13.  騒ぎのあとに

文字数 2,417文字

 ズボンを軽く引っ張られて、リューイは顔を向けた。
 助けた少年が、きらきらした瞳で見上げてきた。

「ありがとう、お兄ちゃん。仕事終わったら、見に行くね!」

 競技に出ると約束したことを思い出して、リューイは(たの)もしい笑みで応えた。それから(たる)を拾い上げ、中身を見た。底の方に残っている液体から、何かベリー系の甘酸っぱい香りがした。それがほのかな土のような匂いとあいまって漂う、アースリーヴェの樹海でも嗅いだことがあるような、少し(なつ)かしい香り。

「だいぶ無くなっちまったな・・・。」
「これ安物だから。お店の残り物で、もともと少ししか入ってなかったし。」
「俺が運ぶから、一緒に行こう。」
「ううん、一人で大丈夫。」

 リューイは樽を持たせてやり、微笑んだ。
 少年も微笑み返して、またよたよたと歩いて行った。

 シャナイアは、ブルグが去って行った方を一瞥(いちべつ)して、「いい気味だわ。」と、吐き()てた。

「私は気の毒でならないよ。」
 エミリオは本気で同情していた。木端微塵(こっぱみじん)になったのは、彼のプライドだけではないはずだった。自らを過大評価していたろうし、英雄気取りだったのだ。あの瞬間いろんなものを失い、ひどく孤独な思いをしただろう・・・と、エミリオは察して胸を痛めた。

 だがシャナイアの方は、一向にせいせいしたというふうだ。
「あら、いいのよ。さんざん迷惑かけられたんだから、あの成り上がりには。あいつはね、こともあろうにこの私を襲ったのよ。」

 するとレッドが、「襲おうとした・・・の間違いだろ。最終的に襲われたのは向こうだしな。」と、透かさず訂正して続けた。「悲鳴を上げておきながら、俺たちが駆けつけた時には、あいつ半分死んでたじゃねえか。」

 俺たちの〝たち〟に含まれている者は、スエヴィである。

 レトラビアでの仕事は、この国に人質に取られ解放された隣国の王女を、少数の軽装歩兵だけで護衛して無事に帰国させるというものだった。※ このような任務には、誇り高く忠実に任務を遂行(すいこう)すると認識されている傭兵(ようへい)を雇う国も少なくはない。特に、手練(てだ)れの傭兵を集め、少数の精鋭部隊に護衛させれば、守備力も高く小回りが利き近道ができる。さらに傭兵は気配を感じ取る感覚が特に鍛えられていて、反射神経にも優れている。つまり、不意打ちの攻撃に強い。

 そして、その任務についた傭兵部隊の隊長を務めたのがレッドであり、シャナイアはもともと王女の用心棒だった。※

 そして事件の起こった日、シャナイアが茂みへ連れ込まれたその手口というのが、後輩が足を怪我したなどという、ブルグのとんでもない嘘によるものだったのである。

 そして、思わず上げた彼女の悲鳴は、たまたま近くで食料の点検をしていたレッドとスエヴィの耳に届いた。ところが、共に剣の(さや)まで振り払ってその場へ駆け込んだとたん、二人はそろってつんのめり、間の抜けた声を漏らすことになる。何事かと慌てて駆けつけた二人がそこで目にしたものは、急所(股間)を両手で押さえて前のめりに倒れたまま、気絶している無様なブルグの姿だった。※

 以来、もともとあった、スエヴィの彼女に対する〝とびっきりのいい女〟という印象よりも、レッドの〝黙ってさえいればいい女〟という印象よりも、二人には〝おっかない女〟という印象が強烈に残ることになった。※

 シャナイアは、同情の余地なしとばかりに腕を組んだ。
「当然の報いよ。」

「それにしても呆れた男だな・・・リューイに救われたことは、分かっていないらしい。」
 ギルは、どうしようもない馬鹿だ、と言わんばかりの派手なため息をついて言った。

 ギルはその瞬間を見ていて、何が起こったかを知っていた。リューイが助けに入らなければ、あの男は、自分が犯したであろう過ちに対して、ひどく後悔することになっていたはずだ。人の心を持ち合わせていれば、冷静を取り戻した時そうなっていて当然だった。

 そしてそれに、エミリオの物静かな声が続いた。
「リューイに言われたことには、少し(こた)えていたようだけどね。」

「ブルグったら、ここ数年毎年来て、毎回余裕で優勝してるらしいわよ。それも自慢されたの。」
 シャナイアが言った。

「ところでお前、試合はどうした。」
 ギルがレッドにきいた。リューイが気になって会場から抜けてきたが、剣術の競技の途中だった。
「ああ三十分の休憩なんだ。屋台で昼飯買おうと思って。」
「それで私たちも切り上げてきたの。お腹すいちゃって踊りに身が入らないのよね。」

 この騒動に居合わせた者も野次馬も、すでにみな散って祭りの続きを楽しんでいる。
 そして美味しそうな匂いが、露店がすし詰め状態に並んでいる方向から漂っていた。リューイが鼻の頭を上に向けてくんくんとそれを味わい、ミーアがあれがいい、これが食べたいと言ってねだりだしたが、そのリクエストは甘そうなものばかり。

 かれらは昼食の相談をし、そろってそちらへ爪先を向けた。

 すると、すぐ近くで子供の可愛らしい声がした。

「お母さん、ありがとう!」

 反射的に振り向いた一行(いっこう)

 見ると、おもちゃの弓矢を買ってもらった男の子が、彼らのすぐそばを嬉しそうに通り過ぎていった。

「あのね、僕も弓の名手になる。」

 ギルは思わずドキッとした。

「夢ができたみたいだな。」
 レッドが言葉をかけた。

 それは何気ない一言だったが、ギルの胸に何か熱いものをこみ上げさせた。
 ギルははにかむような微笑みを浮かべて、母親に無邪気な笑顔をめいいっぱい向けている少年の背中を見つめた。




※ 『アルタクティスzero』― 「外伝3 レトラビアの傭兵」

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