⒒ 鎮魂歌(レクイエム)
文字数 2,306文字
森にはうっすらと霧がかかり、視界が悪い。その中を、ギルはよく注意しながら目を凝 らして進んだ。
すると、風に乗ってかすかに聴こえてきたのは歌声。男性の少しハイトーンで、魂を揺さぶられるような甘くて優しい音色・・・エミリオの声だ。
ギルは、何だか意外だと驚くと同時に気付いた。その声が、どこかもの悲しげに響いていることに。
ともあれ、相棒の姿をこうしてすぐに見つけることができて、ほっとした。
エミリオは、腰掛けるのにちょうどよい平らな岩に座っていた。
その美しい旋律 のバラードを、ギルは知っていた。ギルはどう声をかけようかと一瞬悩んだが、すぐに思いつくと、エミリオの声に合わせて歌いながら、背後から近付いて行った。
いきなり声が重なってきたことに、驚いた様子でエミリオが振り向く。
それに微笑を向けただけのギルは、止めずに隣にきて歌い続けた。
エミリオの方は思わず歌い止めていたが、ギルの横顔を見上げて微笑み返すと、再び合わせて歌い始めた。
滑 らかに響くやや高めの声の調子と、低音でハリのある声との見事な調和。聴く者を陶酔 させ、その心を捉 えて放さない素晴らしい合唱を、二人は披露した。だが、披露した気分でいるのはエミリオだけで、ギルには、エミリオにははっきりと見えているその聴衆たちが分からなかった。分かると言えば、ただここに妙な違和感を感じる、という程度。多少なりとも、ギルにも霊能力があるのかもしれない。そうだとしたら血筋だろう。なにしろ、エミリオとギルの母親は姉妹なのだから。
やがて二人が歌い終えると、拍手喝采 したくても叶わない者たちは、ただ満足した様子で、密生している木々の向こうへ消えていった。一度だけだと言ったエミリオの言うことを聞いて、アンコールをねだることもなく。
そして、それをエミリオだけが見送った。
「その歌は?」
ギルがきいた。
「私が幼い頃、母上がよく歌ってくれたものなんだ。」
「俺もだ。」
気持ちよく歌い終えた二人は、清々しい笑みを交した。
今彼らが歌ったもの、エミリオが鎮魂歌 として選んだ曲は、本来は月と夜の女神に捧げるバラード。これは大陸北東部の、ちょうどヴルノーラ地方に古くから伝わる聖歌だ。
神々を尊ぶこの大陸では、その土地によって守り神とされる神が存在し、古代の音楽家たちは、それらを讃 える曲を多く作り上げた。それによって、例えば、南部では海の神ネプルスオークを、北部では森の神ノーレムモーヴを讃える曲が存在する。
ギルは、森の木々に目を向け続けているエミリオの横顔を、じっと見ていた。
そもそも、ギルはエミリオに対して、出会う以前は好印象を持ってはいなかった。
なぜなら、二人が初めて顔を会わせたヘルクトロイの戦いは、エミリオにとっては母の故郷を、祖父母の国を攻めたことになる。なのに当時、何の迷いもなく力強い剣を振るい続けるその割り切った態度に、ギルは初め憤 りさえ覚えた。しかしすぐに、その剣先から伝わってくる違和感に気づいた。そして直感的に、自分が描いたエルファラム帝国のエミリオ皇子という人物像に、誤解がある気がした。
だからこそ、再会したあの日、ギルは気さくに話を続けることもできたのである。そして、何か思いつめている様子の彼を放っておけなくなり、一緒に旅をしようと誘った。何よりも、本当の彼を知りたいと思ったのだ。
そしてこの数日様子をみてみれば、戦争でみた猛々 しさや気難しい印象とはまるで違う、おとなしくて嫌なところが全くない言葉や、穏 やかに微笑 むばかりの彼。あの時の直感は正しかったと、安心していたところだった。
ただその微笑みは、ギルにはまだ作り笑顔のようでならなかった。
「俺と旅を始めて数日経ったが・・・楽しいか。」と、ギルはその横顔に問いかけた。
エミリオはギルに顔を向けて、また穏やかに微笑んだ。
「ああ。」
五秒ほど、二人は無言で目を見合った。
「それだけ?」
「なぜ。」
「いや・・・何となく。」
ギルが言いたいこと・・・気になっていることが、エミリオには分かっていた。互いに当てはまることだが、今こんなところに一人で ―― 家来を伴わずに ―― いることは異常で、いい理由からでないのは明らか。
それで、エミリオはひと呼吸おいてから、こう答えた。
「君が共にいてくれることは、楽しい・・・というより、嬉しいと思う。君と再会するまでは、私はただ歩いていただけだった。いや、道を歩いているという意識もなく、ただ足を動かしていただけだった。だが、君と旅をしている今、これでいいのだろうかという思いもある。私は無駄に死ぬこともできないから、この先どうすればいいのか悩みながら過ごしていくあいだ、共にいようとしてくれる君には、感謝している。」
何を言っているんだ・・・と、ギルは眉をひそめた。無駄に死ぬこともできないとは、死ねる時を待っているというふうにも取れるじゃないか。やはりこの男は、単に国を出てきたり、逃れてきただけではないらしい。
「じゃあ・・・とりあえず今は、また一人になろうなんて・・・。」
「もしかして、私を探しに来てくれたのかい。」
「ああいや、そういうわけじゃあ・・・。たまたまだよ。顔を洗える場所なんてないかなって思って。」
「ああそれなら、ほら、せせらぎの音が聞こえないか。」
「せせらぎ・・・?」
耳を澄ましてみたギルは、すぐに左方向へ首をまわした。
確かに、かすかに聞こえてくる。
気付いたと見てとると、エミリオはこう続けた。
「近くに川があるそうだ。」
その言い方に、ギルはひっかかるものを感じた。
あるそうだ・・・?
