19.少年名医 - 2

文字数 2,395文字

 
 レッドは夢を見ていた。
 それはまた、過去の切ない思い出を再現した夢だった。

 降りしきる雨の中、(とどろ)く雷鳴。すぐそばから聞こえるはずなのに、彼女のひたむきな眼差(まなざ)しにずいぶん遠ざけられた。

 もう・・・この気持ちを(いつわ)ることは・・・。

 様子をみながら顔を近づけたレッドは、それに応えて目を閉じた彼女と、そのまま自然に唇を重ねた・・・。

 ところが。

 現実では、自然になんてものではない、とんでもないことが起こっていた。
 レッドが寝ぼけてキスをした相手は、あの医者の少年カイルだったのである。

 おかげで今、カイルは情熱的な抱擁(ほうよう)の手で頭をつかまれていて、ジタバタともがいているところ。

 レッドは、不意に目を覚ました。

 とたんに力が抜けたその隙に、やっと逃れられたカイルは、「わ、わわ、なななな何っ⁉」と、後ずさってレッドを見つめた。

 それを見つめ返したレッドは、朦朧(もうろう)としていた意識が急速にはっきりしていくのを感じた。

 そして気付いた・・・今起こった事件に。

「何はこっちのセリフだ! お前、俺に何をした!」

 レッドはひどい頭痛と気分の悪さを感じていたが、思わずそう喚いて体を起こしていた。自分の声がそのあとでガンガンと脳髄(のうずい)に響いてきて、そのせいかカイルのせいかは分からないが、急に吐き気を(もよお)した。

「毒が回ってたから薬を飲ませただけだよっ。意識が無かったから口移しで。」
「毒・・・ああ・・・。」
 やはりという声を漏らしたレッドは、こめかみに手をやって辛そうに顔をしかめていた。

「もうっ、気付くならその前にしてよ。」

 そこでレッドは、同じ部屋にスエヴィとジャックもいることに気付いた。

 スエヴィは呆気(あっけ)にとられた顔で、「相手が美少年でよかったな。けどお前、何見てたんだ。」

 するとジャックが、「察しはつくけどな。」と、いわくありげに続けた。

 レッドは、そう言って(のぞ)きこむような目を向けてきたジャックに、バツの悪そうな顔で応えた。
「ジャック・・・。」
「この町に戻っておいて、俺に一言の挨拶も無しとはな。レッド。」
「・・・悪い。」
「だがそのおかげで、お前が戻ったわけじゃないって分かったよ。」
 レッドは、苦渋の面持ちで下を向いた。

 それを見たジャックは、一つ大きなため息をついてみせた。

 この町にいると、おかしくなりそうだ。彼女が近くにいることを意識し過ぎているせいだろうか・・・とレッドは考えて重苦しいため息をついた。

 レッドがこの状況を理解するのに、時間はかからなかった。
 ここは、ニックの店の一室だ。

 まず、気分が悪くなって気が遠くなった。意識を失ったあとここへ運び込まれたのは、リューイが一人でしてくれたことに違いない。スエヴィはたまたま居合わせ、ジャックには恐らく、ニックがカイルを呼びに行くついでに知らせたのだろう。

 レッドは徐に顔を上げた。ジャックが、両手を広げて歩み寄ってくるのに気付いたからだ。

 そして二人は軽く抱き合い、何はともあれ、久しぶりの再会を喜び合った。

 そのあとレッドは、いくらかためらったが、ジャックを見てあえて笑顔できいた。
「あんたは・・・ちゃんと大切にしてやってるのか。」と。

 それに答えようとするジャックからは、かつて一流戦士だった時の面影(おもかげ)も、貫禄(かんろく)ももはや無かった。

 ジャックは、「ああ・・・結婚した。今は俺も、この通りただの農夫だ。」と、自嘲(じちょう)にも似た笑みを浮かべた。

 だが、その目の幸せそうな(きらめ)きをレッドは見て取った。
「あんたの人生だ。」
「ああ。悔いは無い。」
 戦士として素晴らしい経歴と腕を持っていたその男ジャックは、今度は(いさぎよ)い笑みで答えてみせた。

 その時、何の前触(まえぶ)れもなくカイルが頭に手を伸ばしてきたので、レッドは慌てたように身を引いた。彼の(ひたい)には、アイアスの紋章(もんしょう)を隠すための布が結び付けられているのである。

「な、何・・・。」
「何って、その布、汗でびしょびしょだよ。」
「あ、ああ自分でできるから。」
「そう? じゃあ。」
 カイルは、持参した大きな医療バッグの中から道具を取り出して、また違う薬をせっせと調合し始めた。

 その(すき)に布を外したレッドは、すぐ横にある水桶(みずおけ)の中の手拭(てぬぐ)いを絞って、さっと額に押し当てながらまた横になった。要するに、アイアスの紋章を見られないようにしたのである。アイアスであることは(ほこ)りだが、戦場では別として、普段の生活の中であからさまに驚かれたり、尊敬されたり、(うらや)ましがられたりということが彼は苦手だった。

「ヒダルゴリリイ(仮名)に触ったでしょ。」
 カイルは、薬の調合を続けながらいきなりきいた。

「え・・・。」

〝あなた、ヒダルゴリリイに触ったでしょう・・・。〟

 レッドの耳に愛しくて切ない声が甦り、そして脳裏には、そっと微笑む彼女の姿がまた浮かんだ。正直うろ覚えだったその名称も、おかげではっきりと思い出した。

「ヒ・ダ・ル・ゴ・リ・リ・イ。すぐに死ぬとかいうものじゃないけど、高熱が続くから、自然に治ると思って下手をすると危ない毒を持つ花だよ。知ってればそう警戒するほどのものじゃないけど、間近で大量にその花粉を吸ったりなんかすると、数十分もすればそうなるわけ。」

 ヒダルゴリリイ。それはこの大陸の限られた場所でしか生育しないと言われる、その花粉が軽い毒素を含むという植物だが、そういうわけで、レッドは以前にも一度その毒にあたっていた。なのに、その時の彼は、それを調べようという気が回らず、なおざりにしてしまったのである。

「何やってんだ、俺は・・・。」

 そう自身に(あき)れると同時に、いったいどんな格好のヤツだ、それは・・・と、レッドは思った。あの時、それをイヴにきちんと教えてもらってさえいれば、こんな情けの無い失敗を繰り返すこともなかったものを・・・。色とりどりの花々が咲き誇る中でうたた寝していたレッドには、どれがどれだか未ださっぱり分からなかった。


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