Celebrate the new chapter(C15)
文字数 3,444文字
ゲルニカが戻ると、彼等の世界ではすでに五日経過していた。向こうには一時間もいなかったのだが、時間の流れが大きく異なるためこうなってしまう。前回など数日向こうで過ごしたら半年も経っていた。
「すまない、遅くなった」
「まったくです、結婚したばかりの妻を置いて留守にしていい期間じゃありません」
塔の最上階で出迎えたディルは憤慨してみせる。必ず帰って来るとは信じていたけれど、こんなに待たされるとは思わなかった。
「向こうで何をしてらしたんです?」
「敵はすぐに追い返したんだけどね、念のためずっと離れたところに“父”を移動させておいたんだよ。また捜索からやり直しだ。彼等がよほど強運でない限り、すぐに再攻撃を仕掛けることは難しい」
なるほど、そんな大事な仕事をしていたと言われては、これ以上怒るわけにもいかない。ディルは素直に夫の労をねぎらう。
「おつかれさまでした」
「ありがとう、ところで、どうしてそんなセクシーな格好なんだい?」
ディルはネグリジェ姿。見間違いでなければ壁にかかっている時計の短針は午前十時を指している。まさか寝坊したわけではあるまい。
「帰って来たら続きをするのでしょう?」
「そうだった」
納得したゲルニカは彼女を抱き上げる。ディルもその行為を受け入れ、彼の首に両腕を回した。
互いの体温を確かめ、口付けをしてから歩き出す。
「とはいえ。まずは風呂に入りたいな」
「なら一緒に」
「そうしよう。ところでスズラン達は?」
「とっくの昔にお帰りに。特異点だらけの状態では、また大ごとになりますもの」
「それはたしかにそうなんだが、しかし申し訳ないな。せっかく来てくれたのに、別れの挨拶ができなかった」
「今度はこちらから参りましょう」
「う~ん、向こうで騒ぎが起きてしまうかもしれないが……短時間なら、まあいいか」
頷いて、それからふと思い出す。
「あ、シクラメン君は、まだこっちにいるかな?」
「彼女なら城の書庫に入り浸っていますよ。当面帰りそうにありません」
「ありがたい。新しい原稿を読んでもらわないと」
「そんなことより」
彼の顔を掴み、強引に振り向かせるディル。やはりこの人は生まれ変わってなお女心に疎いらしい。こっちは五日ぶりの再会だというのに他の女の話ばかりして。
「ようやく再会できたのです。今しばらくは私だけを見つめてください」
「わかった、夫婦らしくイチャイチャしよう」
「もう十分してるです」
ずっと横で聞いていたイヌセはうんざりした表情で呟く。この夫婦、どうやらこれからさらに甘ったるい一時を過ごすつもりらしい。胸焼けがしそうだ。
「かわいいよディル」
「あなたも素敵」
「お邪魔なようだし遊びに行っていいですか?」
ベタベタ、イチャイチャ。
まったく聴こえていない。
「じゃ、ちょっくらカジノにでも行ってくるです」
手を振り、その場から離れるイヌセ。けれどもう一度だけ振り返ると、少し寂しそうに微笑んだ。脳裏ではゲルニカを拾った時の記憶が再生されている。
思えば、あの瞬間から彼女の人生、もといマタンゴ生は色鮮やかに輝き始めた。感謝と共に言葉を贈る。
「せいぜい幸せになれです、息子よ」
「イヌセが母じゃ二代目が可哀想であります」
スパンと頭を叩くマッシュ。彼もずっとここにいたのだ。
「働けであります」
「ぐあー、はなせー」
飛び散った胞子を手で仰いで拡散させ、もう一方の手でイヌセを捕まえる彼。言いつつ、ゲルニカとディルを見つめる彼の眼差しにもやはり父性が感じられた。
──十日後、ココノ村ですっかり元通りの生活に戻ったスズランは久しぶりに隣の家の食堂を客として訪れる。そしてドアを開けるなり暇そうなレンゲと鉢合わせ。今日は他に客がいないらしい。
「あら、スズちゃんいらっしゃい。モモに会いに来たの?」
「そういうわけじゃないよ。ただ、今日は珍しくなんにもすることが無くて暇なんだよね。弟子達もあっちへ遊びに行っちゃったし」
「ああ」
