Return of Happiness(20)
文字数 3,602文字
時雨と雨道は雨龍の同位体である。双子なので二人共がそうであり、そしてその事実は彼女と彼が、あの
だから彼等の人生にはいくつかの共通点がある。両親、出生にまつわるいくつかの事柄、鏡矢家との関係。
──異世界との関わりを持ってしまったこと。
時雨の罪とは雨音のそれと同じ。強引な手段で実の親から引き離され分家の娘となった彼女には、本家の雫を抑えて次代の当主となることが期待されていた。
なのに、鏡矢一族の子となった彼女よりも浮草家に残された弟の方が遥かに優秀だった。当主の座に固執していた養父は、その事実に激しく怒りを燃やしたのである。
『双子だろう……なのに、どうしてお前には弟と同じことができない?』
最初の頃は育ての両親も優しかった。けれど彼女が弟より劣っている存在だとわかると父は次第に変わっていった。母はそのまま優しかったけれど、成長するにしたがってその優しさが罪悪感の裏返しだとわかった。養母は養父が狂気に陥っていることを知りつつも、彼を止められない自分を憐れんでいただけ。愛されてはいない。それに気が付いたことで優しさも時雨を傷付ける刃となった。
──そんな養母が時々こっそり連れ出してくれたおかげで、実の両親や双子の弟と会うことはできていた。
でもやっぱり、本当の両親の目にも養母と同じような罪の意識が浮かんでいた。だから時雨にとって完全に心を許すことができた相手はたった一人。何も知らず、純粋に自分を姉と慕ってくれる弟だけ。
彼の存在だけが、彼女の心の支えだった。
『守らなきゃ……私が、雨道くんを守らなきゃ……』
時雨は気付いていた。もしも自分が父の期待に応えられなければ、あの男に見限られてしまったなら、その時、彼は弟を地獄に引きずり込む。不出来な姉を切り捨てて、今度は優秀な弟を実の両親から奪い取る。
それだけはさせない。絶対にさせない。そんなことはけっして許されない。
必死に努力した。それまで以上の研鑽を積み重ねた。血反吐を吐きながら少しずつ地力を上げた。父に、そして鏡矢本家に認められる領域を死に物狂いで目指した。
なのに、それでも弟には一度も勝てなかった。
『姉さん、あんな家、もういなくていいよ。うちに帰って来て』
雨道は何度も説得を試みた。両親とも話し合い、時雨をもう一度自分達の家族にすべく動いていた。
叔父に、そして父親の方針に反発していた雫も協力してくれた。それにより彼は、それまで知らなかった鏡矢家の裏の顔も知った。
不幸な結末は、往々にしていくつものすれ違いが重なり、編み上げられるもの。
彼は純粋に姉を救いたかった。時雨も弟の幸せを守りたかった。雫は弟妹同然の二人を助けたかった。当時の当主だった震一が救いの手を差し伸べなかったことにも、鏡矢の娘である静流が浮草家に嫁いで双子を産んだことにも、養父・霍参が狂気に走ったことにもそれぞれの事情があり、考えがあった。
歯車の狂い。ボタンのかけ違い。誤解の繰り返し。
端的に言えば、それこそが全ての元凶。
『もっと、もっと強くならなきゃ。もっと、成果を見せなきゃ……!』
思い悩んだ末に時雨は雨音と同じ選択をする。父を救うため禁忌に手を出してしまった彼女と同じように、弟を守るためそれに手を伸ばした。
異界渡り。
どうしても弟に勝てない。行き詰まり、活路を求め続けた彼女はこことは違うどこかへそれを求めた。異世界で想像を超える体験ができれば、もっと強くなれると思った。そこから生きて帰ることで実力を示せるかもと考えた。
でも、本当は現実逃避だったのかもしれない。ただ目の前の困難から目を背けて忘れてしまいたかっただけ。
その証拠に彼女はすぐに戻って来た。異世界には数日滞在したけれど、大した出来事があったわけじゃない。見たことのない生物をいくつか見て、異様な風景の中をただ漫然と歩いた。その程度。多少の危険こそあったが鏡矢の当主となるべく鍛えられていた彼女にとって大した試練ではなかった。
何も得られぬまま帰ると、交際を始めてからちょうど一年のその日、弟から婚約したというメールが届いた。
