23. 運命の旅へ

文字数 2,425文字

 東の彼方(かなた)から赤く色づいてくる頃。

 ヴェネッサの街門へ向かいながら、レッドはしみじみとその朝焼けに魅入っていた。まだ冷たい風が肌身に()みる。

「レッド。」 
 そんな彼に背後から声をかけてきたのは、最後を歩いていたニックだった。
 レッドは無言のまま、愛想(あいそ)のない顔で振り向いた。
「イヴに・・・」
「くどいぞ、おやじ。」
 レッドは、ぴしゃりと言った。

 この短い滞在期間中に、彼はニックから、彼女に会いに行ってやるよう事あるごとに言われていたのである。

「けど、彼女はきっとまだお前のこと待ってるぞ。」
「いや、イヴには、俺なんかより待たなきゃならない人がいるんだ。」
「何だい、そりゃあ。」
 ニックはわけが分からず、顔をしかめた。
「とにかく、あいつに会っても、俺のことは言わないと約束してくれ。」
「意地っ張り。」

 ほかの者たちは、先にもう街門の下にたどり着いていた。ほかの者というのは、旅仲間のリューイとカイル、そしてミーア、それに、この日帰ると決めたスエヴィと、見送る側のジャックである。

 レッドが前を向くと、リューイが両腕を突き出してきたミーアの脇をかかえ上げて、しっかりと胸の前に抱いてやるところが見えた。ミーアがまたせがんだのだと分かっていたが、レッド自身そうしてやろうと思っていたところだった。旅の初めは体力をつけさせようと考えていたが、今となっては思い直して、それについては甘やかすことにしたのである。

 レッドはニックを促して、足早に仲間たちのもとへ。
 そして全員がそろい、旅立つ者と、見送る者とが向かい合う。

 カイルがジャックの前で、ペコリと頭を下げた。
「それじゃあ、僕のいない間おじいさんのことお願いします。」
「ああ、任せときな。毎日様子を見に行ってやるから。」
「おやじ、いろいろ世話になったな・・・病人を二人も出して。」
「なに言ってんだ。俺としては、もう少し世話になってくれたっていいんだぜ。また遊びに来いよ、皆で一緒に。待ってるからさ。」

 あとの部分を妙に強調して言ったニックと、それに曖昧(あいまい)な微笑で応えたレッドは、別れの握手を交した。

 続いて、ジャックも手を差し出しながら、「それとこれとは話が別だ。今のうちによく考えてみろ。」と言葉をかけた。

 その意味を瞬時に理解したレッドは、今度は複雑な苦笑でその手を取った。

「ちっ、俺だけ別方向かよ。」
 スエヴィがつまらなさそうにぼやいた。
「悪いな、俺たちゃバルカ・サリ砂漠の方へ向かうことにしたんだ。」
 ミーアが反応して、「砂漠?」と、可愛らしく首を(かし)げた。
「砂の山ばっかりがある所を見せてやるからな。」
 レッドは笑顔で答えた。
 ミーアは無邪気に喜んで、リューイの腕の中ではしゃぎだした。

 しかし、砂漠の旅は荒野(こうや)を行く以上に厳しく、本来なら避けて通りたいくらいだ。それでも行くと決めたのは、カイルの祖父の助言を得たためである。その方角が、幸先(さいさき)がいいと。

「うちの将来有望なお姫様に無理させないでくれよ。」
「負ぶって歩くよ。」
 小声でそう軽い言葉を交したあと、やや名残惜(なごりお)しそうにしていたスエヴィだが、やがて思い切ったように離れだした。
「じゃあな。」

 スエヴィは悠長(ゆうちょう)な足取りで、それからは一度も振り返ることなく去って行く。

 レッドは、ニックとジャックに向き直った。変にあらたまった様子で、表情も硬い。
「じゃあ・・・また。」
 その声には(かす)かな躊躇(ためら)いがあった。
「ああ、またな。」
 二人はそれに気付かないふりをしてやり、わざと屈託(くったく)ない笑顔を返した。
「おじさんたち、バイバイ。」
 ミーアが、愛嬌(あいきょう)たっぷりに手を振りながらにこにこと笑う。

 この少女は、確かにトルクメイ公国を治める公爵(こうしゃく)ローガンの一人娘であり、城にいてお嬢様と呼ばれながら生活し、少し堅苦(かたくる)しい言葉遣いや礼儀作法というものを、義務教育として教え込まれてはいた。ところが、完璧にマスターする前に、勝手に外出するという悪癖(あくへき)がついてしまったため、むしろこのような年相応(としそうおう)の子供らしい喋り方の方が、自然に口をつくようになってしまったのである。

 旅立つ者たちは進路の方を向き、ゆっくりと歩き始めた。

 その後ろ姿に、見送る者たちは、胸を締めつけられるような寂しさを覚えた。

 すると、町からずいぶん離れた所で、不意にリューイの首から手をほどいたミーアが、その右手を大きく振りだしたのである。

 リューイは立ち止まり、それに気付いたレッドとカイルも足を止めた。

 ニックとジャックは、まだ街門の下にいて、いつまでも見送ってくれている。そしてそこから一緒に大きく手を振り返しているのが、(かろ)うじて見て取れた。

 その二人の目から、四人の姿は次第に黒く小さくなって、岩が散在しているこの荒野の遥か遠くへと消えていく。

 やがて地平線しか映らなくなっても、ニックもジャックも無言のまましばらくその場に佇んでいた。

〝また。〟と、互いにそう伝え合ったものの、それが全くあてにならない単なる別れの決まり文句に過ぎないことは、二人とも分かっていた。分かっていて口に乗せたから、あの時 言葉が(うつ)ろに響いた。

 カイルを連れて戻ったレッドが、またこの町で休む気があるのかどうかは・・・さっきの様子から期待はできそうになかった・・・。

「イヴは知ってるのか。」と、ジャックはきいた。
 とたんに呆れ顔になったニックは、首を横に振ってみせる。
「俺のことは言わないでくれってさ。」
「だろうな。」
「ますます美人になってるのにな。」

 ジャックはため息をついて、再び地平線を見つめた。
「意地っ張りめが・・・。」

 いつの間にか、空は淡い青と黄色の(さわ)やかな二色に染まり、今はすじ雲がその下にそっと広がっている。吹き抜ける風が、心地良い微風に変わっていた。
 微かに聞こえていた(わだち)を刻む馬車の音や、行き交う人々がたてる物音が、徐々(じょじょ)騒々(そうぞう)しくなっていく。

 そうして、いつもと同じ喧騒(けんそう)に包まれた、ヴェネッサの町の朝が始まろうとしていた。

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