1. 荒野に佇む町 ヴェネッサ

文字数 3,075文字

 満天の星の下で、ギルとエミリオは小高い丘の上を慎重(しんちょう)に馬を歩かせていた。

 窮地(きゅうち)を切り抜けたあと、闇雲(やみくも)に突っ走ってきた二人。だがギルが、地図と旅費の半分は、置いてくるしか仕方が無かった荷物の方ではなく、着衣の中に収めていたおかげで、日が落ちてしまうまでに、どうにか現在位置を確認することができた。それで今は、たぶん合っているだろうという頼りない判断のもとに、辺り一面真っ暗になりつつある夜の荒野を、最も近くにあるはずのヴェネッサという町を目指しているところなのである。

「必要物資を買いそろえ直さなきゃあな。まずは、着替えからだ。」
「確かに。」
 ギルの言葉に、エミリオがそう応じた。

 二人は、中途半端な軍服姿でその言葉を交した。というのは、ギルの予告通り、たっぷりと返り血を浴びた着衣の代わりに今身に着けているのが、王国フルザの軍服のズボンとシャツだけ。幸運なことに、奪い去った馬に(くく)り付けられている荷物の中にあったものだ。だが、着心地は最悪だった。ただでさえ着たくもない敵軍の制服だというのに、そのうえ大きいならまだしも、窮屈(きゅうくつ)だからである。二人共に長身で体格もいいため、サイズがまったく合わなかったのだった。

「もう〝下がられよ〟とか〝いかがなされた〟とか言うなよ。とにかく王侯貴族を思わせるような言葉遣いはするな。」
 ポツポツと浮かぶ潅木(かんぼく)のシルエットを見渡しながら、不意にギルが言った。
「しかし・・・。」
「しかしもへったくれもないっ。」
「へったくれ?」
 エミリオは目を丸くした。〝へったくれ。〟とは、いったいどういう意味なのか。
「いいか、あんたには平民としての最低限の立ち居振る舞いを身につけてもらわなきゃあ困る。ただでさえそんな顔なんだ。」

 エミリオは自分の顔がどうであれ、その妙な言葉の使い方につっこみを入れる・・・あげ足を取る気も起こらず、ただ呆気(あっけ)にとられた。
「では、何と言えば。」

「例えば、〝下がれ〟でいい。それなら言えるだろ。それと〝いかが〟じゃなくて、〝どう〟だ。〝どうした〟って言え。あとはそうだな・・・そうそう、それも〝何と〟じゃなくて、〝何て〟だ。それと〝では〟も、もっと気楽に〝じゃあ〟とかだな、あー・・・おっと、一番マズいのを忘れてた。俺のことを〝そなた〟なんて以ての外だからな。さっきも言ったが、俺のことはギルでいい。で、人を呼ぶ時は〝あんた〟とか、少々言葉は悪いが〝お前〟とか、せめて〝君〟にしろ。ええっと、それから・・・」

「何も話せなくなりそうだ。」
 それが自然に口をつくようになるまで、どれほどかかるだろう・・・と思うと、エミリオは気が遠くなりそうだった。頭ではいけないと分かってはいるものの・・・。

「まあ俺と一緒にいるんだから、困らない程度のことはすぐに身に付くさ。そしたらもっといろんな人と話をして、幅を広げていけばいい。無事に町に着けたら、数日宿をとって少しゆっくりしよう。その間にコツを教えてやるから、そう落ち込むな。」

「君はずいぶんと(たく)みにそのような言葉を使いこなすのだな。」
「俺は、あんたと違ってまっとうな皇族生活を送っていなかったからな・・・エミリオ、今・・・俺のこと・・・。」
 エミリオはギルのことを、〝そなた〟でも〝ギルベルト殿〟でもなく、今確かに〝君〟と、そう呼んだのだ。

 気付けば、二人は丘の(いただき)に来ていた。

 目の前には、やや急な下り坂がある。そして、遥か向こうで、星とは明らかに違う光の集合体が、暗い夜の荒野で力強く(またた)いていた。

「ヴェネッサに違いないな。行こう。」
 エミリオはそう言うや、足場のよく分からない丘の斜面を、華麗に手綱(たづな)を操りながら駆け下りて行く。ギルを待たずに。

「おいエミリオッ、飛ばしすぎ・・・。」
 ギルには、そっけなく先に馬を走らせて行ったその姿が、一種の照れ隠しのように見えた。
 ギルは、そんな相棒の背中を目で追いながら、頬に笑みを浮かべた。





