26. イメージチェンジ
文字数 3,232文字
一行はその夜、村の片隅にあるシャナイアの親戚 の家に招かれた。石材と木材で造られた二階建てで、裏手のすぐそこには、南へと広がる広大な森への小道がのびている。
息子が巣立ち、娘が嫁 いだために、この家には老夫婦が二人きりで住んでいた。そしてこの滞在期間中は、空いた長女の部屋をシャナイアが使っている。
重量挙げの競技の時も、そのあとの騒動の時も眠っていたミーアは、ここへ来てからは、その部屋のベッドに寝かされていた。
歓声にも悲鳴にも起こされなかったミーアに、昼下がりまでお手伝いをしてくれていたので、そのせいかしら・・・とシャナイアは考えたが、思い出されるのは、少しも疲れた様子など見せず、楽しそうに愛嬌 を振り撒いている姿ばかりだった。
一方、とっくに目覚めているミーアの方は、起きて早速 見つけてしまったドレッサーの前に座っていた。そして、あることを思いついて、鏡に映っている自分と真剣ににらめっこ。そうしながら、両手で掻き上げたり束ねたりと髪をいじっているところに、ドアが開く音がして、鏡の中にシャナイアが現れた。
「どうしたの?色気づいちゃって。」シャナイアは目を細めてからかった。「レッドに恋でもしちゃった?」
するとミーアは、鏡の中のシャナイアに言った。
「髪を切りたいの。」と。
「え? 切るって・・・どれくらい?」
「ばっさり。男の子みたいに。」
ミーアは振り返って、シャナイアをじっと見つめる。
「ねえシャーナ、切ってくれない?」
まだ幼いミーアはシャナイアと上手く発音できず、いきなりシャーナと呼んでいた。それがとても可愛らしいので、自分の名前を気に入っているシャナイアでも、ミーアにそう呼ばれる時は思わず口元が緩 んでしまう。
「怒られるわよお。」
「誰に?」
「レッドによ。」
「なんで?」
「なぜって・・・。」
シャナイアは、つい先ほど真実を聞いてきたばかりだった。ミーアの素性と、今に至った訳云々 の。カイルから彼女が仲間だと知らされたレッドが、あとでややこしいことになる前にと、もう半分どうでもよくなって打ち明けたのだ。それにレッドは、シャナイアのことをいい加減な女だと思っているわけではない。むしろ本心では、彼女の内面を高く評価している。
しかし、それとこれとは別問題。シャナイアは小声で唸 りながら少し考えたものの、結局は、ちょっとした悪戯 心の方が勝ってしまった。
シャナイアは、レッドの顔を思い浮かべてクスリと笑った。
「いいわ、切ってあげる。」
ドレッサーに近づいたシャナイアは、ミーアの両肩に手を置いた。そして、嬉しそうに鏡に向き直ったミーアに、鏡を通してにっこりと微笑みかけた。
その頃。
二階でのそんな出来事など露 知らず、レッドとリューイ、そしてカイルは、食堂で仲間がそろうのを待っていた。大人数分の料理が並ぶそのテーブルについているのは、この三人だけである。寝台が二つある老夫婦の寝室を割り当てられたエミリオとギルは、シャナイアが呼びにくるまで、その部屋にいて静かに寛 いでいた。
夫婦の部屋が空く理由は、これから会館で催される ―― きまって夜通しの ―― 打ち上げがあるためだ。
その夫人の方は、シャナイアと二人で客人・・・つまり一行のための御馳走を用意したあとは、すぐに出掛けてしまった。主人の姿は、一行がよばれた時にはすでになかった。しかし、それはもう打ち上げに行ってしまったという訳ではないらしい。夫人の話では、彼は、迎えに来た仲間と共に、森へ向かったのだという。松明 と、そして武器を手に取って。
「遅いな。あいつ呼びに行って、そのまま夢中になってやしないだろうな。」
シャナイアは今、エミリオとギルの所に違いない・・・と踏んで、レッドはそう言った。それをカイルは〝話に〟という意味にとったが、レッドの方では〝二人に〟という意味。
やがて、階段を ―― 一段ずつドタドタと ―― 下りてくる子供の足音が。段差の障害をゆっくりと突破してくるこの音は・・・と思っていると、それは軽やかなスキップに変わってやって来た。
「あ、来たみたいだよ。」
