23. 凶悪な男

文字数 2,323文字

 一方、その可愛い少女は、恐ろしい風貌(ふうぼう)の親分の前へと訳も分からず連れていかれて、ただ恐怖のあまり泣きわめいていた。一度は親の元へ駆け戻ろうともしたが、すぐにまた乱暴に連れ戻されたため、もはや泣くことしかできない様子。その金ぎり声は、冷酷な男をむしょうにイラつかせた。

「うるせえっ、殺すぞ!」

 次の瞬間、小さな体がいきなり飛び上がって地面に転がった。ベクターが、カイルを捕まえていながら、少女の腹を何の躊躇(ちゅうちょ)もなく蹴飛(けと)ばしたのだ。

「なんてことをっ。」
 衝動的にカイルも身をよじったが、頬を(なぐ)りつけられ、駆け寄ることは(かな)わなかった。

「てめえもまた切られたいのか! おとなしくしてろっ。」
 ベクターは口汚く怒鳴りながら、顔を殴られてよろめいたカイルを、また背後から取り押さえ直した。

 少女はおなかを抱えて、泣きながら痛みにもがいている。

「許せねえ、あとで追いかけて思い切りぶっ飛ばしてやる・・・!」
 我慢の限界にきていながら、賢明(けんめい)にもリューイは一歩も動かず耐えている。

 凄まじい目つきで睨み続けているレッドの口からも、唸り声のような悪態が漏れた。外道が・・・。

 ベクターはほくそえみ、盗みにかかれという合図を送った。
 手っ取り早く済ませるために、子分たちは手分けして散っていった。

 思いも寄らないことが起こった・・・!

 急に悲鳴を上げたベクターが、手首をつかんでしゃがみ込んだのだ。捕まえていた少年に思い切り噛みつかれてのことだった。これにはベクターもたまらず、持っていた凶器を簡単に放り出していた。
 しかし、落とした短剣は、痛みが引いて手を伸ばすことさえできれば、すぐに届く場所にあった。

 拘束(こうそく)が弱まった隙にスルリと逃れたカイルは、少女を抱き上げて逃走していた。だが咄嗟(とっさ)のことで、足の向くまま闇雲(やみくも)に走り出したそこには、レッドもリューイも待ってはいなかった。カイルは、別方向へ逃げたのである。

 リューイが急いで駆けだし、同時にレッドも地面を蹴った。

 ベクターは、落とした短剣をもう拾い上げようとしている。

 くそ・・・!
 どうしようもなくレッドは(あせ)った。
 間に合わない!

 その男は、あわてて拾い上げた刃物をもう手放していたのだ。

 それは、逃げた少年の体を突き刺しはしなかった。ただ、右の(もも)をまともに()き切っていた。不自然な体勢のまま投げつけられ、位置が低かったことが幸いした。

 生々しい大きな傷を負ったカイルは、少女を(かか)えたまま足を()って倒れた。
 そこへ、一足遅くリューイが駆けつけることになった。

 ベクターに飛び掛っていったレッドの胸に、相手にとも、自分にともつかない怒りが突き上げた。

 応戦しようと、ベクターもあわてて武器を引き抜いていた。が、あっという間に()ね飛ばされ、その威力というより、迫力に押されて後ろへ倒れた。しかも、すぐに起き上がることができない。手足に力が入らないからだ。レッドの剣が向かってきた時、ベクターは武器をほとんど握っていただけだった。抵抗する間もなく、その気力さえ持てなかったのである。戦意など、武器を()ね飛ばされるよりも先に吹き飛ばされてしまった。

 子分たちが戻ってくることを予想して、ジュリアスは再び身構えた。
 ギルも今度は剣を引き抜きながら出ようとした。
 だが踏み出したとたん、どちらも不意に足を止めた。親分が倒されたのを見ていながら、その誰も動こうとしないからである。

 地面に背中をつけたまま動けない体に、レッドは正面から足を掛けた。

 踏みつけにされたベクターは、眉間(みけん)にきつく皺を寄せている凄まじい形相(ぎょうそう)を、震えながら見上げた。
 ライデルの陰で怯えていた少年が、仲間たちに守られるだけだった少年が、さっきはまるで、簡単に人肉を喰いちぎる獰猛(どうもう)な獣そのものに見えた。本気を出した時のとてつもない強さ、恐ろしさを、何たることか・・・今のわずか一瞬で思い知らされた。

 子分もみな立ち(すく)んだまま固まっている。下手に斬りかかろうものなら、今度こそ殺される・・・。それらにとって今、レッドの背中を見ているのも、飢えた猛獣の目と向かい合っているのも変わらなかった。

 レッドは足をずらして、そのままベクターの腹を(また)いだ。そうしながら両手で剣の(つか)を握り締め、切っ先を下にして構えた。真下には、すっかり血の気の失せた男の心臓が。

 思わず目を閉じたベクターのこめかみに、冷や汗が伝った。命乞(いのちご)いをしようにも、(かす)れた声すら出ない。

 観衆までもが、ぞっ・・・とした。

 ベクターはぎゅっと目を(つむ)ったまま唇を震わせている。

 レッドは舌打ちし、重い(うな)り声をあげながら剣を振り下ろした・・・!

「ひいいいっ!」

 恐怖で出なかった声が、断末魔の絶叫となってほとばしった・・・が、痛みを感じなかった。即死というわけではない。ベクターは、恐る恐る(まぶた)を上げる。依然として険しい顔つきのレッドを見ることができた。五体満足らしかった。
 そして、顔面すれすれのところには、殺されるかと思われたレッドの長剣。地面にめり込んで突き立っていた。
 それを確認したベクターは、そこから徐々に視線を上げていく。()てつくような目で見据(みす)えてくる切れ長の瞳と、目が合った。




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