7. 病気になったミーア

文字数 1,920文字

 ヴェネッサの町の上空には雲ひとつない澄み切った青空が広がり、そこに真昼近くの太陽が燦然(さんぜん)と輝いていた。

 その強い陽光に照らし出されているヴィックトゥーンの街路には、買出しに来ている飲食店員などが(せわ)しなく行き交う姿が見られる。その街路沿いには、朝から昼まで開かれる露店の市場が。そこでは毎日、威勢のいい声がしきりに飛び交っている。

 その大通りの市場を抜けた先にある曲がり角を行くと、なかなかに客足の好調な小料理店がある。その店は、ランチを取りにくる様々な者たち――ことに旅人や店舗の従業員――のために、つい先ほど昼の営業を始めたばかりだ。

 その小料理店の二階の一室で、静かに運動をしている男がいる。

 実際それは〝静かに〟とか〝運動〟などという言葉が適当な動きではなかった。それというのも動作は卓越(たくえつ)してキレがよく、だが、電光石火のスピードでハイキックや回し()りの型を取りながらも、見事な体のバランスによって、ほとんど音をたてないのである。それは、彼がただ者ではないと、ひと目で分からせる素早さ。

 その男、リューイは、ひと暴れしたくて・・・手強(てごわ)い相手と勝負がしたくて、うずうずしていた。リューイは、アースリーヴェの樹海を出てからこれまで、多くのならず者を相手にしてきたにもかかわらず、本気になったことも、思い切り体を動かしたこともまだない。どんな連中でも、ものの数秒で片付けてしまうからである。

 そのリューイが、ふと練習 ―― 武術の動功または技法 ―― を中断した。その部屋にはもう一人、まだベッドで眠っていたミーアがいる。その少女がやっと目覚めて、ゆっくりと顔を向けてきたからだ。

「やっと起きたか、おはよう!」

 リューイは、この爽快(そうかい)な天気にぴったりの笑顔でそう声をかけたが、それに対して、可愛らしく挨拶をしてくれるはずのミーアは、どうしたのか、どんよりとした曇り空よりも陰気(いんき)な顔をしている。仕草(しぐさ)も、寝起きのせいかひどくだるそうだった。

 様子がおかしいことに、リューもすぐに気付いた。その笑顔もいくらか怪訝(けげん)な顔つきに変わる。
「どした・・・元気ないじゃないか。」
「レッドは?」
 その口から出てきたのは、やっと聞き取れるほどの小さな(かす)れた声。
「あいつは今、下でおやじさんの手伝いをしてるよ・・・。」
 寝起きのせいではないその異変をさっと見て取ったリューイは、同時に(まゆ)をひそめていた。
「顔が赤いな・・・。」
「リューイ・・・。」
「ん・・・?」
「頭痛い。」
「頭痛い・・・?」

 リューイは、ミーアの小さな(ひたい)に片手を押し当てた。そして、とたんに狼狽(ろうばい)した。たちまち伝わってきたのは、室内の日陰になった場所だというのに、まるで灼熱(しゃくねつ)の太陽にずっと(さら)され続けていたかのような熱さだったのだ。

 (すご)い熱だっ・・・。

 声にせずそう(つぶや)くと、リューイは やにわにミーアを抱き上げて、部屋を飛び出した。そのまま、あわただしく階段を駆け下りる。

 一階は店舗で、ニックの小料理店だ。

 その騒々(そうぞう)しさのせいで、店じゅうの客や店員の視線を集めながら、リューイは、注文をとっている最中のレッドのもとへ駆け寄った。
 一方のレッドは、リューイがそばにやってくる前にはもう気付いていて、血相を変えている。
 リューイの腕の中で、ミーアは目を閉じたままぐったりしていた。

「どうしたんだ、ミー、ミナ⁉」
「凄い熱なんだ。」
 厨房(ちゅうぼう)から出てきたニックも、二人のそばであたふたと落ち着かない様子。
「なに、ミナちゃんが⁉ そりゃあ大変だ!」
「おやじ、この辺りで腕のいい医者はどこだ。」
 レッドは、伝票とミーアの体を無意識のうちにリューイと交換しながらきいた。
「このヴィックトゥーンには病院がないんだ。だが、腕のいい医者なら繁華街の方へ行くより、少し距離はあるが、丘の上のテオじいさんを(たず)ねた方が・・・。」

 そこへ、窓際(まどぎわ)の席から大声が上がった。

 声を張り上げて気を引いてきたその客は、窓の外を指差している。
「おい、そのテオじいさんの孫がそこにいるぞ。」

 そして、その近くにいるまた別の客が、もう窓から身を乗り出して、しきりに手招(てまね)きながらその人に呼びかけていた。
「おいカイル、ちょっと来てやってくれ。急患なんだ。」と。

 すると次の瞬間、店内は安堵(あんど)に包まれた。病気の少女を気使っていた客の誰も彼もが、そろって胸を()で下ろしたのである。万事解決といった穏やかな表情で。

 それを見たレッドも、よほど名の知れた名医なのだろうと安心して、大きな吐息(といき)をついた。

 ところが、やがて入り口に現れたその人を見るなり、レッドは目を(またた)いた。

 少年だったからだ。

 漆黒(しっこく)の髪に深い緑の瞳、俗に言う甘いマスクの少年・・・どう見ても十代 (なか)ばの。


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