 夜には町で最も(にぎ)やかになるそこは、酒場や小料理店、それに宿泊施設だけが寄り集まった場所で、ヴィックトゥーンと呼ばれている。木の壁で囲まれたその地区の東には、こんもりと(しげ)ったイデュオンという森がある。そしてその奥に、グレーアム伯爵家の豪壮な邸宅があった。

 このヴェネッサは、故郷を戦争で失ったレッドにとって、第二の故郷とも呼べる親しみ深い町だが、その彼が、以前ここにいた間にしていた仕事というのが、その伯爵の用心棒である。

 だがそもそも、レッドがこの町に来たのは、傭兵(ようへい)仲間のジャックに、(なか)強引(ごういん)に連れて来られたことがきっかけだった。骨休めをしろと。なぜなら、ジャックには、その時のレッドがひどく情緒不安定に見えてならなかったからである。

 レッドとジャックとは、レッドがテリーを失った戦場で知り合った。そしてジャックとテリーとは、戦友だった。だから、ジャックはその後のレッドを放っておけず、しばらくレッドと行動を共にして、様子を見守っていた。

 すると案の定、その間のレッドといえば、任務外ではしょっちゅう一点を見つめて呆然(ぼうぜん)としたり、かと思えば、そのあと悲痛な表情でくっと顔をしかめたり・・・そんなことばかりを繰り返す。

 だからレッドは、時にはがむしゃらに仕事を探そうとした。
 だからジャックは、そんなレッドを無理やり休ませようとした。

 確かに、ひとたび任務に()けば、立派にアイアスとしての使命を果たしていたし、実際どこへ行っても指揮官を任され、決してその期待を裏切ることはなかった。

 だが、ジャックから見れば正常ではなかった。

 それでジャックは、レッドをこの街の知り合いの小料理店に預け、自分は恋人のもとで過ごした。そしてその間に、レッドは勝手にまた仕事に就いていたというわけである。

 そして、その小料理店の店長ニックとずいぶん親密になれたレッドにとって、その時から、このヴェネッサは最も愛着ある町となったが、同時に、最も抵抗を感じる町でもあった。

 本来なら、レッドはこの町へ来てはならなかった。彼自身、ここへは戻るまいと決めていた。ミーアさえ連れていなければ、この町は()けて通っていたはずだった。

 この町に、ひどく傷つけてしまった女性がいるからである。一度は一緒になろうと約束し、だが結局は裏切ることになってしまった女性が・・・。

 レッドは首をそびやかして、イデュオンの森の向こうの、伯爵の屋敷がある方とはまた別の場所に目を向けた。

 そこには、修道女たちが生活をする修道院と、一般の者が祈りを捧げる場である大聖堂や礼拝堂、そして神を(まつ)る神殿がひと(まと)まりとなっている、一言でミナルシア神殿と呼ばれる聖地があった。

 その主聖堂から突き出している四本の尖塔(せんとう)を目印に、森を透かしてそこを見つめているレッドの瞳には今、愛しさと切なさと、そして苦悩の色が混ざり合って滲んでいた。

 そんなレッドの真横で、食べ物の美味しそうな臭いに誘われて、鼻をしきりにひくつかせているのが二人いた。一人はまだ幼い少女、そしてもう一人は、とりあえず姿だけは立派に成長している青年である。

「お前、いくつ?」と、それでレッドは、真面目(まじめ)にその青年リューイにきいてみた。
「十八。」
「だよなあ・・・。」
「なんで?」
「お前・・・子供みたいだな。」
「子供と大人って、何が違うんだ?」
「子供みたいな質問しないでくれ。」

 そう(あき)れ返ったものの、さらに問われると困ると思ったレッドは、「あ、その角を曲がったところに知り合いの店があるんだ。そこなら(ただ)で泊まれる。」と、(あわ)てたように話題を変えた。




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