すると、風に乗ってかすかに聴こえてきたのは歌声。男性の少しハイトーンで、魂を揺さぶられるような甘くて優しい音色・・・エミリオの声だ。
ギルは、何だか意外だと驚くと同時に気付いた。その声が、どこかもの悲しげに響いていることに。
ともあれ、相棒の姿をこうしてすぐに見つけることができて、ほっとした。
エミリオは、腰掛けるのにちょうどよい平らな岩に座っていた。
その美しい
いきなり声が重なってきたことに、驚いた様子でエミリオが振り向く。
それに微笑を向けただけのギルは、止めずに隣にきて歌い続けた。
エミリオの方は思わず歌い止めていたが、ギルの横顔を見上げて微笑み返すと、再び合わせて歌い始めた。
やがて二人が歌い終えると、拍手
そして、それをエミリオだけが見送った。
「その歌は?」
ギルがきいた。
「私が幼い頃、母上がよく歌ってくれたものなんだ。」
「俺もだ。」
気持ちよく歌い終えた二人は、清々しい笑みを交した。
今彼らが歌ったもの、エミリオが
神々を尊ぶこの大陸では、その土地によって守り神とされる神が存在し、古代の音楽家たちは、それらを
ギルは、森の木々に目を向け続けているエミリオの横顔を、じっと見ていた。
そもそも、ギルはエミリオに対して、出会う以前は好印象を持ってはいなかった。
なぜなら、二人が初めて顔を会わせたヘルクトロイの戦いは、エミリオにとっては母の故郷を、祖父母の国を攻めたことになる。なのに当時、何の迷いもなく力強い剣を振るい続けるその割り切った態度に、ギルは初め
だからこそ、再会したあの日、ギルは気さくに話を続けることもできたのである。そして、何か思いつめている様子の彼を放っておけなくなり、一緒に旅をしようと誘った。何よりも、本当の彼を知りたいと思ったのだ。
そしてこの数日様子をみてみれば、戦争でみた
ただその微笑みは、ギルにはまだ作り笑顔のようでならなかった。
「俺と旅を始めて数日経ったが・・・楽しいか。」と、ギルはその横顔に問いかけた。
エミリオはギルに顔を向けて、また穏やかに微笑んだ。
「ああ。」
五秒ほど、二人は無言で目を見合った。
「それだけ?」
「なぜ。」
「いや・・・何となく。」
ギルが言いたいこと・・・気になっていることが、エミリオには分かっていた。互いに当てはまることだが、今こんなところに一人で ―― 家来を伴わずに ―― いることは異常で、いい理由からでないのは明らか。
それで、エミリオはひと呼吸おいてから、こう答えた。
「君が共にいてくれることは、楽しい・・・というより、嬉しいと思う。君と再会するまでは、私はただ歩いていただけだった。いや、道を歩いているという意識もなく、ただ足を動かしていただけだった。だが、君と旅をしている今、これでいいのだろうかという思いもある。私は無駄に死ぬこともできないから、この先どうすればいいのか悩みながら過ごしていくあいだ、共にいようとしてくれる君には、感謝している。」
何を言っているんだ・・・と、ギルは眉をひそめた。無駄に死ぬこともできないとは、死ねる時を待っているというふうにも取れるじゃないか。やはりこの男は、単に国を出てきたり、逃れてきただけではないらしい。
「じゃあ・・・とりあえず今は、また一人になろうなんて・・・。」
「もしかして、私を探しに来てくれたのかい。」
「ああいや、そういうわけじゃあ・・・。たまたまだよ。顔を洗える場所なんてないかなって思って。」
「ああそれなら、ほら、せせらぎの音が聞こえないか。」
「せせらぎ・・・?」
耳を澄ましてみたギルは、すぐに左方向へ首をまわした。
確かに、かすかに聞こえてくる。
気付いたと見てとると、エミリオはこう続けた。
「近くに川があるそうだ。」
その言い方に、ギルはひっかかるものを感じた。
あるそうだ・・・?
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