026 変装
文字数 2,068文字
俺が今いるのは、ビル内のトイレ個室の一つだ。ズボンをはいたまま便座に腰かけ、購入したばかりのスタンガンのパッケージを開く。さっそく取扱説明書に目を通す。
使用法は、難しいことは何もなかった。本体に電池をセットしてセイフティをONにし、先端から突きでた二本の電極を相手に押しつけて、トリガーを引く。それだけだ。
準備を終えた俺は、いったん個室から出てトイレ内に俺以外は誰もいないことを確認し、ふたたび個室に戻った。スタンガンのトリガーを引く。瞬間、高圧電流がショートする激しい電子音が響き、電極の間に青白い火花が散った。個室内が青白く照らし出される。俺は会心の笑みを浮かべた。
次に、さきほど尾張屋書店で購入した「新宿区住宅地図」を広げる。交番を探すのだ。駅前や繁華街にある交番は犯罪の発生件数も多いから、配属されている警官も大勢で警戒心も強いだろう。人通りの少ない住宅街にある小さな交番を探す。
本当は郊外まで足を伸ばすのが一番いいのだが、時間がない。未成年だから非公開とはいえ、俺はすでに手配されているはずだ。捜査網が絞りこまれる前に決行しなければならない。
注意深く地図を見ていくと、新宿周辺は400~500メートルおきに一つの割合で交番がある。その中で、俺が今いるPePe西武新宿から北へ約一キロ弱、職安通りの北側、大久保一丁目にある交番がよさそうだ。下見して俺の目的を満たしてくれそうなら、ここで決行しよう。
俺はリュックを開き、あらかじめ用意しておいた作業着と作業帽を取り出した。道路工事や電気工事の作業員がよく身に付けているものだ。一般に市販されているもので、どこの会社でも使っているような、とりたてて特徴のないものである。
すでに計画に必要なものは、あらかた用意してリュックに詰めてある。探偵屋からの報告を待つ三日間を
本当は例の金属バットも、肌身離さず持ち歩きたかった。小学生のときに父に買ってもらって以来、ずっと俺の宝物だったのだ。毎晩寝るときもベッドすぐ近くの手に届く場所に置いておいたほどだ。あれが身近にないと心がなんとなく空虚である。サムライが刀を帯びずにいるというのは、こういう気分なのかもしれない。何百年も前の人種だから想像するしかないのだが。
しかし、俺の肉親殺しが露見した現在、凶器の金属バットを携帯することは、あまりにも無謀だった。目立ちすぎる。いかに警察が無能であるとはいえ、街で金属バットを持ち歩いている男を見かけたら職務質問をかけてくるだろう。だからあの金属バットは、安全な場所に一時的に隠してある。計画を完遂したら、また手に取ることができるだろう。その日までの辛抱だ。革命成就への道程は、まだ遠い。
俺は作業着に着替え、作業帽を被った。スタンガンは作業着の右ポケットに入れた。口髭をつけ、眼鏡をかける。個室の扉を細めに開けて、誰もいないことを確認してからリュックを持って外に出た。
鏡で自分の姿を確認する。制服は人間の個性を
人間というのは、日頃の思索が顔に出るのだ。俺の高校の幼稚な同級生たちは、頭の中で考えるその内容のとおり、やはり子供っぽい顔をしていた。日頃から人生や社会について真剣に考え続けている俺は、高尚な精神の熟成が外面に現れているのだ。
俺は鏡の中の作業員にニヤリと笑いかけた。作業員も悠然と笑い返してくる。
しっかりやりな、作業員君。
ああ、わかっているさ。抜かりはないよ。
俺は変装姿に満足すると、トイレを出た。
歯車はピッチをあげて回転しはじめた。計画は最初の大きな山場をむかえる。
✽平成16年10月30日(木) 亜樹夫の足取り
①西新宿探偵社
②新宿バッティングセンター
③新宿区役所
④尾張屋書店
⑤護身具ショップ アスピーダ
⑥PePe西武新宿