014 妹・樹理とカンゴールの赤いランニング・シューズ

文字数 1,307文字

 樹理(じゅり)は小学一年で、6歳だ。部屋の壁には、父、母、そして俺の似顔絵がピンで留めてあった。昨年まで通っていた幼稚園で工作の時間にクレヨンで描いたものである。じょうずに描けたわね、と保母さんに褒められ、樹理も得意になって大切に取っておいたのだ。子供らしい稚拙なデッサンではあったが、彩りがあざやかで勢いがある。モデルの特徴をよくとらえており、素質を感じさせる。だが、樹理がその小さな手に再びクレヨンを握ることはもうないのだ……。

 樹理はベッドで冷たくなっていた。その遺体を抱き上げると、母よりさらに軽く、拍子抜けするほどだった。まるで体の中に、やわらかい羽毛しか詰まっていないかのようだ。無邪気な顔はまるで眠っているようにしか見えず、天使のようにあどけなかった。妹も絞殺だった。母同様、首の回りが赤く鬱血しているのが正視にたえない。

 樹理のベッドの枕元には、スナフキンの縫いぐるみが置いてあった。全高が40センチくらいある、かなり大きなものだ。二年前のクリスマスにプレゼントとして贈られ、本人はサンタからもらったと信じていた。緑の帽子に黄色い羽をさし、静かに遠くを見つめる眼差(まなざ)しをした、おなじみの姿だ。樹理のお気にいりの宝物で、眠るときはいつも一緒だった。そのスナフキンの眼差しも、今は哀しげである。人形にも魂があり、主を失ったことを知っているのだろうか。

 苦しかったろう、樹理。でも、もう何も怖がる必要はないんだよ。

 三週間前の日曜は、樹理が小学生になって初めて迎える運動会だった。運動神経が発達して動作が機敏だった樹理は、クラス対抗リレーの選手に選ばれ、アンカーを務めることになっていた。

「絶対に勝つんだ」とはりきる樹理に存分に活躍してもらうため、運動会前にランニング・シューズを新調することになった。シューズ店まで付き添ったのは俺だ。
 陳列してある商品をいろいろ試してみた樹理だったが、なかなか気に入ったものが見つからなかった。色が気に入ればサイズが合わず、サイズが合えばデザインがしっくりこない、という具合だ。

 そんな樹理が、〈カンゴール〉の真紅のランニング・シューズを見て、目を輝かせた。
「お兄ちゃん、カンゴールってなに?」
「カンガルーのことさ」
「ぴょんぴょん跳びはねるやつ?」
「そうさ」
「じゃあ、これを履いたら、跳ぶように速く走れるね」

 履いてみたら樹理の足にぴたりと馴染んだ。樹理は上機嫌だった。カンゴールがたいそう気に入った彼女は、運動会当日まで、毎晩そのシューズを、縫いぐるみのように抱いて寝たのだ。スナフキンとともに、彼女の大切な宝物になった。

 運動会当日は、俺も応援に行った。樹理が出場するクラス対抗リレーが待ちどおしかった。その種目が開始されると、幼い小学生たちは無邪気な小動物のようにスタートを切った。抜きつ抜かれつバトンをリレーして、かわいらしいデッド・ヒートをくりひろげた。

 アンカーの樹理にバトンが回ってきたとき、樹理のチームは三位だった。樹理はバトンを受けると猛然とダッシュした。真紅のシューズが小気味よく大地を蹴って回転する。まさに跳ぶように走った。すぐに一人抜いて二位に浮上した。






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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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