10. 戦友
文字数 2,014文字
建物もまばらな田園風景の中をしばらく行くと、やがて視界一杯に、たわわに実った果樹園が広がってくる。
その中を真っ直ぐに通る丘の道を、まだ日差しの強い昼下がりに、のんびりと進む一人の少年がいた。肩から提 げた大きなカバンに手を添えて、陽光を受けてきらきらと輝く、よく熟 れた葡萄 の実を眺めながら歩いている。
「ようカイル。今、帰りかい。」
いきなりそう声をかけられて、その少年カイルが声のした方を見やると、葡萄畑の中から一人の農夫が駆け寄ってくる。がっしりした体格の中年男性で、肩まで袖 を捲 り上げて露になっている腕も、畑仕事だけで鍛 えたとはとても思えない逞しさを見せている。よく日焼けして黒光りしているその手は、一房の、大きな実をぎっしり付けた立派な葡萄を持っていた。
「うん、今日はウェズリーの住宅街まで行ってみたんだ。」
その農夫に向かって、カイルは声を張り上げた。
「そりゃあごくろうなこった。どうだい、一つじいさんに持って行ってやりな。」
葡萄の房 を掲 げてそう声を大にしながら、農夫も果樹園の坂道を下りてきた。
「カイルのおかげで、女房の具合もすっかりよくなったよ。だから、ほんの気持ちだ。あんたは金を取らないから。」
「うわあ、ありがとう。」
カイルは遠慮なく大喜びでそれを受け取ると、一粒つまんで口に放り込んだ。
「それで、奥さんは順調?」
「ああ。もうすぐ・・・生まれそうだ。」
少し照れ混じりに微笑 んで、農夫は答えた。
「やっと無事に。」と。
カイルは目を細くした。
「よかった。」
「俺が父親になれるのも、あんたやじいさんのおかげだ。あの時はもうダメだと諦 めかけたが・・・ほんとに、なんて礼を言ったらいいのか。」
するとカイルは、「呆 れた。」と返して、ムッとした。
「たぶん、そんなふうに思ってたのは、おじさんだけだよ。だって、彼女は決して諦めなかったし、その子もね。懸命に生かし、生きようとしてた。僕もおじいさんも彼女の中の可能性を救うことができたのは、だからこそだよ。そんな弱気で例えば戦場なんかに立ったら、すぐにやられちゃうんじゃないかなあ。」
カイルがあえてそんな皮肉を言ったことを、農夫も分かって苦笑した。
「きついな。あんたは、間違いなくじいさんを超えるよ。」
カイルはニヤっと笑って応えた。それから手を振ってさよならしようとしたが、ふと思い出して、挙 げかけた手を下げると同時にこう言った。
「そうだ、さっき、おじさんの知り合いの小料理店にさ・・・」
「ニックのところか。」
「そう、そのニックおじさんの店に、友達が三人来てたよ。と言っても、一人は小さな女の子だったけどね。で、一人は金髪の二十歳 くらいの人で、もう一人も、同じくらい若い精悍 な人だったな。二人共それこそ戦士みたいないい体してたけど、その人が大切だって言ってたあの子・・・妹にしては幼かったなあ・・・。あ、僕が何で知ってるかっていうとね、その子が発熱しちゃって、それでたまたま ―― 」
「ち、ちょっとカイルッ・・・。」
少年の両肩をいきなり掴 んで、農夫は話を遮 った。
突然のことに驚いて、カイルも硬直したまま彼の目を覗 き込む。
「その精悍な男・・・額 に赤い布してなかったか。」と、農夫はきいた。
カイルの目に、それはすぐに浮かんできた。鋭 い切れ長の瞳と、その上に確かにあったものが。
「うん、してたけど。」
「レッドだ!」。
やにわにそう叫んだ農夫の面上には、何よりも驚きが強く表れていた。しかしあとには、それに喜びのほかいろんな思いが入り混じってきて、みるみる複雑な表情になっていった。
「おじさんも知り合いなんだ。じゃあ、あの人いつもあの布してるんだね。」
カイルのこの言葉は、農夫の耳には届いていない。その視線もこの時、カイルの顔からは明らかにズレた所にあった。
