006 犯行は露見した

文字数 1,727文字

「え……いや、別に。そんなに毎週、毎週、規則的に愛人のところに通っていたら、奥さんにバレるんじゃないですか」

「権田は仕事だ、接待だ、ゴルフだといって、その都度ごまかしていますが、さすがに奥方も勘づいているようです。でもその奥方も、もう58歳ですからね」

 探偵屋は、資料に目を通した。
「色気よりも金ですよ。権田がきちんと働いて家に金を持ち帰っている限りは、目をつぶるつもりらしいです。割り切っているんですよ。自分は自分で有閑マダム連とサークルを作って、オペラ観賞だ、華道だ、茶道だと上流階級気分を楽しんでいます。夫は夫、妻は妻で、それぞれ干渉せず、自分の生きたいように生きていくという考え方なのでしょう。金のある連中の考えることは、よく分かりませんなあ……」

 そんな夫婦があっていいのか。俺の両親はおたがいに信頼しあい、ひとつ屋根の下で手を取り合って生きていた。喜びも悲しみも分かちあっていた。それが本当の夫婦というものではないのか……。

 権田総一郎がどういう人間かは、だいたい分かった。俺が得ていた予備知識どおりの卑劣漢だ。

 探偵屋もくだらない人間だったが、支払った料金分の仕事はしてくれた。有益な情報を提供することで、間接的に俺の計画に寄与してくれたのだ。その点において、この探偵屋にはその他大勢の無意味な存在よりは多少マシという存在価値を認めてあげよう。俺は探偵屋に対して、くだらない人間なりに、親近感のようなものを覚えるようになっていた。

 俺は調査報告書をリュックにしまうと、探偵社が入った雑居ビルを後にした。探偵屋は出口まで見送りにきた。俺は会釈を返した。二度と会うこともあるまいが元気でやりな……。

 俺は小滝橋通りを南に向かい、新宿大ガード西の交差点にさしかかった。大ガード下の南側の歩道には、コンクリート壁に沿ってホームレスの黒ずんだダンボール小屋が軒を連ねている。小屋の横には、たいてい風雨に(さら)されたリアカーが駐めてあって、拾ってきた雑誌や、ポットや鍋などの日用品、手垢にまみれた毛布が積まれている。不況久しい日本では珍しくもない光景だ。

 午後の新宿はかなりの人出だ。スーツ姿のビジネスマン、制服姿の高校生、職業の判然としない若者たち、アジア系、中東系など雑多な国籍の外国人たちがひしめいている。

 右にいく車。左に進む車。すれちがう男。立ち止まる女。街という化け物に踊らされる大衆たち。俺にとって彼らは単なる背景にすぎない。黙殺だ。水槽の中でメダカの群れが無目的に泳ぎ回っているのを見ても何の感慨も覚えないのと同じだ。だが俺はこいつらとはちがう。自分の意志で道を切り拓いていくのだ。

 交差点の横断歩道を渡ると、大型ディスカウント電気店があった。店員がマイクでわめきたてる客寄せのアナウンスや、店内に山積みされたオーディオ製品のスピーカーから流れ出す雑多な音が不協和音を奏でている。聞くに耐えない喧騒だ。足早に通りすぎようとした俺は、店頭に置かれたテレビ映像にふと興味をひかれ、足を止めた。民放の午後のニュースだった。

「……従業員が鍵を開けて勝手口から屋内にはいったところ、工務店経営の男性52歳、その妻44歳、小学校一年生の長女6歳の三人が、寝室で死んでいるのを発見し、警察に通報しました。男性は頭蓋骨を骨折しており、妻と長女には首を絞められたような跡があったことから、警察は殺人事件と断定、捜査本部を設置して情報収集にあたっております。なお、亡くなった男性の長男で18歳になる高校三年生の行方がわからなくなっており、警察では事件に関係している可能性もあるものと見て行方を追っています……」

 来るべきものが来た。予想していたこととはいえ、少し早かった。計画を急がなければならない。

 ニュースで報道していた工務店経営の男性というのは、俺の父親・真崎守(まさきまもる)のことであり、妻は母親・優子、長女は妹・樹理(じゅり)だった。そして行方がわからなくなっている長男とは紛れもなくこの俺・真崎亜樹夫(まさきあきお)のことであり、三日前、10月27日月曜日未明、金属バットで父親を撲殺したのも、まちがいなくこの俺自身だったのだ。



✽平成16年10月30日(木) 亜樹夫の足取り
①西新宿探偵社
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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