カイルが言った。
その気配に誰であるかは分かったので、レッドもリューイも「珍しく目覚めがいいな・・・。」と思いつつ、この食堂の入り口に目を向けていた。
そして、間もなく現れたのは、底抜けに明るい笑顔の小柄 な・・・少年。
「ねえ、見て見て、ほらっ!」
楽しそうにクルッと回ってみせた少年は、弾 かれたように席を立ったレッドに飛びついた。
レッドは顔面蒼白 になった。少年ではない! これはミーアだ。悪夢だ。
「なんてことに!」
「うわあ、可愛い。」
心からそう言ったカイルの声が、悲鳴を上げたレッドの声と対照的に響いた。
そこへ、あとから悠長に下りてきたシャナイアの登場となり、取り乱さずにはいられないレッドの矛先 は、たちまち彼女に向けられた。おおよそ察しはついていた。
「シャーッ! きさま、バカヤロウ!」
「ちょっと、シャーッて何よ⁉」
「おまっ、分かってんのか!」
「いいじゃない髪くらい。」
「くらいだあ⁉ いいか、国の最高階級のお嬢様にとって・・・髪型ってのは・・・たぶん・・・きっと、すごく重要なことなんだ(と思う)! それを勝手にこんな・・・こんなに短く・・・。」
「だって、まだ
「だからって・・・!」
肩の下まであった髪はばっさりと無くなり、ミーアはいきなりショートヘアーになっていたのである。だが、横の髪がふわりと耳にかかるよう少し残して、顔に対して大きな両耳がそこから覗 いているのが愛くるしい。ミーアは男の子みたいにと頼んだが、シャナイアが女の子らしさを損 なわないよう気を使ったのだ。レッドもこれなら可愛さにやられて許すだろうと。
「何てこった・・・何て・・・。」
レッドは力無くつぶやいて、呆然とした。元通りになるまで、いったい何日かかるだろう。こうなっては、選択の余地なく、いよいよ連れて帰れやしなくなっちまった・・・。
「いいじゃないか、レッド。ほら、可愛いし。」
そんなレッドをいい加減に宥 めたリューイの手は、その怒鳴り声に、急にしゅんとなったミーアの手を引き寄せていた。そもそもリューイには、レッドのその慌てふためきようの訳がさっぱりだ。
「なんだ、ずいぶん仲がいい・・・。」
この騒ぎを茶化しに下りてきたギルは、開けっ放しの入り口を潜るなり、後ろにいるエミリオを面白そうに振り返った。
「あは、驚いた。見てみろよ、可愛い坊やがいるぜ。」
「ミーアなのか、これは本当に愛らしいな。」
エミリオまでもがそう暢気 に相好 を崩したのを見ると、瞬間、レッドは眩暈 を引き起こしそうになった。
レッドは、リューイのそばで悲しそうに見上げてくるミーアの目を見た。
レッドに恋しちゃった・・・わけではないものの、今の彼は、ミーアにとって兄や父親のような存在。ミーアの方では、髪を切れば正体を誤魔化 せるし、「なかなかイイ感じじゃない。」と気に入っていたので、無邪気に何か褒 め言葉をかけてくれるものと、楽しみにしていたのである。
それを、レッドも分かっていた。
「いや・・・可愛い・・・けど・・・。」
困る! と、最後にはっきりそう言えず、口籠 もったレッドは、やがて観念したように深々と息を吐き出した。
「ああ、よく似合ってる・・・。」
息子が巣立ち、娘が
重量挙げの競技の時も、そのあとの騒動の時も眠っていたミーアは、ここへ来てからは、その部屋のベッドに寝かされていた。
歓声にも悲鳴にも起こされなかったミーアに、昼下がりまでお手伝いをしてくれていたので、そのせいかしら・・・とシャナイアは考えたが、思い出されるのは、少しも疲れた様子など見せず、楽しそうに
一方、とっくに目覚めているミーアの方は、起きて
「どうしたの?色気づいちゃって。」シャナイアは目を細めてからかった。「レッドに恋でもしちゃった?」
するとミーアは、鏡の中のシャナイアに言った。
「髪を切りたいの。」と。
「え? 切るって・・・どれくらい?」
「ばっさり。男の子みたいに。」
ミーアは振り返って、シャナイアをじっと見つめる。
「ねえシャーナ、切ってくれない?」
