22. 人質

文字数 2,750文字

 一人離れていたベクターが、シャナイアに剣を取り上げられて戻ってきた子分に、そう命令していたのである。自分の後ろから観衆の方へ行かせて、目立たないよう密かに。

 そうして捕まえてきたのは、黒髪の少年。背後から首に腕を回されている。

「なに・・・これ。どうなってんの。」と、その少年は(うめ)いた。

「カイル・・・。」
 リューイは眉根(まゆね)を寄せる。嫌な予感が的中した気分だった。

 その時、一方では、エミリオやギルも行動を起こしていた。しかし、彼らがその子分の動きに気付いたのは、最初に狙われた一部の人々が、危機を感じて逃げだした時になってのことだ。そして、ミーアをエミリオに預けたギルがそこへ急いだものの、混乱を起こして無我夢中の人々に行く手を(ふさ)がれてしまっては、間に合わなかった。

 人々が逃げて行ったためにできた道の先で、ギルは今、カイルの診察器具(しんさつきぐ)類だけが(むな)しく散乱しているさまを見つめながら、渋面を浮かべて(たたず)んでいた。

 ベクターに首を押さえられ、もう片手に持っている短剣で(おど)されているカイルは、この状況を理解するのにしばらくかかった。この騒ぎに一時はおかしいと感じたものの、再び上がった歓声 ―― リューイの戦いぶりに上がった喝采(かっさい) ―― に、まだ競技が続いているものと勘違(かんちが)いしたのだ。そして片付け始めたところをいきなり襲われ、訳も分からないままに無理やり引き摺られて、気付いた時には(とら)われの身である。

「お前ら、さっさと戻ってこい!」
 親分が怒鳴った。

 リューイにさんざん痛めつけられた三人はふらつきながら、そしてレッドとジュリアスの前からは五人が、助かったとばかりに引き下がっていった。

 ようやく事態が呑み込めたカイルは、おずおずとレッドの顔色をうかがう。
「ごめん・・・。」

 レッドはベクターを凄い見幕で(にら)みつけていたが、その表情は勝ち誇った薄笑いを浮かべている男の方ではなく、カイルをぞっとさせた。

 ベクターは、動けないレッドを見て愉快そうに鼻を鳴らした。
「こいつぁいい。盗賊に育てられてたお前が、たかが人質(ひとじち)をとられたくらいで止まっちまうとはな。なんだ、そういう男になったわけか。汚ねえ手は使ってみるもんだ。じゃあ、目の前で何の罪もないヤツが殺されたりしたら、もっと嫌だろうなあ。」
 ベクターの顔が、さらに不敵で気味の悪いものに変わった。
「おい、今ここにいる全員よく聞け。」と、ベクターは声を張り上げた。「今からお前らの有り金全部いただいていく。逃げ出したヤツは・・・殺す。」

 そう言いながら、カイルの(ほお)に押しつけた短剣の刃先(はさき)を、ベクターはゆっくりと横へ動かした。一センチほど切られた皮膚から血が流れた。

 レッドは動悸(どうき)がし、眩暈(めまい)がする思いだった。卑劣(ひれつ)なその男に対してだけでなく、自己嫌悪があった。
 あの頃・・・勝てないと判断したら、ヤツはすぐに逃げ出していた。だが、今さら後悔してももう遅い。考えが甘かった・・・。

 レッドは、ベクターが残忍であるのを知っていた。そのはずだった。(なさ)けを持ち合わせておらず、女子供でもためらいもなく殺害し、状況がマズくなれば、簡単に子分を見捨てて退散するような男であるのを。下手に動くわけにはいかない。だが、金品を奪ったあとカイルを無事に返してくれるとも思えず、動かないわけにもいかなかった。まずは黙って見ているほか仕方がない中で、レッドはどうすべきかと悩み、唇を噛んだ。

 そんなレッドをジュリアスは横目にうかがい、リューイは(くや)しそうに固めた(こぶし)を震わせている。

 その間にもベクターの要求はさらに続いた。そばにいる手下の一人に、次の指示をだしていたのである。
「すぐに売れてくれそうなガキを一人連れて来い。この綺麗な坊主でもいいが、ガキは逃げ出さねえからな。面倒がなくていい。」

 二人の子分がすぐに動いて、エミリオたちがいる場所とはまた別の観衆の中へ割り込んでいった。仕方なく戻ってきたギルも、もはや妙な動きを見せるわけにもいかずに成り行きを見守っている。

 やがて、五、六歳ほどの少女が無理やり引っ張り出されてくるのが見えた。その時そこでは騒然(そうぜん)とし、当然親は激しく抵抗したようだったが、容赦(ようしゃ)ない暴行にあい、周囲の人々に止められたらしかった。

「また人質をとったのか? どういうつもりだ。」
「違うわ。」
 ギルのそのつぶやきには、シャナイアが答えた。
「あの子を連れ去るつもりだわ。人身売買のためよ。」

 エミリオとギルは蒼白になった。話に聞いていたそんな残酷非道なことが、まさに起こっている事実を、今ここで確認したからである。

 ベクターは、すぐに売れてくれそうなガキ・・・と言った。だいたい、五歳から十歳ほどの、特に容姿が魅力的な子供のことを指す。人身売買は闇の世界で成り立っており、この条件に合う売られた子供の行く末は、詐欺(さぎ)の手伝いや路上で物乞(ものご)いをして(かせ)がされることが多い。(あわ)れに思った人々が恵んだ金品は、その闇の組織の幹部が取り上げ、元締めの(ふところ)に集められる。人身売買は当然凶悪犯罪なのだが、表の世界にもそれを黙認し、利用する人間がいる。もう少し年齢が高くなれば、今度は転売されて様々な意味での奴隷に。男子では、そのほか炭鉱などの危険な場所での強制労働や、エドリース地方に連れて行かれて兵士にされるという話もある。見た目が良い方が利用価値が高いので、容姿にこだわる理由がそこにある。無慈悲な(やと)い主に買われた子供たちは、使えなくなるまで道具扱いされ、最後はがらくた同然に捨てられる・・・。

 エミリオは一歩下がり、ギルとシャナイアの背後に移動した。念のため、ミーアを隠したのだ。もし起きていたら、最前列にいるミーアは真っ先に目をつけられていたかもしれなかった。

「さらにマズいことになったな。この状況どうする。エミリオ、何か思いつかないのか。」
 ギルは背後にささやいた。
「今動けば犠牲者が出るだろう。彼らがここを離れたら追いかけて(すき)をつくしかないと思うが、問題は・・・。」
「ああ、馬だな。それに、お前が足を負傷しているのも問題だ。俺一人で、あの子を無事に取り返せるかどうか。」
「私も行くわ。馬ならブルグが乗ってたじゃない。あれをいただきましょ。」
 シャナイアは簡単にそう言ってのけた。




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