「そうか、あいつ・・・だが、どういうつもりで・・・。」
彼は、カイルには意味不明の独り言を呟 いている。
肩を掴 まれたままのカイルは、その肩をすくった。
「おじさん、僕そろそろ・・・。」
ハッと気づくと、彼はやっと両手を下ろした。
「おお、悪い。」
「それじゃあ、お仕事頑張ってね。」
「おう、お前もな。」
農夫と笑顔で別れたあと、丘の坂道を上がりきったカイルは、やがて小さなアーチの橋を渡った。さらさらと緩 やかに流れる小川に架 けられた橋。それを渡って少し行くと、右手に、ぽつんと佇 む平屋作りの家がある。木材と煉瓦 で建てられたそれが、カイルとその祖父の住居だった。
その中を真っ直ぐに通る丘の道を、まだ日差しの強い昼下がりに、のんびりと進む一人の少年がいた。肩から
「ようカイル。今、帰りかい。」
いきなりそう声をかけられて、その少年カイルが声のした方を見やると、葡萄畑の中から一人の農夫が駆け寄ってくる。がっしりした体格の中年男性で、肩まで
「うん、今日はウェズリーの住宅街まで行ってみたんだ。」
その農夫に向かって、カイルは声を張り上げた。
「そりゃあごくろうなこった。どうだい、一つじいさんに持って行ってやりな。」
葡萄の
「カイルのおかげで、女房の具合もすっかりよくなったよ。だから、ほんの気持ちだ。あんたは金を取らないから。」
「うわあ、ありがとう。」
カイルは遠慮なく大喜びでそれを受け取ると、一粒つまんで口に放り込んだ。
「それで、奥さんは順調?」
「ああ。もうすぐ・・・生まれそうだ。」
少し照れ混じりに
「やっと無事に。」と。
カイルは目を細くした。
「よかった。」
「俺が父親になれるのも、あんたやじいさんのおかげだ。あの時はもうダメだと
するとカイルは、「
「たぶん、そんなふうに思ってたのは、おじさんだけだよ。だって、彼女は決して諦めなかったし、その子もね。懸命に生かし、生きようとしてた。僕もおじいさんも彼女の中の可能性を救うことができたのは、だからこそだよ。そんな弱気で例えば戦場なんかに立ったら、すぐにやられちゃうんじゃないかなあ。」
カイルがあえてそんな皮肉を言ったことを、農夫も分かって苦笑した。
「きついな。あんたは、間違いなくじいさんを超えるよ。」
カイルはニヤっと笑って応えた。それから手を振ってさよならしようとしたが、ふと思い出して、
「そうだ、さっき、おじさんの知り合いの小料理店にさ・・・」
「ニックのところか。」
「そう、そのニックおじさんの店に、友達が三人来てたよ。と言っても、一人は小さな女の子だったけどね。で、一人は金髪の
「ち、ちょっとカイルッ・・・。」
少年の両肩をいきなり
突然のことに驚いて、カイルも硬直したまま彼の目を
「その精悍な男・・・
カイルの目に、それはすぐに浮かんできた。
「うん、してたけど。」
「レッドだ!」。
やにわにそう叫んだ農夫の面上には、何よりも驚きが強く表れていた。しかしあとには、それに喜びのほかいろんな思いが入り混じってきて、みるみる複雑な表情になっていった。
「おじさんも知り合いなんだ。じゃあ、あの人いつもあの布してるんだね。」
カイルのこの言葉は、農夫の耳には届いていない。その視線もこの時、カイルの顔からは明らかにズレた所にあった。
「そうか、あいつ・・・だが、どういうつもりで・・・。」
彼は、カイルには意味不明の独り言を
肩を
「おじさん、僕そろそろ・・・。」
ハッと気づくと、彼はやっと両手を下ろした。
「おお、悪い。」
「それじゃあ、お仕事頑張ってね。」
「おう、お前もな。」
農夫と笑顔で別れたあと、丘の坂道を上がりきったカイルは、やがて小さなアーチの橋を渡った。さらさらと
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