072 ジレンマ

文字数 1,635文字

「歌舞伎町っていうのは、情報が伝わるのが速いんだ。今日の夕方、若い男が大久保一丁目の交番をスタンガンで襲撃して拳銃を奪ったっていう話は、すでに俺の耳に届いていた。大久保一丁目から歌舞伎町までは目と鼻の先だ。アキラは中国拳法の技を使って刑事を気絶させたって、スタンガンのことをごまかそうとしたよね。だから俺、疑っちゃったんだ。もしかしたら、この男が拳銃強奪犯かもしれないって……」

「そうですか、見られていたんですか。スタンガン……。でも、俺は拳銃強奪なんかしていませんよ。スタンガンは、たまたま護身用に持っていただけで……」

 俺は平静をよそおった。

「わかってるさ、今はね。だけど、最初は半信半疑だった。俺がアキラをアパートに連れてきたのは、半分は感謝の気持ち、半分は疑う気持ちだった。俺が刑事に逮捕されそうになったところを助けてくれたから(かくま)ってあげようという気持ちと、スタンガンなんか持って、なんかアブナそうな奴だから正体を見きわめてやれっていう気持ちと。

 でも、今はもう疑ってないよ。話しているうちに、アキラの人柄はよく分かった。俺の親父の話を、心から真剣に聞いてくれたもんね。俺、アキラに話しているうちに、心がすっきりしてきたよ。俺はそこまで信頼できる人間に、今まで出会ったことはなかった。そんな人間が、拳銃強奪なんてするわけがない。もし仮にアキラが拳銃強奪犯だとしても、俺はアキラを守るよ。

 でも、アキラがスタンガンを持っていたのは偶然だよね。最近は物騒だから、護身用にスタンガン持ってる奴はべつに珍しくもないよ。俺の歌舞伎町の友人にも、持ってる奴は何人もいるし」

「そうなんです。念のため、護身用に持っていただけなんですよ。それがたまたま、刑事から逃げるときに役に立った。俺もじつは拳銃強奪事件のことはすでに聞いていて、それと関連づけて疑われては面倒だから、とっさに中国拳法を使ったと嘘をついたんです」

 さりげなく答えつつも、俺の頭はすばやく回転していた。

 ──まずいことになった。シンは今はこう言ってるが、いつ気が変わるか分かったものではない。スタンガンを所持した不審者がいると、いつ警察に通報するか分からないのだ。警察に連行されれば、俺の計画はすべて水の泡だ。神の摂理がこの俺に課した崇高な使命を果たすことができなくなってしまう。こんな中途で挫折するわけにはいかない。

 俺は父の、母の、そして妹の(しかばね)を乗り越えて、遠く険しい道を進んでいかなければならない。俺には、このワンチャンスしかないのだ。「秋風(しゅうふう)秋雨(しゅうう)、人を愁殺(しゅうさつ)す」の辞世で知られる中国の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)のように、革命の志半ばで(たお)れるわけにはいかない。

 シンの口をふさがなければならない。スタンガンで体の自由を奪ってから、猿轡(さるぐつわ)を噛ませて縛りあげるか。そのあとで隣室の智代(ともよ)も同様にする。俺が最終的な目的を達するまで、その状態でこのアパートに監禁しておく……。

 だが明日は金曜日、ウイークデーだ。もしシンが引越屋に出勤しなかったら、同僚たちはどう思うだろうか。智代が中学に登校しなかったら、学校関係者はどう思うだろうか。不審に思って、このアパートまで様子を見にくるかもしれない。

 俺は計画を遂行するために、まだまだやらなければならないことが多いから、このアパートにとどまって監視しているわけにはいかない。目的達成まで、あとどれくらいの日数がかかるのか、俺自身にも分からない。俺のいない間に、もしシンたちが解放されてしまうようなことがあれば、俺のことを警察にしゃべってしまうだろう。

 となれば……。

 命を奪うしかないのか。スタンガンで体の自由を奪ったうえで、二人とも絞殺する。革命に最小限の犠牲者はつきものである。心を鬼にしたうえで、崇高な理念に殉じた貴い犠牲者として、死の運命を受け入れてもらうしかないのか。


(作者注:中国の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)に関しては、エピソード「036 秋風(しゅうふう)秋雨(しゅうう)、人を愁殺(しゅうさつ)す」をご覧ください。)
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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