⒔ 友情の芽生え
文字数 2,677文字
エミリオとギルは、荷物の中から取り出したバスタオル一枚という、その素性にふさわしくないワイルドな格好で、獲った魚を口にしていた。
水浸 しの下着とズボンは、太陽の位置から、今は日当たりが良い岩の上に広げて干している。日差しが強く天気が変わる様子もないので、すぐに乾くだろうと見込んでそうした。着替えが全く無いわけではないが、余裕もないので、時と場合は選びたい・・・というわけで、まずは乾かしてみることになった。
魚はもちろん、そのままかじりつく・・・などというワイルドなことはしないで、きちんと火を起こして焼いたものを食べている。ギルに指示されるままに小枝や枯れ草をかき集めてきたエミリオは、ギルが河原の石で作った簡素な設備に火を起こしてみせた時、その作業を感心しながら見つめていた。とはいえ、ギルも慣れているわけではない。彼はおぼつかない手つきで川魚を捌 き、即席の竈 に火を点け、やっとのこと魚の串焼きに成功したのである。
旅をするに当たって、ギルは、必要だと思うことは全て行き付けの酒場で習っていた。そこの店長や仲間たちを注意深く観察し、いやに熱心にあれこれと質問を投げかけたのである。だから、そこで見聞した道具に代わるものを、自然の中から直感で代用した。
その店では、ギルはすっかり人気者だった。無論、彼が皇太子であるとは誰も気づかずに接していた。ギルは、どこからともなく不意にやってきた放浪者を気取って、「しばらくいるつもりだから、よろしく。」と、素晴らしい演技力をみせ、堂々と言ってのけたのである。もっとも、ギルベルト王子の顔を知らない者などいなかった。だが彼は、有り得ないと思うことはなかなか認めないという人の心理をうまくつき、持ち前の人懐 っこい笑顔を振りまき、気の利いた軽口を使いこなして、彼らにとっては別の人格を見事に作り上げたのだ。
火に炙 られてパチパチと皮の弾 ける音がし、ほどよく焦げる魚の香ばしい匂いが漂っていた。味付けには、ヴェネッサの町で購入した岩塩を使った。
「どうだ、美味いか。」
ギルが魚の焼き具合を見ながら声をかけた。
「ああ、とても。」
エミリオは偽 りない笑顔で答えた。
ギルはホッとした笑顔をみせたが、そのあと、「言っておくが、そのうちこんな食事が続くからな。口に合わなくても無理やり食べさせるぞ。」と、脅 した。
エミリオは穏やかに笑って、「ああ。」と答えた。
エミリオは今、これまで覚えたことのない新鮮な気持ちに浸っていた。だが同時に、そんな感情に戸惑いをも感じていた。今朝や今のような、明るく楽しい気分になることは罪だとさえ感じていた。多くを不幸にして生きながらえたという罪悪感・・・その心がいくらか軽くなってしまう・・・。
彼 ―― 恩人 ―― は、私がいつまでも苛 まれることを望みはしないだろう。そう分かってはいても、エミリオには割り切れなかった。抵抗感があった。
私は、罪を背負って生きていかねばならない。だが・・・。
エミリオは、複雑な気持ちのままギルを見た。
かつて黒の鎧 に身を固め、敵の返り血を浴びて荒々しく戦っていたその男は、今は裸でただの煙を相手に奮闘し、しかも参ったと言わんばかりに激しく咳き込んでいる。
「ふ・・・。」
エミリオの口をついて、思わず笑い声が漏れた。
ギルは煙を手で払いのけながら、不思議そうな目を向ける。
「はは・・・ははは。」
エミリオの笑い声は、とたんに大きくなった。
「なに笑ってんだ。」
「いや・・・おかしいから。」
エミリオは笑いを堪 えようと必死になったが、肩が震えるのはなかなか止めることができない。
「俺の顔がか。」
ギルはわざと、拗 ねた子供のような顔をした。
「顔?いや、そうじゃない。」
「俺の顔見て吹きだしたぞ。」
「違うんだ、ギル。」
エミリオはたまらなくなって、掌で顔を覆った。
「妙なヤツだな。何がそんなにおかしいんだ。」
「すまない、その・・・何と言うか、君のその格好。」
言われてみれば・・・と、ギルも自分と向かいにいる連れの姿を見比べて笑った。
「お前もだろが。」
バスタオル一枚を腰に巻き、素手で魚にかぶりついている姿は確かに滑稽 だ。二人共に、仮にも王子と呼ばれる身分であったのに。それも、遠い昔の話というわけではない。
「君には私よりも、その煙の方が手強 いと見える。」
ギルは驚いた。エミリオがそんな冗談を言うとは。いや、本人は冗談を言ったつもりはないのだろう。だが、早くもエミリオが変わり始め、距離が縮まりつつあるのを感じて、ギルはホッとすると同時に嬉しくなった。
そのギルは、エミリオが上着を脱いだ時から、実は一つ意識して、しないようにしていることがあった。
それは、彼の右肩を凝視 すること。
そこには、明らかに斬りつけられた大きな傷跡 があった。
ギルはそれに内心ひどく驚き、ショックを受けてもいた。だから気になって仕方がないというのが本当だった。対戦した時に、エミリオに大きな痛手を負わすことができなかったギルは、ほかの者にこの男がやられたのを見て、プライドが傷つく思いだったのである。だが、フェアでない何か訳があったのかもしれない・・・そのような気もした。
しかしそれをどうしたのかと問えば、せっかくのその笑顔がサッと引いてしまうような不安を覚えたために、ギルは気にならないふりをし続けていたのだ。
「なあ、行けるところまで行ってみないか、俺と。」
不意に、ギルが言った。
エミリオは目を向けただけで、黙っていた。
「俺と行けるところまで行って、やれるだけやってみないか。」
その返事にはしばらく時間がかかったが、やがてエミリオはギルを見て微笑した。
「そうだな・・・。」
心地良い風が吹き抜けた。
二人は共に空を仰いで、のんびりと漂う浮雲 を眺めた。
この先どうなるか見当もつかないが、今はとりあえず、その日その日を成り行きに任せてみよう・・・本来思慮 深いはずの二人はいつになく、後先 も考えずにそう思った。
カキーンッ・・・!
