027 大久保一丁目交番
文字数 1,657文字
職安通りを渡って北側に行くと、そこが大久保一丁目だ。職安通りに張りつくように、コンビニ、酒屋、雑貨店、スーパーが横一列に並んでおり、その裏側が住宅街になっている。空気が排ガス臭く、一軒一軒の敷地が狭くて雑然としている点を除けば、東京郊外の普通の住宅街と大差ない。狭い路地にバブル前に建った古い造りのアパートが軒を連ね、屋内からはテレビの音が漏れ聞こえてくる。
地図で確認した交番はすぐ見つかった。木立ちの茂った児童公園と駐車場にはさまれた小さな交番だった。入口横のガラス張りの掲示板に、指名手配や尋ね人のポスターが数枚、無造作に貼られている。どれも日焼けして褪色している。ポスターが褪色するほど時間が経過しているのに、いまだに該当者を発見できないというのは、警察が愚鈍な証拠であろう。交番の向かいは病院の高いコンクリート塀が左右に伸びていて見通しがきかない。計画を実行するには、おあつらえ向きだ。
交番内では制服警官が一人、電話の置かれたスチールのデスクにむかって何か書類を書いている。他に警官の姿はない。交番横の駐車場を覗いてみると、巡回用の白塗り自転車が一台あるだけで、パトカーや白バイはない。同僚たちはパトロールに行っているということだ。俺は、この交番を決行の地に決めた。
なに喰わぬ顔をして一回交番の前を通りすぎ、住宅街の奥に入っていく。いりこんだ路地を何度も曲がって、できるだけ所在が分かりにくそうな家を一軒見つけると、住所と表札の名を手帳にメモした。「新宿区大久保一丁目××―×× 大矢将元」だ。もちろん、赤の他人である。例の新宿区住宅地図で調べてもよかったのだが、わずかな期間のあいだでも、引越などで実情が変わっている場合もある。自分の足で最新の状況を確認するのが一番だ。
メモが終わると、リュックから軍手を出して両手にはめた。交番に指紋を残さないためだ。作業員姿の俺が軍手をつけていても、まったく不自然さはない。
俺は交番に引き返した。さっきの警官が一人だけだ。通行人もいない。作業着の右ポケットを上から押さえてみる。スタンガンの確かな感触があった。心強い。俺は交番の入口をくぐった。
「すいません。道をおたずねします。大久保一丁目××―××の大矢将元さんのお宅へは、どう行ったらいいんでしょうか?」
俺はメモした手帳のページを示しながら、警官に訊いた。実在する住所をたずねているわけだから、何も恐れることはない。
警官はちらりと俺を見ただけで、すぐに視線を戻した。何の警戒も示さない。デスク上の本立てからB4サイズの大判の地図帳を取り出すと「一丁目の大矢さん、一丁目の大矢さん」とつぶやきながら、ページを繰りはじめた。気さくな人間らしい。地図には各地番ごとの詳細な地割りと、住人の名が記されていた。俺が持っている文庫サイズの住宅地図を大判に引き伸ばしたようなものだ。
防犯用の監視カメラが設置されていないか、俺はさりげなく交番内に視線をめぐらせた。そのようなものはない。危機意識がないのか、経費の問題か、あるいは警官自身が監視されるようで嫌なのか。いずれにしても、俺には好都合だ。
交番奥の控え室のドアが半開きになっていた。俺は警官に悟られないように、ドアのすき間から中の様子を探った。控え室は無人だ。熱心に地図を調べている警官は、俺の行動に気づかない。
「ああ、ありましたよ、大矢さん。うーん、これはちょっと説明しづらいなあ」
あたりまえだ。説明しづらいような場所を故意に選んだのだ。警官は俺のことを客の家を探す何かの業者だと思いこんで、完全に信用している。
「いやあ、助かったな。どこですか?」
俺はわざと明るい声で答え、警官に近づいた。手帳をさりげない動作で作業着のポケットにしまう。いきなりポケットに手を突っ込んだら怪しまれるだろうが、これなら自然な動作だ。
俺の右手にスタンガンのグリップが触れた。セイフティをONにする。