まだ幼いミーアはシャナイアと上手く発音できず、いきなりシャーナと呼んでいた。それがとても可愛らしいので、自分の名前を気に入っているシャナイアでも、ミーアにそう呼ばれる時は思わず口元が
「怒られるわよお。」
「誰に?」
「レッドによ。」
「なんで?」
「なぜって・・・。」
シャナイアは、つい先ほど真実を聞いてきたばかりだった。ミーアの素性と、今に至った訳
しかし、それとこれとは別問題。シャナイアは小声で
シャナイアは、レッドの顔を思い浮かべてクスリと笑った。
「いいわ、切ってあげる。」
ドレッサーに近づいたシャナイアは、ミーアの両肩に手を置いた。そして、嬉しそうに鏡に向き直ったミーアに、鏡を通してにっこりと微笑みかけた。
その頃。
二階でのそんな出来事など
夫婦の部屋が空く理由は、これから会館で催される ―― きまって夜通しの ―― 打ち上げがあるためだ。
その夫人の方は、シャナイアと二人で客人・・・つまり一行のための御馳走を用意したあとは、すぐに出掛けてしまった。主人の姿は、一行がよばれた時にはすでになかった。しかし、それはもう打ち上げに行ってしまったという訳ではないらしい。夫人の話では、彼は、迎えに来た仲間と共に、森へ向かったのだという。
「遅いな。あいつ呼びに行って、そのまま夢中になってやしないだろうな。」
シャナイアは今、エミリオとギルの所に違いない・・・と踏んで、レッドはそう言った。それをカイルは〝話に〟という意味にとったが、レッドの方では〝二人に〟という意味。
やがて、階段を ―― 一段ずつドタドタと ―― 下りてくる子供の足音が。段差の障害をゆっくりと突破してくるこの音は・・・と思っていると、それは軽やかなスキップに変わってやって来た。
「あ、来たみたいだよ。」
カイルが言った。
その気配に誰であるかは分かったので、レッドもリューイも「珍しく目覚めがいいな・・・。」と思いつつ、この食堂の入り口に目を向けていた。
そして、間もなく現れたのは、底抜けに明るい笑顔の
「ねえ、見て見て、ほらっ!」
楽しそうにクルッと回ってみせた少年は、
レッドは顔面
「なんてことに!」
「うわあ、可愛い。」
心からそう言ったカイルの声が、悲鳴を上げたレッドの声と対照的に響いた。
そこへ、あとから悠長に下りてきたシャナイアの登場となり、取り乱さずにはいられないレッドの
「シャーッ! きさま、バカヤロウ!」
「ちょっと、シャーッて何よ⁉」
「おまっ、分かってんのか!」
「いいじゃない髪くらい。」
「くらいだあ⁉ いいか、国の最高階級のお嬢様にとって・・・髪型ってのは・・・たぶん・・・きっと、すごく重要なことなんだ(と思う)! それを勝手にこんな・・・こんなに短く・・・。」
「だって、まだ
返す
気ないんでしょ。」「だからって・・・!」
肩の下まであった髪はばっさりと無くなり、ミーアはいきなりショートヘアーになっていたのである。だが、横の髪がふわりと耳にかかるよう少し残して、顔に対して大きな両耳がそこから
「何てこった・・・何て・・・。」
レッドは力無くつぶやいて、呆然とした。元通りになるまで、いったい何日かかるだろう。こうなっては、選択の余地なく、いよいよ連れて帰れやしなくなっちまった・・・。
「いいじゃないか、レッド。ほら、可愛いし。」
そんなレッドをいい加減に
「なんだ、ずいぶん仲がいい・・・。」
この騒ぎを茶化しに下りてきたギルは、開けっ放しの入り口を潜るなり、後ろにいるエミリオを面白そうに振り返った。
「あは、驚いた。見てみろよ、可愛い坊やがいるぜ。」
「ミーアなのか、これは本当に愛らしいな。」
エミリオまでもがそう
レッドは、リューイのそばで悲しそうに見上げてくるミーアの目を見た。
レッドに恋しちゃった・・・わけではないものの、今の彼は、ミーアにとって兄や父親のような存在。ミーアの方では、髪を切れば正体を
それを、レッドも分かっていた。
「いや・・・可愛い・・・けど・・・。」
困る! と、最後にはっきりそう言えず、
「ああ、よく似合ってる・・・。」
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