一章・異なる強さ(2)

文字数 3,893文字

 快く受け入れられ、久しぶりにヒメツル時代の我が家へ入りました。記憶の中の八年前の状態と大きな違いは見受けられません。というより、変化がわからないほどにそのままです。
「綺麗……」
「ほんと、いつ来てもピカピカだよ」
 苦笑するクルクマ。彼女は定期的にここを訪れ、様子を見てくれていました。ゲッケイの時のことといい、こっちにも借りを作りっぱなしですね。
 そんな彼女と私が席についたのを見計らい、お茶を出すモミジ。この子は枝を自由自在に操って大概のことを器用にこなします。わざわざそのために作業用の枝の葉っぱを自分で落としたりもしていましたね。
『お言いつけ通り、清掃は欠かしておりません』
 少し自慢気な声の響き。たしかにこれは誇るに見合う仕事ぶりですわ。
 一方、私はさらなる申し訳なさに見舞われ、肩を落とします。
「そうでした、そんなことも命じていましたね」
 昔の私は掃除や整理整頓が苦手だったので、モミジに代わりにやるよう命令していたのです。あの日も当然帰って来るつもりでしたから、この子は八年間律義に言いつけを守り続けることに。
 来る日も来る日も無人の家を掃除し続ける姿を想像したら胃が痛くなってきました。
「うう……これからは毎日やらなくても構いません。貴女の気が向いた時だけ清掃なさい。家人のいない家なら、そうまで汚れることもないでしょう」
『わかりました』
 了承してから、けれど一拍の間を置いて問いかけて来ます。
『やはり、こちらへお戻りになられるわけではないのですね』
「そうです」

 頷き、そのまま俯く私。たとえオサカでの修行を終えたとしても、私が帰る家はここでなくココノ村の雑貨屋。両親が待つあの場所。
 再び村へ戻ってしまえば、もう二度とここへ来ることは無いかもしれない。
 いいえ、だからこそ──

「モミジ」
 顔を上げ、再び彼女に呼びかけます。
『はい、なんでしょう?』
「今回来たのは提案があるからです。話を聞いた上で、どうするか選んでください」
『提案……ですか?』
「そうです、これは命令ではありません。だから私には決められない。貴女が自分の意志で答えを出すしかない」
 そう、アルトラインとゲッケイの前で決断を下した私のように、貴女にも自分で自分の道を決めてもらいたいのです。
「できますか?」
『はい』

 やけにあっさり応じるモミジ。何も考えていないからか、それとも私の提案をある程度予測できているのか──いえ、そうではないはず。

「貴女は……まだ、私を信じてくれていますのね」
『はい。ご主人様、貴女は私を救ってくれました。あの時の暖かい光は今も覚えています。そして今も私に決断を委ねようとしている。人でなく木である私の意志をも尊重しようとなさっている。
 だから、ええ、信じています。仰ってください、どのような提案ですか?』

 そうまで言われては、私もその信頼に応えないわけにいかないでしょう。
 目配せすると、隣のクルクマも小さく頷きました。
 たとえモミジがどんな決断を下そうと、手伝うと、そう約束してくれたのです。
 わかりました、では言います。
 私は意を決して息を吸い込み、提案を投げかけました。

「モミジ……貴女、ココノ村へ来る気はありませんか?」

 ──計画はこう。まずはオサカで、この森の管理者アイビーさんに弟子入り。どれだけかかるか不確定ですが、とにかく修練を重ね実力を認めさせる。その上でモミジをココノ村へ移植したいと頼み、許しを得る。
 木の一本くらい無断で持ち去っても構わないと思われるかもしれませんが、そうはいかないのです。昔、魔法使いの森で育った木々なら研究者や好事家に高値で売れるかもしれないと考え、勝手に数本を伐採してしまったお馬鹿さん達がいました。
 ところが森から出る前にアイビーさんが現れ、全員こっぴどいお仕置きを受けることになったのです。何日も森から出してもらえず、やっと出られたと思ったら目の前に母国の軍隊が待ち構えていて、逮捕された彼等はさらに数年間牢獄に繋がれました。
 以来、誰も同じことをしようとはしません。無断で魔法使いの森の木を伐る行為が世界最強の魔女の逆鱗に触れるとわかった以上、できるはずもないのです。おそらく伐らずに持ち出す場合でも同じでしょう。

