーのような例外でない限り足手まといになる。
そのアイビーもこれからしようとしていることを考えると呼べなかった。魔法使いの森の中とはいえ、この屋敷の内部でなら彼女の監視も届かないはず。なにせあの才害の魔女ゲッケイの住居である。盗聴対策はバッチリ。
(私も、まがりなりにもスズちゃんの師匠ですから、この趣味の悪い迷路を利用して弟子の成長を促すことにしますよ。安全のため可能な限り調べ尽くしてからね)
それに目標物が複数あった場合、一つは手元に置いておきたい。何かがあった時の保険として。だからアイビーに知られたくないのだ。
「さあて師匠、勝負といきましょう。前回の直接対決は負けましたが、こういう戦いなら私だってそれなりに強いですよ」
虫が、膨大な数の虫達が集まって来て壁や床を這いずり回る。この迷路の中は罠だらけ。何も知らず踏み込めば一瞬で命を落とす魔窟。しかも壁が開閉したり、区画ごとスライドして組み替わってしまう仕掛けのため順路すらわからない。
でも、わからないなら虱潰しに調べつつ進めばいいのだ。いくらでも替えの効く小さな命を先行させて。
久方ぶりの出番に“
「待っててよスズちゃん。それにロウバイさん。すぐにアレを見つけ出して帰るから」
探しているのは師の遺品の一つ。アイビーにはホムンクルスに関する研究資料を取って来いと言われたが、そんな物は無いことをクルクマは知っていた。なにせ自らの手で焼却したのだ。
そう、師が遺した資料の多くはすでに無い。消し去った。どれに転生術式が仕込まれているかわからない以上、そうすることがベストだった。ヒメツルが体を乗っ取られかけた八年前の事件について知った後、すぐさま実行した。半分は怒り任せの行為だったことも否定しない。とにかくロウバイを復活させるのに必要な資料はもう存在していない。
たった一つを除いて。
何十年もの間、住み込みで働いていたクルクマにも、どうしても手を出せなかった場所。それがこの地下迷路である。ここのどこかに師しか入れない倉庫が隠されていて、彼女の完成させた“ホムンクルス素体”が眠っている。それさえあればロウバイの魔力に耐える器を造り出せるはずだ。
残念ながらここにあるという確証は無い。けれど師の遺品をまとめて処分した時、その中に素体が無かったことは覚えている。なら考えられる保管場所は他に無い。
──師が実験用に造り出した素体は三つ。うち一つは自分用の器に使い、魔力の出力が不足していたことから失敗作と断じられ廃棄された。
だが残る二体の行方は不明だった。一体目と同じように処分した可能性もあるが、師の性格を考えるとその線は薄い。他の資料が上の屋敷に遺されていた事実が本音を物語っている。そう、あのプライドの塊が失敗したまま黙っていられるはずが無いのだ。転生術を本命と定めた後もホムンクルスに関する研究は続けていただろう。
なら貴重なサンプルは必ずどこかで保管してある。
「そういうところは、本当に感服しますよ」
かつての自分なら無理だと思えば早々に見切りを付けてしまっていた。そんな後ろ向きな性格を改善してくれたことにも感謝している。
「でも、また復活されちゃ困りますからね」
虫達を操りつつ歩を進めるクルクマ。隠し倉庫で素体を手に入れたら他の遺品はやはり処分だ。師には永遠にあの世で待ちぼうけを喰ってもらう。
「スズちゃんから夢の世界でのことを聞きましたよ。今回も、せいぜい地団駄踏みながら見守っていてくださいな」
そう言って天井を見上げた彼女の顔は、ここにいない死者をせせら笑っている。
弟子というものは、知らず知らず師に似てしまうようだ。