019 ゼネコンの横暴

文字数 1,620文字

「よその工務店は建材の質を落としたり、手抜き工事をしたりで赤字の穴を埋めている。木造住宅の筋交(すじか)いを省略したり、十分に乾き切っていない木材をモルタルで壁に塗り込んでしまったり。これ、あとで水分が木材を腐朽させて、家の寿命を縮めちゃうんだ。マンションの場合は、鉄骨溶接を完全溶け込み溶接ではなく、すみ肉溶接にして工程を省く。こんなの、ちょっと大きな地震がくれば、簡単に潰れちゃうよ。最近、話題の『欠陥住宅』が増えている背景には、こういう事情があるんだ。

 でも、うちの会社はオヤジさんがあのとおり職人気質だから、何も知らない客に迷惑をかけるわけにはいかないと言って、絶対に手抜き工事はしなかった。赤字をぜんぶ自分で背負いこんで……。もっとも、そんなオヤジさんだから、俺も信頼してずっとついてきたんだけどね」

 企業は金もうけではない。地域に根をおろし、社会に貢献するものを作るべきだ。それが父の理念だった。父の会社が手がけた住宅で暮らし始めた人たちから「本当に住みやすい」「いい家だ」と感謝の言葉が寄せられたとき、父は本当にうれしそうにしていたものだ。

「最初から赤字と分かっているなら、ゼネコンから回された仕事を断るわけにはいかないんですか?」

「そんなことをしたら、次から仕事は回さないと脅される。下請は仕事を止められたら、たちまちお手上げだ。生きていくためには引き受けざるを得ないんだよ。『風が吹けば桶屋がもうかる』ってことわざがあるけど、この業界では『ゼネコンが風邪をひけば、下請は心不全で呼吸停止』と言うくらいで、上のツケが下へいけばいくほど雪だるま式にふくらんで、しわよせが厳しくなっていく。ゼネコンはバブル崩壊でかかえた借金のツケをどんどん下請に回してくるんだ。極めつけは、これだよ」

 鉄兵さんは注文書の束をデスクから出し、俺に示した。「市営グランド・トイレ新設工事3900万円」「駅前スーパー天井張り替え工事6500万円」などと記されている。
「うちがアラゾニア総合建設から受注した工事だが、ぜんぶ架空の工事だ。実際には、やっていない」
「架空工事? 何のためですか?」
「これは業界の言葉で『利益調整預り金』といって、巧妙な脱税だよ。下請は、いったん工事代金を受け取ったあと、こっそり元請のゼネコンに返すんだ。もちろん架空だから、実際には工事はしていない」

 よく分からなかった。
「どうしてそれが脱税になるんですか? 詳しく説明してください」

「金を返したことは、あくまでも秘密なんだ。ゼネコンは実際に工事があった、実際に代金を下請に支払ったものとして、そのぶん税金を控除する。一方、下請は貰ってもいない収入が実際にあったものとして、そのぶん課税額が増える。まさに俺たち下請が、架空工事によって自分の身を削ってゼネコンの脱税に協力しているわけだ。これはもう下請叩き、いじめ以外の何ものでもない」

「耳を疑うような話です」
「普通はそれが人間社会の常識だよな。しかし、この業界は常識が通用しない。力関係が全然ちがうんだ。金も力もない俺たちは闘いようがない。裁判で訴えても、ずるずると引き伸ばされるだけでラチがあかない。その間に会社は倒産だよ」

 いきなりこんな話を聞いていたら、俺はとても信じなかったにちがいない。だが、俺の身にふりかかった〈あの出来事〉は、鉄兵さんの言葉を裏付けていた。優位に立つゼネコンが、立場を利用して無理を強制する。自分が生き残るために、冷酷に下請を切りすてる。父や鉄兵さんの苦労と涙の上に、アラゾニア総合建設の権田総一郎(ごんだそういちろう)のような人間があぐらをかいているのだ。こんなことが許されるわけがない。

 鉄兵さんは、力関係が全然ちがうからゼネコンとは闘いようがないと言ったが、そんなことはない。俺には俺の闘い方がある。たった一人の孤独な革命だ。俺は怒りに身が震わせながら、あらためて今回の計画を遂行する決意を不動のものにしていたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み