 話を聞いたモミジは、結論を出す前に私達に訊ねました。

『私をココノ村へ移植するとして、どのようになさるのです?』
「問題はそこなんだよなあ……」
 ため息と共に天を仰ぐクルクマ。仮にモミジが私の提案を受け入れ、さらに移植の許可が得られたとして、最後に立ちはだかる難問がそれ。ちょっとした砦ほどもあるこの子の巨体をどうやって遥か彼方のココノ村まで運ぶのか。
「たしかモミジさんは、根も動かせるんですよね?」
『はい。試したことはありませんが、おそらく歩くこともできます』
「う~ん、とはいえココノ村までの距離を徒歩で移動なんてしたら根が駄目になっちゃうだろうな。自殺行為だよ」
「時間もかかりすぎます。通れるルートがあるかも定かじゃありませんわ」
「なら、やっぱり空から行く? シマント港まで運んでもらえれば、そこからはあーしが船を手配するよ。シマント川を使えればもっと短距離の移動で済むけど、川じゃあ流石にモミジさんを運べるほど大きな船は入って来られないしね」
「港まで、ですか……」
 私の魔力ならモミジを運搬すること自体は可能だと思います。
「でも、この子の重量をどうやって吊り下げます? 普通のロープなんかでは絶対切れてしまうでしょう」
「呪術で強化しても、ここまで大きいと、ちょっとね……」
 ホウキに吊り下げて飛ぶとして、ロープやワイヤーをひっかける場所も柄以外にありません。だからあまり多くの本数を使うこともできないでしょう。
 ちなみにホウキにかかる荷重は無視してもOK。魔力障壁で保護しますから折れる心配はいりません。
 だからこの方法の場合、問題はやはりロープの強度。
「やっぱり工房に頼るしかないか」
「ですね、今のところは」
 ビーナスベリー工房は最先端技術と知識の宝庫。モミジを吊り下げられる強靭な素材も見つかるかもしれません。
「モモハル君に頼むってのは……やっぱり無し?」
「無しですわ」
 いつもの誤魔化しが効く些細な奇跡ならともかく、村の近辺に突然こんな巨木が現れた場合、絶対大騒ぎになるでしょう。そこからモモハルの願望実現能力が知られるとは限りませんが、リスクはできるだけ避けるべきです。
「とにかく工房へ行ってみましょう。あの会社の力を借りればなんとかできるかもしれません。どのみち行かなければならないのですから一石二鳥です」

 ただ、その前にモミジの答えを聞いておかないと。
 そう思った私にクルクマが待ったをかけます。

「スズちゃん、今日は遅いからやめておこう」
「え?」
「オサカへ行くのは明日にしよう。別に今日行くと約束したわけじゃないんでしょ?」
「ええまあ、数日以内に訪ねると連絡しただけです」
「なら焦る必要は無いよ。モミジさんにだって考える時間が必要だろうし」
「あ……」
 それもそうですね。気が急いて彼女にも結論を急がせるところでした。モミジにとって故郷を離れるかどうかの重大な決断ですもの、じっくり考えさせてあげなければ。それに本当に村へ連れて行けるのかも、まだわからないわけですし。
「ごめんなさいモミジ、急かすつもりは無かったのです。どのみち私、しばらくはココノ村に帰れませんもの。だからアイビーさんに認められて戻って来るまで、ゆっくり考えてらして」
『わかりました。今夜はここでお休みになられるのですね?』
「ええ、お願い。それから私、最近は自分でもけっこう家事をしてますの。何か手伝えることがあったら遠慮無く言ってください」
『頼もしいです。けれど、今日はお疲れでしょう。ゆっくりおくつろぎを』
「でも、何もしないのもかえって手持ち無沙汰で……」
「まあまあ、ここはモミジさんの好きにさせてあげなって。八年間ずっとこの日を待ってたんだから、素直に甘えた方が喜ばれるよ」
 そういうものですか? 私は眉をひそめつつモミジの淹れてくれたお茶へと手を伸ばし、一口飲んで、そして驚きました。
「うちのお茶?」
『以前の茶葉は古くなってしまったので、クルクマ様に補充を頼んだところそれを持って来てくださいました。ご主人様の好きな銘柄だと』
「なるほど……」
 そりゃ大好きですよ。なにせ私と母が二人で栽培したのが始まりのお茶ですから。今や我が村の名産品でもあります。
 あ、まずい──咄嗟に自分の顔に触れた時にはすでに遅く、目尻から溢れ出した涙が頬を伝い落ちていました。
『ご主人様?』
「気にしないでください、少し、帰りたくなってしまっただけ」

 情けなくも、初日からホームシックにかかってしまったようです。八年間ずっと傍らにあった気配がここには一つもありません。クルクマもモミジも大好きです。なのに、もうこんなにココノ村の人々が懐かしい。
 涙は止まりませんでした。静かに泣き続ける私の背中をクルクマが一定のリズムで叩きます。モミジの枝は戸惑うように目の前で右往左往していました。
 やがて彼女が切り出します。

『すぐに薬湯の準備を』
「ふふっ」
 その言葉を聞いて思わず笑ってしまう私。そうでした、昔から貴女は私が落ち込む度にお風呂の用意をしてくれていましたね。湯に浸かると憂さを綺麗さっぱり忘れられる。私がそう言ったばかりに。
 クルクマの言う通り、ここは素直に甘えることといたしましょう。私は涙を拭いながら母と同じ名前のお茶に、もう一度口付けました。
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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