Return of Happiness(28)

文字数 2,730文字

◇降雨◇

「どうして……やめてよ二人とも!」
 雨道はもう攻撃を中止した。装置としての防衛反応より彼自身の意志が勝った。こんなつもりではなかったのだ。ただ地球へ戻って欲しかっただけ。どのみち自分はここを離れられない。魔素が映し出す幻でしかないから。
「僕はいいんだ。本当の“浮草 雨道”じゃない! 彼の願いを叶えるための装置、その部品なんだよ!」
 そんなもののために争わないで欲しい。二人とも大切な姉なのに。どちらが傷付いても彼には悲しみと後悔しか残らない。

 だが雫と時雨の衝突は続く。互いに譲れない想いを剣に乗せてぶつけ合う。

「いい加減にしろ時雨! お前に何ができる? あいつを連れ帰って何をしてやれるって言うんだ!? 雨道はもう死んだ! あそこにいるのはお前の弟じゃない! ただその姿を真似ているだけの人形! 持ち帰ってどうする!? どう責任を取るっ!!
「違う! 姿が同じで記憶も持っているなら彼は雨道くんだ! なんだってする! 私が奪ったものを返してあげられるなら、どんなことでもしてみせる!」

 激突し、反発し、離れてはまた近付く。その攻防を繰り返す両者。一合ごとに衝撃が月を揺らし、空間の裂け目が増える。開始から一分と経たず月の中は迂闊に動き回ることもできない地獄の様相と化した。
 それでも空間の裂け目を巧みに躱し、あるいは剣で切り裂いて強引に打ち消し、戦闘を継続する両者。鏡矢同士の戦いのなんと凄まじいことか。
 しかし、やがて動きに差が出始めた。どちらが優勢かは一目瞭然。
「ハァ……ハァ……くっ!」
 汗をかき、疲労をにじませているのは雫だけ。対する時雨は≪生命≫の有色者。その力で無尽蔵の体力を獲得できる。怪我をしても数秒で癒える。長引くほど雫は不利になっていく。
(いける!)
 確信を抱く時雨。本来、雫は彼女より遥かに強い。だが今回は剣に迷いがある。彼女はそうじゃない。そんな違いも差を埋めていた。
「時雨さんが勝ちそう……」
「こ、これってどっちが勝つのが正解なの?」
「スズ姉、どうして? なんでこんなことさせてるの?」
 スズランなら止められるはず。いつもの彼女らしくない行動に戸惑うユウガオ。その頭に姉のアサガオが手を置く。
「黙って見てろ。多分、もうすぐだ」
 彼女にはなんとなく親友のやりたいことがわかって来た。
 それに、この戦いの結末も。

 ──直後、今までで一番重く鋭い一撃。障壁を足場にして受けた雫が足を滑らせ体勢を崩す。

 もらった! もちろん、そう叫んだりはせず即座に追撃へ移る時雨。素早く手の中で柄を回転させ、峰打ちに切り替えながら右肩を狙う。殺すつもりは無い。だとしても全力で打ち込まなければ雫には勝てない。相手は“真の鏡矢”なのだ。
 同時にアサガオは確信する。モモハルも決着を悟った。
(シグレさんの)
(負けだ)
「ッ!?
 体勢を崩した、そう見えた雫の姿が瞬時に時雨の視界から消える。超スピードで動いたわけでも何かのトリックを使ったわけでもない。ただ単純に、足場にしていた障壁を跳ね上げて顎にぶつけた。下からかち上げられて視線が上向き、結果的に相手の姿を見失ってしまう。
 経験の差が勝敗を分けた。時雨もたしかに歴戦の勇士。しかし鏡矢の当主である雫は他の者に任せられない“怪物”ばかり相手にしてきた。劣勢の中でもけして冷静さを失わず虎視眈々と逆転のチャンスを狙う。そんな彼女の姿にモモハルとアサガオは今までに見て来た一癖も二癖もある強者達を重ね見た。だから思ったのだ、雫が勝つと。
「上手いっ!」
 ヒルガオが驚いた時には、すでに決着がついていた。新たな障壁を展開して蹴り、一気に間合いを詰めた雫。時雨の右腕を掴むと、足払いをかけて足場の上へ引き倒す。さらにそのまま腕をひねり上げ、背中に膝を当てつつ肘の関節を極めた。無重力空間ではこれら一連の動作は難しいものだが、彼女にはやはり似たような状況での戦闘経験がある。魔力を放出して姿勢制御を行い、障壁を用いて自他の慣性を殺す。基本的な魔法さえ使えれば宇宙でも白兵戦は可能。
「終わりだ、時雨!」
 玲瓏を取り上げ、眼前に突き立ててやる。瞬間、何故か月の内部空間が激しく鳴動した。今までの戦いのダメージで月が崩壊しかけているのかもしれない。まずいなと思いつつも両手を使って油断無く拘束を続ける。やはり彼女としても時雨は簡単に制圧していられる相手ではない。
「くっ……くそっ……!」
「暴れるな馬鹿! 完全に極まっているんだぞ、お前の骨が砕けるだけだ!」
「そん……な、もの……すぐに、治る……!」
 自身の腕を破壊する覚悟で強引に抜け出そうとする時雨。雫は歯を軋ませながら懸命に抵抗を続けた。膂力の面では時雨に若干の分がある。我が身を省みなければなおさらに。
「痛みは感じるだろう! やめろっ!」
「ぐ、く、う……!!
 筋肉が断裂する音。皮膚にも裂け目が走り、血が溢れ出す。歯を強く食い縛りすぎて口からも出血。このままでは骨折どころか腕が千切れかねない。離してやるべきか? 雫の中にまたも迷いが生じる。
 そして疑念も。

(どうして私は、妹同然のこいつにこんなことをしてる?)

