9. 少年名医-1

文字数 2,571文字

 レッドは、自分から見ればずいぶん細身で、しなやかな体格のその少年を眺めた。この華奢(きゃしゃ)な体のどこに、そんな不思議な能力があるのだろうかと。レッドには、この目の前の少年が、霊能力など持たない自分よりも、遥かに平凡な普通の人間に見えていた。

 それでレッドは、また思わず眉間(みけん)に皺を寄せてしまった。
「精霊使い?あんたが?」
 カイルが振り向く。
「またそんな目で見る。」
「いや、悪い・・・つい。話に聞いたことはあるが、あんまりそういうのとは縁が無かったもんでな。」
「ていうより、僕が若すぎるからって言いたいんでしょ。新患の人にも、よく頼りないとか思われるみたいなんだよね。でも、僕はこれでも精霊術は六才から、医術は八才からおじいさんにみっちりと仕込まれたんだから。おじいさんは神精術師だけどね。それで、ずっとそのおじいさんの助手を務めてきたし、今日これからも、帰ったら午後の診察が待ってるんだ。おじいさんのもとには毎日 患者(かんじゃ)が絶えないんだよ。だから経験も豊富ってわけ。少しは安心できた?」

 カイルはそう口を動かしながらも、手は着々と医師としての仕事をこなしていた。病状にあった薬を調合するといった作業である。正真正銘、カイルは縫合(ほうごう)や骨折の治療なども問題なくこなす名医だ。

 しかし、カイルがそう話したあとの反応がまた返ってこないので、カイルがまた振り向くと、レッドは、その少年がシートに広げたものや、開いたままのカバンの中身をじっと(のぞ)き込んでいるところだった。瓶詰(びんづ)めにされた色とりどりの粉末や、ドロドロした毒々しい色の練り薬・・・得体の知れない怪しげなものに見えてならないものに、釘付けになっていた。

「説明しようか。」
「ああ、いい・・・悪い。」
 レッドは苦笑しながら首を振った。
「えっと、それで・・・容体は?」
「心当たりないの?」
「え・・・。」
「あなた旅人だよね。ここで初めて見るから。」
「ああ。」
「いつ、何でこの町に着いたの?」
「昨日だ。徒歩で。」
「疲労だよ。」と、カイルは答えた。「内臓には異常なし。幼い子供の体は小さいから、やたらに触る必要がないんだ。この町は周囲をほとんど荒野(こうや)に囲まれているからね。ずっと野宿してたんでしょ? それで、急にベッドで寝たもんだから体が安心しちゃって、たまっていた疲れがいっきに熱を出させた。それと環境の変化かな。荒野の夜と室内じゃあ大違いだからね。幼い子供の体は繊細(せんさい)なんだから、もっと気を使ってあげないと。」

 ミーアを連れてトルクメイ公国を出発したレッド。途中までは、あちこちで走り回っている乗合式の大型 (ほろ)馬車(この時代のいわゆるバス)を乗り継いで来ることができるが、エヴァロンの森から先は完全徒歩の旅になる。間に町は無い。

 だが、およそ百キロに及ぶ荒野までしばらくは村が点在しているので、そこで井戸から水を分けてもらったり、交渉して食料を売ってもらうことなどできる。どこの村でも家畜を育て、農業を営んでいるのが当然で、村人たちはそれに()れており、利益を見越(みこ)したじゅうぶんな(たくわ)えを持っている。ほかにも、燃料や消耗品(しょうもうひん)補充(ほじゅう)できる小さな店を構えている所も多い。

 カイルは、調合した薬を手際(てぎわ)よく小分けにしたあと、その一つを水に溶いたものを持って、やっと椅子に腰掛けた。
「はい、ミナちゃん口開けて。」

 ミーアは、カイルのわざとらしくも見える(さわ)やか過ぎる笑顔を、疑わしそうに見上げる。それから、口元に運ばれてきた器の中身を見つめて、あからさまに顔をしかめた。いかにもまずそうな、どす黒く(にご)った黄色い液体が入っている。

「お砂糖を混ぜてあるから。ほら、あーんしてよ。」

 そうして、カイルに後頭部を支えられると、ミーアはしぶしぶおちょぼ口を開けて、薬をすすった・・・が、その液体が口に流れ込んでくるなり、思いきり顔をくしゃくしゃにして、べそをかいた。

「・・・嘘つき。」
 派手に顔を背けて、ミーアはそれ以上を拒絶した。

「今は我慢して、これをちゃんと飲みきったら、頭痛は真っ先に治るよ。頭痛いだろ?」
「うん・・・。」
「じゃあ、これ飲んでゆっくり休むこと。そしたらすぐに熱も下がって、ずっと楽になれるから。」

 カイルとミーアがそんな医師と患者の会話をしているそばで、カイルに説教をされたレッドは、トルクメイ公国からこの町へやってくるまでのミーアを回想していた。

 しかし目に浮かぶのは、いつでもどこでも元気いっぱいに振舞(ふるま)う健康そのものの ―― レッドにはそのように見えた ―― 姿ばかり。疲れた様子など少しもみせなかったが、本当のところはかなり無理をしていたのだろうか。そう思い、レッドは自身の至らなさを恥じて視線を落とした。

 レッドが呆然(ぼうぜん)と考えているその間に、露骨(ろこつ)に顔をしかめながらも、ミーアは(かしこ)く薬を飲みきっていた。
 カイルも散らかしたものをすっかり片付け終えて、手早く帰り支度を済ませている。
 気づけば、木製のサイドテーブルには、三角に折られた薬包紙(やくほうし)が八つ置かれていた。

「これから汗をたくさんかくから、こまめに()いて着替えをさせてね。薬は毎食後に一袋ずつ、こうして水に溶いて飲ませてあげて。食事は食べ(やす)いものを。明日の朝には、熱もだいぶ下がってるはずだから。」

「・・・ありがとう。」

 レッドは、この少年に対してもっと多くを伝えたい気がしたが、上手く頭の中でまとめられずに、結局ありふれたこの一言で済ませてしまった。それと同時に、今は自然な目で彼を一人前の医師として見ている自分に気付いた。

「じゃあ、僕はこれで。」
 カイルが、椅子からすっと立ち上がった。
「あ、そうだ代金・・・。」
「これからランチをいただくけど。」
「いやでも、薬が出てるし、あんたもそれじゃあ――。」
「じゃあ、ミナちゃんの病気が治ったらってことで。お大事に。」

 カイルはニコッと笑ってそう言うと、彼に返事の余地を与えず、さっさと部屋を出て行った。

 レッドは少し唖然(あぜん)(たたず)んだ。

 だがここで、もう一つ、やっと気付いたことがあった。
 それは、カイルのあの笑顔。患者と向き合っているその間、不思議と人を安心させられる、あの笑顔のままでいられるそれこそ、医師としての貫禄(かんろく)よりも名医に必要な要素であることに。

「カイル・グラント・・・か。」
 その少年の姿を思い浮かべて、レッドは(つぶや)いた。



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