異世界へ通じる扉。今までスズランが使用制限をかけていたあれは、今は行き先を聖母魔族の世界に設定した場合に限り自由に出入りできるようになった。当然、彼女がそれを許したからだ。
理由はいくつかある。家族が暮らす世界だからというのが第一。
そして──
「ムスカリ様も思い切ったわね。アカンサス様とシクラメン様の後押しもあったとはいえ、あの世界とこの世界とで交易を始めるなんて」
「向こうも要望していたことだしね。三柱教にとってあの世界は聖地でもあるから自由に行き来できると都合が良いし」
もっとも、向こうはこちらより文明が遥かに発展している。いきなり全ての人間に扉を公開してしまったら悪影響を受けるかもしれない。だから今は、とりあえずお試し期間という感じだ。ココノ村自体がそう簡単に外部の人間が入って来られない環境なので試験場としてはこれ以上無いほど相応しい。スズランの目が光っている以上、向こうから危険な物品や人材の流入が起こる可能性も低い。
本当の意味で自由な往来が可能になるのは早くとも半世紀後のことだろう。聖母魔族側からしたら大した時間ではないが、こちらにすれば気の長い計画となる。
「なるほど。ま、うちもお客さんが増えそうで何より」
まだ誰も来ていないが、それは向こうとの時流速度の差のせい。こっちでは十日経っていても、あちらはまだその四分の一。それに魔王級の者達がやって来ると先日の上位者のような脅威を呼び寄せてしまう可能性が高いため、一定期間内に渡航できる人数にも制限をかけるそうだ。
当然、五封装や大魔王のような極大重力持ちは滅多に来られない。
スズランの表情の変化に気付き、問いかけるレンゲ。
「スズちゃん、寂しくない?」
「うん……少しね……」
ゲルニカ達のことだけでなく、ミナのことも言われているのだろうと察し、素直に頷くスズラン。オリジナルのミナ──今の名はエヴリン──彼女とも向こうで別れた。理由は同じ。エヴリンと零央の重力のせい。
「……時々ね、私の中のマリアは“万物の父”を恨むこともあるの」
魂の重力なんてものがなければ、もっと平穏に生きられたかもしれない。大好きな家族と離れ離れになる必要は無かった。
「けれど、この力があるからこそ叶った願いもある」
魂は、いつか必ず巡り合う。
強く思い合う者同士は、どれだけ離れていようと引き寄せられる。たとえ生まれ変わり記憶を失っていたとしても魂に帯びた重力だけは大切な人達を忘れない。
だからこそミナとも再会できた。
「ねえ、スズちゃんは、まだ……」
「なに?」
「あっ、いや、忘れて。そうだ、モモが新しいデザートを考えたのよ。試食してもらおうかしら」
「わっ、楽しみ。どんなのかしら」
「ふふ、それはまだ秘密。すぐに用意させるから少しだけ待っててね」
「うん」
離れて行くレンゲ。勝手知ったる我が家のように空いてる席へ座ったスズランは、内心ため息をつく。
レンゲが何を言いたかったのか、本当はわかっている。
まだ、
「マリアはそう。でも、私は──」
独白しつつ思い出すのは二組の夫婦。ゲルニカとディル。そしてエヴリンと零央。そう、あの二人も結婚していた。会いに来たのはその報告のためでもあったらしい。
戦いの後、ようやくゆっくり話せるようになった時、エヴリンは泣きながら母マリアに抱き着き、語った。
『私、ずっとママに謝りたかった。でも久しぶりに会えて、そうじゃないってわかったわ。本当に伝えたかったのは感謝。ママのおかげで私、幸せになれたもの。ありがとう』
──彼女がミナの記憶を取り戻したきっかけは、彼女達の世界に“
(あの子が惹かれたのは当然ね)
零央は顔も性格も零示に瓜二つ。おまけに彼の子孫。零示に惹かれていたかつてのミナの記憶が蘇ったなら同じように恋心を抱いてしまっても仕方がない。
でも別れ際にミナは、いやエヴリンは、その推察を否定した。
『違うよママ。たしかに最初はミナの記憶に引っ張られていた、それは認める。でも私はエヴリンとしてレイジではなくレオを好きになったの。間違えないで』
彼女は言外に、自分にもそうしろと含めていたのだと思う。前世の記憶に囚われるなと。マリアではなくスズランとして恋をすべきだと。
もう一度ため息をつく。