ようやく戻った娘を養父は叱責した。どこへ行っていたのかと。養母はいつものように時雨を庇った。けれど彼女自身は聞く耳を持たず、すぐに家から飛び出した。弟に会いに行くために。
祝福したかった。そしてもう一度決意を改めようと思った。弟はもうすぐ大きな幸せを掴む。自分はそれを守るため生きる。この先、どんなに辛いことがあっても絶対挫けない。諦めない。
異世界に行ったことで一つだけわかった。やっぱり自分には彼が必要だと。弟の存在が原動力になっているのだと。彼がいなくては何もできないのだと。
だから会いたかった。すぐにおめでとうと言いたかった。
そして、雨音と同じ過ちを犯した。
彼女の弟は死んだ。
ようやく落ち着きを取り戻した時雨はスズランから身を離す。恥ずかしい。大切な客人相手になんてことを。しかも年下の少女だと言うのに。
年下の少女と言えば──
「……鏡矢 雨音さん。彼女のお父さんは助かったそうですね」
「ええ」
異界渡りを行い、異世界から未知の病原菌を持ち帰ってしまった少女。彼女はその行動で自身の父を危険に晒してしまったが、偶然にも同位体・雨楽と出会ったことで救われた。雨音を救うため≪生命≫の力に目覚めた雨楽は、不治の病にかかった彼女の父まで癒してくれたのだ。
その一件がキッカケで、今やあの二人は同位体同士でありながら恋人という珍しい関係に発展している。
スズランから離れた時雨は立ち上がり、自分の右手を見つめた。すると、その手の平に橙色の光が灯る。スズランが周囲の認識を誤魔化してくれているので遠慮無くその輝きを強めた。
強くなっただけでなく、全身に広がっていく。彼女もまた雨楽と同じ≪生命≫の有色者。あらゆる傷と病を治癒し、肉体の強化も行える異能の持ち主。
でも、この力が宿ったのは弟が彼女の持ち帰った病のせいで命を落とした、その直後のことだった。
「正直、話を聞いた時には気が狂いそうになりました。私は間に合わなかったのに、どうして……と」
同位体なのに。ほとんど同じ両親から生まれ、似たような環境で育ったのに、雨音は父を救って、自分は弟を救えなかった。そんな理不尽なことがあるか?
もちろん筋違いだとわかっている。雨道の身に起きた悲劇は自分のせい。救えなかった責任も他の誰にも押し付けるつもりはない。こんな感情はただの八つ当たりでやっかみだ。自分には無かった幸運な出会い。それに恵まれた少女を羨んでいるだけ。
だから、ますます自己嫌悪を深める。
そして、その時だった。
「おさな! おさなっ」
「あはは、そうだね、お魚がいっぱいだ。
「ともき、なかなかおさかなっていえない」
「しかたないよ、まだ二歳だもん。
「わかんない。あゆゆ、ちっちゃいときのともみをおぼえてる?」
「うーん、初めて会った時は三歳だったから、もう今の友樹より大きかったしなあ。ああ、でも友美はあの頃からすごくしっかりしてたかも」
「ほらっ」
「でも普通は二歳なんてこんなもんだと思うよ。友美が特別しっかりさんだったの」
「そんなにほめないでっ」
「あはは、照れてる。このっ、可愛いな」
──中学生くらいの少女が一人、自分よりずっと幼い少女と、その弟らしき幼児の手を引いて通り過ぎた。スズランの術によって認識を阻害されているため時雨の存在には気が付いていない。
自分にそっくりな顔の“伯母”がそこにいると、全く気が付かなかった。
「……雨道さんの娘さんね」
「はい……
弟が死ぬ前、
「声をかけてあげませんか? 貴女がそう望むなら、すぐに術を解除します」
「やめてください」
時雨は即答する。スズランもその答えを予測していた。術はそのまま。
「私に、そんな資格はありません」
「……そう」
やはりそうなのだろうか? 過去の罪を忘れることはできない?
スズランの脳裏に二人の友人の顔が思い浮かぶ。クルクマとオトギリ。同じく贖い切れない罪を抱えた者達。
彼女達と同じように、自分も償い続けなければならないのか?
彼女達にも自分にも、自身を許せる日は来ない?
わからない。頭が回らない。いっそう強く後悔の念が押し寄せる。二度目の失敗。もう取り返しがつかないかもしれない。あの瞬間のことばかり考えてしまい、他を考える余裕が無い。
「ごめん……モモハル」
彼女はしばしそこで、時雨と共に水槽を見つめ続けた。