 意味の無い自問。答えはとっくに知っている。自分が“鏡矢”だからだ。鏡矢家の当主として人界の守護者に相応しい行動をとらなければならない。
「もうやめろ!」
 何度も叫ぶ。血を吐く思いで力を込める。責任を、使命を全うしたい。そのために大切な存在を自らの手で傷付ける。矛盾にしか思えない。でも止められない。
「いや、だ……!」
 時雨も諦めない。自身の全てをかけて戦いを継続する。彼女も雫も泣いていた。たとえ死しても殺めても、やはり譲ることはできない。
「スズねえ!」
「もう見てられないって!」
「……!」
 たしかにここが限界。スズランは仲裁に入るべく動き出す。このままでは、どちらかが死ぬまで終わらない。
 けれど、すぐに足を止めた。彼女より先に動いた者がいたから。

「姉さん、雫さん……お願いだから、やめて」

 ──一度は自ら拒絶し、突き放した二人。その眼前で膝をつく雨道。彼の両目からも涙が溢れ、水の珠となって空中を漂う。彼女達は言っていた、彼は優しい人だったと。ならこの状況を静観できるはずもない。ふうと息を吐くモモハル。
「なんとか間に合ったね」
「ええ……」
 スズランには最初から、モモハルには途中からこの光景が見えていた。こうなることが最善だと思った。だから二人も耐えていた。
 これでようやく落ち着いて話せる。魔力障壁で皆を包み、三人のいる場所へ移動させる彼女。
 アサガオがぽんと背中を叩いてくれた。
「お疲れさん」
「ありがとう。でも、まだ終わってないからね」
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登場人物紹介

 ヒメツル。薄桃色の髪で海を思わせる青い瞳。人々から「最悪の魔女」と呼ばれる十七歳の少女。世界最強の魔力を有し、その回復力も尋常でなく実質的に無限。才能には恵まれているが、師を持たず独学で魔法を使っており初歩的な失敗をすることも多い。十二歳前後から頭角を現し始めた。それ以前にどこで何をしていたかは謎。大陸南部の出身だという噂はある。

 ただでさえ美貌に恵まれているのに、それに魅了の魔法まで加えて馬鹿な金持ちを騙し、資産を巻き上げて贅沢な暮らしをしている。魔法使いの森の中に鎮座する喋って動いて家事万能の巨大なカエデの木「モミジ」が住み家。

 自由を愛し、宗教が嫌い。聖都シブヤで三柱教の総本山メイジ大聖堂に放火。全焼させて教皇以下の信徒達を激怒させ、討伐に向かった聖騎士団も悪知恵で撃退。以後は超高額の懸賞金をかけられ賞金首となるも、忽然と姿を消す。

 スズラン。生まれつきの白髪で青い瞳。最初は老人のような自分の髪を嫌っていたが、何故か反射光が虹色になると気が付いてからはお気に入り。

 ココノ村の雑貨屋の一人娘。ただし両親との血の繋がりは無い。赤ん坊の時、隣の宿屋の長男が生まれた夜、何者かによって彼の隣に置き去りにされた。その後、子供ができず悩んでいた隣家の夫婦に引き取られる。

 周囲には隠しているが強大な魔力の持ち主で魔法も使える。大人顔負けの知識まで数多く有しており、幼少期から神童と呼ばれる。

 両親の代わりに接客をしたり、服や小物を作って店に並べたりも。今や「しっかり者のスズランちゃん」の名は近隣の村々にまで知れ渡った。

 成長するにつれ賞金首の「最悪の魔女」そっくりになりつつある。村民達は薄々実母の正体を悟りつつ、彼女の幸せを願い、気付かないふりをしている。外部の人間と会う時は周囲の認識を阻害してくれるメガネをかける。友達の魔女から貰った。

 幼馴染のモモハルは自分の天敵だと思っている。だが、その割にはかいがいしく世話をする。周囲は二人が結ばれることを期待中。彼の妹のノイチゴは実の妹のように可愛い。

 モモハル。スズランがココノ村に置き去りにされる直前、宿屋の二階で生まれた少年。宿を経営する若夫婦の跡取り息子。後に妹も生まれる。プラチナブロンドで空色の瞳。母親似の顔立ちで中性的な美形。でも性格は完全に父親似。一途で尻に敷かれるタイプ。

 スズランとは姉弟同然の間柄だが当人は〇歳から異性としての彼女が好き。ある意味とてつもなくマセている。両親も妹も村の皆も大好きだけれど、一番好きなのは絶対的にスズラン。

 実はとんでもない能力を秘めており、育ち方次第では世界を滅ぼしてしまいかねない。その力のせいでスズランからは天敵と認識されている。天真爛漫だが人を驚かすのも好きないたずらっ子。

 スズランの心配をよそに、子供に大人気の絵本「ゆうしゃサボテンシリーズ」を読んでヒーローへの憧れを抱いてしまう。

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