046 負け犬の目

文字数 2,011文字

 岩清水は体格が華奢(きゃしゃ)で、性格もおとなしい。そういえば、奴は一番橋の近く、この付近に住んでいると聞いていた。白いアディダスのスポーツバッグを手にしているから、下校途中であろう。泣きだしそうな顔の岩清水を取り囲んでいる三、四人は、ヤンキー風の若者だった。見るからに教養の乏しそうな、品のない顔をしている。おおかた言いかがりでもつけて、岩清水から金でも巻き上げようとしているのだろう。

 俺は、ゆっくりと土手を降りていった。余計な人間とは関わりを持たないというのが俺の主義だが、脅されているのが日頃から同じ教室で学んでいる岩清水と分かっては、道義的に知らぬ顔もできぬ。

「何をしてるんだ、おまえら。そいつは俺のクラスメイトだが……」
 低く抑えた声で、それだけ言った。(あご)を引いて上目づかいにヤンキー連中の反応に目を光らせる。手を出してくれば、直ちに応戦するつもりだった。

「あッ、真崎(まさき)くん、いいところに来た! こいつらに恐喝されてるんだ。助けて!」
 岩清水が情けない声で叫んだ。

 ヤンキー連中はいっせいに振り返った。
「なんだ、てめえ。余計な口出しするんじゃねえよ」

 リーダー格らしい奴が憎々しげに答えた。派手に染めた髪に、自堕落(じだらく)なファッション。二、三歩、俺に歩み寄り、そこで止まった。一定の間合をとったまま、黙って俺を見ている。何も言わない。不気味な静寂。俺たちのあいだを風が流れた。

 俺の実力を値踏みしているのだ。勝てる相手か、戦わないほうが無難か……。こういう連中の特性として、自分より力の弱い相手には仮借(かしゃく)がないが、自分より力が上と判断すると、まるで意気地がない。もともと守るべきプライドなど、最初から持ち合わせていない連中なのだ。

 俺は、身長は186センチ、体重は72キロある。日頃からトレーニングを積んで、しなやかな筋肉質の体をしている。肩が怒り、大胸筋が発達して上半身は逆三角形のシルエットを描く。ウエストは贅肉がなく、腹直筋が割れ、いわゆるシックス・ブロックになって浮き出ている。ミドル級のランキング・ボクサーといっても通用する肉体だ。

 俺は胸をそびやかし、相手の男に鋭い視線を送った。

 相手の目から急に力が抜けた。勝てない、と判断したのだ。すでに負け犬の目だ。膜でも張ったように白濁し、覇気(はき)が感じられない。ヤンキー連中はお互いに顔を見合わせると、すごすごと去って行った。捨てゼリフさえない。

「大丈夫か」
 放心したように立ちつくしていた岩清水に、俺は声をかけた。

「すごいね、真崎君。(にら)んだだけで、あいつらを追い払っちゃったよ」
 岩清水は感嘆の声をあげた。俺を見つめる目に、リスペクトの色があった……。

 この一件以来、岩清水は学校で妙に俺になれなれしく接するようになった。勉強で分からないことがあるといちいち俺に訊きにくるし、通学路で顔を合わすことがあると、俺のカバンを持つと申し出る。もちろん俺は断っているが。岩清水は一件を恩にきて、感謝の気持ちを表そうとしているらしかった。俺としては、かえってありがた迷惑だ。

 いま俺がシンのアパートで見ているテレビ・ニュースのVTRで、岩清水が俺に対して好意的な発言をしてくれているのは、このような事情があったからだ。情けは人のためならず、ということか。

 俺の向かいでテレビを見ていたシンがぼやいた。
「分かんねえ。この容疑者の高校三年生、話を聞いてみると、けっこう、いい奴じゃねえか。なんで、こんな奴が自分の肉親を殺したんだ? まったく、世の中は分かんねえ」

 そいつは俺も同感だ。世の中、一寸先でどんな運命が自分を待ち構えているか、それは誰にも分からない。一週間前の俺自身も、自分がこんな状況に置かれるとは、まったく予想していなかった。

 女性リポーターの岩清水に対するインタビューは続く。
「容疑者の少年は、建築関係を志していたと聞いていますが?」

「そうです。彼のお父さんが工務店の社長なんで、彼も建築を勉強して、お父さんの役に立ちたいと言っていました。建築関係といえば、工学部。数学や物理が重要ですよね。彼は特に力を入れて勉強していたようです。テストでの成績は、いつもトップクラスでした」
「なるほど」
「でも彼のすごいところは、将来の進路に直接関係のない文系科目も、よくできたことです。そちらの成績もトップなんですよ。文系・理系オールマイティな人なんです」

「優秀ですね。そういえばさっき、容疑者の少年は、都の教育委員会の論文コンクールで賞をとったと言ってましたが……」

「そうなんですよ。都の教育委員会が、高校生を対象に文芸評論の募集をしたことがあったんです。彼が論文を書いてそれに応募したら、みごと入選したんです。後日、都から賞状が送られてきて、校長先生が全校生徒の前で彼を表彰したんです。カッコよかったなあ」

 ああ、あの話か。別にたいしたことではないさ。あまり持ち上げられると面映(おもは)ゆい。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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