060 小泉純一郎首相はかく語りき

文字数 1,976文字

 外務省による渡航自粛勧告を無視してイラクに入国した日本人男女がいた。ボランティア活動家およびジャーナリストで構成される三人だ。彼らはほどなく現地武装勢力に拉致された。武装勢力は日本政府に対し、イラクに駐留する自衛隊の即時撤退を要求してきた。

 小泉純一郎首相は即座に「テロには屈しない」として自衛隊を撤退する意思がないことを明言した。関係各位の必死の努力の結果、最終的には三人は無事に解放され、自衛隊も撤退することはなかった。

 帰国した三人に対し、小泉純一郎首相は「これだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれた。自覚を持っていただきたい」と苦言を呈した。これを受けて一部国民の間から、三人に対し「自己責任」と称してすさまじいバッシングが開始されたのだった……。

 小泉純一郎首相のライオンの(たてがみ)のような独特なヘアスタイルが目に浮かぶ。

「自民党をぶっ壊す」「聖域なき構造改革」など既得権益を害するようなことを平気で直言し、政界の異端児として変人宰相と揶揄(やゆ)される彼は、この夏、悲願の郵政民営化基本方針を閣議決定した。抵抗勢力からの強固な反対で難航が予想される同法案の国会提出に向けて、現在、着々と布石を打ちつつあるという。

 はたして郵政民営化などというものが、どれほど国民の利益につながるのか俺には分からないが……。

 同時期に彼は、日韓共同訪問年広報大使として来日した『冬のソナタ』主演女優チェ・ジウの官邸訪問を受け、「鼻の下が長くなっちゃう」とおどけてみせた。冬ソナファンを自認する彼は、まさに硬軟あわせ持つ型破りな変人宰相である。


画像出典:首相官邸ホームページ
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 大学教授氏の話は続いている。

「親は自分に自信があってエネルギーがないと、とても子供を叱ることはできない。親がオドオドしていたら、子供はすぐ敏感に察知します。

 ところが最近の親、とくに父親は、世の中が不景気だリストラだということで、自分自身が経済的にやっていけるかどうか、そのことだけで頭が一杯になっています。自分に自信がない。だから子供を叱っても、自分の言うことを聞いてもらえるかどうか不安なんです。

 自分に自信のない人間が、他人の生き方に干渉できるわけがありませんよ。ライオス王のように壁になることができない。

 そこで自信のない父親は、最初から教育を放棄します。『子供自身が自覚しなければだめだ』というのは、じつは逃げ口上なんです。教育にタッチしたくないから、もっともそうなことを言って逃げている。日本の大人は、もっと自信をもって子供を叱るべきです。今やらなかったら、そのツケはきっと将来にくるのです」

「私たちが子供のころは、近所にかならずカミナリ親父や、口うるさい小母さんがいましたよね。自分の子供だろうが、他人の子供だろうが、とにかく悪いことは悪いと、はっきり叱っていた。社会全体で子供を教育しているという風潮がありました」

「ところが今は、日本人全体に『教育する力』が失われつつある。今の親は自分の子供が悪いことをしても、まるで他人の家庭を傍観するかのような第三者的態度をとります。最初から叱る気がないんです」

「この少年の家庭もそうだった可能性があると?」

「きっとそうでしょう。だって18歳の高校三年生といえば、ふつう反抗期ですよ。オイディプスがライオス王に立ち向かっていったように……。親とろくに口をきかないなんてのはザラです。

 そういう態度を壁となった親が正面から受け止めて、ぶつかり合い、葛藤(かっとう)の中から真の親子関係が形成されていく。それが本当の親子ってもんです。それを最初から、周囲から見たかぎりでは家族仲がよかった、父親との関係も良好だったなどというところに欺瞞(ぎまん)の匂いを感じます」

「なるほど。じつは少年の家庭には、いろいろ問題があった。ところが父親が教育を放棄して、問題に何も干渉しなかった。だから表面的には平穏で、円満な家庭に見えた、ということですね……」

 大学教授氏の妄想癖も、ここまでくると芸術品である。これで(メシ)が食える。なんの根拠もないところから、よくもこれだけの壮大な法螺(ほら)話をくり広げることができるものだ。俺はもう怒る気も起こらない。

 俺の父親が教育を放棄していただと!? 自分に自信がなかっただと!? そんな馬鹿なことがあるか。俺の父は俺にとって、まさに壁だった。難攻不落の金城鉄壁(きんじょうてっぺき)だ。俺の父は子育てに対して独自の哲学をもっており、父だけのやり方で俺を育ててくれた。すぐれた人生の先達だった。

 俺は中学一年の夏にキセルをして、それが父に露見したことがある。そのとき父が示した意外な行動は、俺の人生観を決定づけたといっても過言ではない。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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