秘境の地から格闘家

文字数 2,853文字

 レッドはびくっと身じろぎ、とたんに体を起こした。

 ついすっかり眠り込んで・・・というより、入り込んでしまったのである。慌てて太陽を見ると大きな変化はなかったが、今、ミーアの気配が全く感じられなくなっていることは大問題だった。

「ちくしょうっ。」

 レッドは自分を(しか)りたくもなったが、とにかく急いで立ち上がった。そして視線をさ迷わせ、足の向くままに駆け出した。

「ミーア、ミーア!」

 何度呼んでも返事は返ってこない。レッドの声は、(むな)しく木々の間をすり抜けていった。

「ミーア!くそっ、俺から離れるなと言ったのにっ。今度から縄をくくりつけてやる。」

 そう言いながらも、気が気ではなかった。もし何かあったら・・・。湖・・・まさか(おぼ)れたなんてこと・・・。レッドは恐怖と焦燥(しょうそう)にかられて、来た道を勢いよく振り返った。

 その時。

「あんたが探してるのは、この子か。」

 不意に左手から声をかけられて、レッドはそちらを見た。

 するとそこに、金髪 碧眼(へきがん)の美青年が立っていた。

 だが肌の色、年齢、背丈のほか、体格まで自分と変わらないように、レッドには見えた。つまり、気品ある端整(たんせい)な顔立ちながら、胴着から(のぞ)いている体の見えるところ全てが、見事に(きた)え抜かれているということ。
 ただ、その抜けるような青空色の瞳だけはどこか(するど)く、野性的な印象を受けた。

 そして、その彼の腕の中でぐったりとしているのは、まさしくミーアに違いない。

「ミーア・・・。」
「大丈夫、ちゃんと受け止めたから。」
 不安そうに呟いたレッドに、その青年は言った。
「受け止めた・・・?」
「ああ、上から落ちてきたのを。」

 レッドは首を捻った。そして、そばに佇む木の太い枝を見上げた。想像はつくが、それを素手でとっさにやってのけたとしたら、人間技ではなかった。なのに、この青年はずいぶんと容易(たやす)いことのように言うのである。

「落ちてきた・・・って・・・どうやって?」と、それでレッドは問うた。
「どうって・・・ドサッって。」

 やや・・・沈黙があった。

「あ、ああ・・・そう。それで・・・あんたの方は大丈夫か?」
「何が?」
「何がって・・・腕とか痛めなかったかなって・・・。」
 レッドは、その青年が何のことか分からないという表情をしているのを見て、質問を変えた。
「いい体してるな。けど、武器らしいものがたいして見当たらないが、戦士じゃないのか。」

 その青年は実に軽装で、左の二の腕にレッドと同じく武器を仕込んだベルトを装備していたが、刃物と呼べるものはそれくらいしか見受けられない。

 レッドは不思議そうに青年を見つめた。

 そんなレッドに、金髪青年は言った。
「俺の武器はこの体さ。武術をやってる。」

 武術・・・レッドはなんとなく耳にしたことはあった。剣は使わず、それに代わる特異な武器を駆使(くし)しながらも、ほとんどは素手で相手とやり合う技を持つ男たちのことを。
 だが、その修行ができる場所は大陸でも一箇所にしかないという、今でもあるのかどうかさえ分からないほど伝説的な(うわさ)で、今ではそれを口にする者もいないだろう幻のような存在だ。だから、大陸中を渡り歩いているレッドですら、そういう男に今まで会ったことはない。
 なのに、この金髪 碧眼(へきがん)の美青年は、そこからやってきたというのだろうか。

 そしてレッドは、ここで一つ気付いたことがあった。それは、気が動転していたとはいえ、彼の気配を全く感じなかったことである。レッドは、今度はまじまじとその青年を凝視(ぎょうし)した。
 確かに・・・ただ者ではない。

「どうかしたか。」
「あ、いや・・・なんでも。とにかくありがとう。礼が遅れてすまなかった。」

 青年は、にこっと微笑(ほほえ)んで応えた。
 それから彼は、柔らかい草地にミーアの小さな体をそっと横たえて、自分はそこに胡坐(あぐら)をかいた。
 レッドもそれに(なら)った。
 二人は向かい合って座った。

「あんたはどこから来たんだ。」と、レッドは青年に問うた。
「リーヴェ。」

 レッドは絶句した。
 リーヴェ・・・それは、正式にはアースリーヴェという、南のジャングルの名称だったからだ。

「冗談だろ?」
「なんで?」
「なんでって・・・それはアースリーヴェのことだろう。密林だぞ。」
「密林・・・って?俺は森って教えられたけどな。リーヴェの森とオルフェの海って。聞いたことないか?」
「リーヴェは森の神の娘で、オルフェは海の神の息子だろ?だから、その南の樹海がリーヴェ、それに面している海がオルフェって名付けられたことくらいは知ってるけどな。」
「なのに、森の神は北の守り神になってるだろ?それには、こんな神話があるんだぜ。教えてやるよ。」
 青年はそう言うと、一つ(せき)払いをした。
「昔々、神様と人間が一緒に暮らしてた頃、森の神の子リーヴェと、海の神の子オルフェは、とても大好き同士でした。」

 愛し合っていましたって言うところだろうな・・・と、思わずレッドは噴き出しそうになった。子供みたいだと。

「でもリーヴェは海で、オルフェは森で暮らすことができません。だから二人は人間になって一緒になろうとしたけど、森の神がダメだって言って、リーヴェを連れて北の国に行っちゃったって話だ。だから今、海の神は南の守り神だけど、森の神は北なんだってさ。アースは天も地もひっくるめた全ての世界を表す意味を持つから、南の森はアースリーヴェ、南の海はアースオルフェって同じ名前が付けられたんだよ。いつまでもそばにいられるようにって。」

「へえ・・・そうなんだ。」

 そう相づちをうちながらも、途中から話し方がいい加減になったことに、レッドは呆れていた。もう少しラブストーリーらしく話せないのかと。つまり、その神話をロマンチックに解釈すると、愛し合っていた神の子リーヴェとオルフェは、一緒になるために人間になろうとしたが反対され、引き離されたということらしい。それに内容があっさりしすぎている。語り継がれている神話なら、もう少し中身は濃いはずだ。

 話すの苦手なんだなと、レッドは悟った。それは密林で暮らしていたせいなのか?なんて謎めいた男だろう・・・とレッドは思い、質問を重ねた。

「それで、そこを出てきて、どこへ行く予定なんだい?」
「適当。今は修行の旅の途中なんだ。」
「修行?どんな。」
「さあ。ただ師匠に言われたんだよ、自分を超えて帰って来いって。けど、森の中じゃあいろいろと稽古(けいこ)もできたけどな。相手もいっぱいいたし。それが、外に出てみたら修行のできる場所なんて・・・。この森だって、リーヴェの方がよっぽど訓練できる。それに、何かずいぶん乱暴な奴らにからまれて喧嘩(けんか)したこともけっこうあったけどな、何人まとめて相手にしたって全然張り合いねえし、あいつらの方がよっぽど強い。」

 レッドは、彼の言う乱暴な奴らというのが、旅人狙いの盗賊の(たぐい)に違いないと理解することはできたものの、それをよく分かっていないというようなその様子に、やはり首を(ひね)った。本当に密林に住んでいたのか?だが、彼は相手もいっぱいいたと言った・・・。





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