突然上がった金属音が、その穏やかな沈黙を破った。
魚はもちろん、そのままかじりつく・・・などというワイルドなことはしないで、きちんと火を起こして焼いたものを食べている。ギルに指示されるままに小枝や枯れ草をかき集めてきたエミリオは、ギルが河原の石で作った簡素な設備に火を起こしてみせた時、その作業を感心しながら見つめていた。とはいえ、ギルも慣れているわけではない。彼はおぼつかない手つきで川魚を
旅をするに当たって、ギルは、必要だと思うことは全て行き付けの酒場で習っていた。そこの店長や仲間たちを注意深く観察し、いやに熱心にあれこれと質問を投げかけたのである。だから、そこで見聞した道具に代わるものを、自然の中から直感で代用した。
その店では、ギルはすっかり人気者だった。無論、彼が皇太子であるとは誰も気づかずに接していた。ギルは、どこからともなく不意にやってきた放浪者を気取って、「しばらくいるつもりだから、よろしく。」と、素晴らしい演技力をみせ、堂々と言ってのけたのである。もっとも、ギルベルト王子の顔を知らない者などいなかった。だが彼は、有り得ないと思うことはなかなか認めないという人の心理をうまくつき、持ち前の
火に
「どうだ、美味いか。」
ギルが魚の焼き具合を見ながら声をかけた。
「ああ、とても。」
エミリオは
ギルはホッとした笑顔をみせたが、そのあと、「言っておくが、そのうちこんな食事が続くからな。口に合わなくても無理やり食べさせるぞ。」と、
エミリオは穏やかに笑って、「ああ。」と答えた。
エミリオは今、これまで覚えたことのない新鮮な気持ちに浸っていた。だが同時に、そんな感情に戸惑いをも感じていた。今朝や今のような、明るく楽しい気分になることは罪だとさえ感じていた。多くを不幸にして生きながらえたという罪悪感・・・その心がいくらか軽くなってしまう・・・。
彼 ―― 恩人 ―― は、私がいつまでも
私は、罪を背負って生きていかねばならない。だが・・・。
エミリオは、複雑な気持ちのままギルを見た。
かつて黒の
「ふ・・・。」
エミリオの口をついて、思わず笑い声が漏れた。
ギルは煙を手で払いのけながら、不思議そうな目を向ける。
「はは・・・ははは。」
エミリオの笑い声は、とたんに大きくなった。
「なに笑ってんだ。」
「いや・・・おかしいから。」
エミリオは笑いを
「俺の顔がか。」
ギルはわざと、
「顔?いや、そうじゃない。」
「俺の顔見て吹きだしたぞ。」
「違うんだ、ギル。」
エミリオはたまらなくなって、掌で顔を覆った。
「妙なヤツだな。何がそんなにおかしいんだ。」
「すまない、その・・・何と言うか、君のその格好。」
言われてみれば・・・と、ギルも自分と向かいにいる連れの姿を見比べて笑った。
「お前もだろが。」
バスタオル一枚を腰に巻き、素手で魚にかぶりついている姿は確かに
「君には私よりも、その煙の方が
ギルは驚いた。エミリオがそんな冗談を言うとは。いや、本人は冗談を言ったつもりはないのだろう。だが、早くもエミリオが変わり始め、距離が縮まりつつあるのを感じて、ギルはホッとすると同時に嬉しくなった。
そのギルは、エミリオが上着を脱いだ時から、実は一つ意識して、しないようにしていることがあった。
それは、彼の右肩を
そこには、明らかに斬りつけられた大きな
ギルはそれに内心ひどく驚き、ショックを受けてもいた。だから気になって仕方がないというのが本当だった。対戦した時に、エミリオに大きな痛手を負わすことができなかったギルは、ほかの者にこの男がやられたのを見て、プライドが傷つく思いだったのである。だが、フェアでない何か訳があったのかもしれない・・・そのような気もした。
しかしそれをどうしたのかと問えば、せっかくのその笑顔がサッと引いてしまうような不安を覚えたために、ギルは気にならないふりをし続けていたのだ。
「なあ、行けるところまで行ってみないか、俺と。」
不意に、ギルが言った。
エミリオは目を向けただけで、黙っていた。
「俺と行けるところまで行って、やれるだけやってみないか。」
その返事にはしばらく時間がかかったが、やがてエミリオはギルを見て微笑した。
「そうだな・・・。」
心地良い風が吹き抜けた。
二人は共に空を仰いで、のんびりと漂う
この先どうなるか見当もつかないが、今はとりあえず、その日その日を成り行きに任せてみよう・・・本来
カキーンッ・・・!
突然上がった金属音が、その穏やかな沈黙を破った。
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