071 俺の凶器はシンに目撃されていた

文字数 2,272文字

 シンは涙ぐんだ目を輝かせた。

「やっぱり俺の目に狂いはなかった。アキラはそういう人間じゃないかって直感したんだ。きちんと他人の話を聞いて、受け止めてくれる人間だって。今日はじめて会ったばかりなのに、ピンときた。不思議だよね。なにか心の波長がシンクロするような感じだった。どうしてなんだろう。アキラはどうして俺の気持ちが分かるの? アキラの両親はもちろん健在だよね?」

「え?!……ええ、もちろんです。元気にやってますよ」
 天国で、ということだが。

「親は大切にしないとだめだよ。俺も、いなくなって始めてありがた味が分かった。最初の頃は、なんで死んだんだって親父のことを恨むばかりだったけど、ようするにそれ、俺は自分のことしか考えていなかったんだよね。

 最近だんだん、死んだときの親父の気持ちを考えるようになった。どういう気持ちで死んだんだろう、最期のときに何を考えていたんだろうって。たぶん親父は本当は死にたくなかったんだよね。俺と智代(ともよ)のそばに、ずっと居たかったんだよね。それでも迷って、気持ちがむこうに行ったりこっちに来たり、さんざん迷って、最後の手段として、どうしようもなくなって死んだんだよね」

 俺は言葉に力を込めて、シンを励ました。

「お父さんは最後までシンや智代さんのことを考えていたと思います。だって、自分のことだけしか考えないで死んでいくんだったら、シンや智代さんの写真を手帳にはさんで、身につけて死んでいくわけがないじゃないですか。手帳に『すまない』と書き残しておくわけがないじゃないですか。その四文字にすべての気持ちを凝縮したんだと思います。二人のことを心に残しながら、やむにやまれず()ったんだと思います」

「そうだよね。そうだよね。親父は俺たちのことを見捨てたわけじゃないよね……」
 シンが嗚咽(おえつ)をもらす。

「お父さんが亡くなったのだって、シンのせいじゃないと思います。お父さんは自分で考えて、自分の人生に決着をつけたんです。それが、お父さん自身の選んだ運命だったんです。だからもしあの日、シンがお父さんを探しにいって、そのときは助けることができたとしても、別の日にまた実行したでしょう。シンにはどうしようもなかった。自分を責める必要はありません。

 智代さんだってシンのことを恨んではいませんよ。俺は第三者だから、先入観のない公平な目で判断できる。智代さんにシンを恨む気持ちなんて、微塵(みじん)も感じられませんでしたよ。兄として信頼しきっていますよ」

「アキラは優しいね。ありがとう……」

 シンは大粒の涙をこぼしていた。そして俺も、じつは心の中でシンといっしょに泣いていたのである。彼の父親の死に、自分の父親の死を重ねていたのである。

 現代の人間は、悲劇を嫌い、悲劇から目をそらそうとする傾向が強い。つらい出来事を直視せず、自分に都合のいいことしか見ようとしない。心が弱いからだ。

 ハリウッド映画は公開前に大規模なモニター試写会をおこない、アンケートにもとづいてストーリーを変えていく。アンケート結果では、主人公やその身近な人物の死が忌避され、ハッピーエンドを望む声が圧倒的に強い。商業主義に凝り固まったハリウッドは大衆に迎合して、悲劇を(うと)み、ご都合主義の大団円に帰着する。だから、どれもこれも、どこかで見たような似たりよったりのストーリーなのだ。日本の週刊コミック雑誌でも、同様の傾向が見られる。

 だが、この現実の世の中には悲劇は厳然として存在するのだ。実人生では、ご都合主義のハッピーエンド、予定調和の大団円など望むべくもない。

 人はすべからく悲劇を直視すべきである。悲しい出来事から目をそらして、心の中に封印してはならない。それを他者に話すことによって、心の中が整理され悲しみが薄らいでいくのである。話を聞いたほうも、相手の悲しみを自己の悲しみとして共有することで、相手に対する思いやりの心が養われ、同時に自分自身も癒されていくのである。

 シンは悲劇的な父親の死について俺に語ることによって、心の中で過去を直視し、自分の考えをまとめ、殻をうち破ったのだ。父親の死という過去を決して忘れることはないだろうが、これからはその過去を背負ったままでも自分の新しい人生を歩んでいくことができるだろう。彼は最初の一歩を、すでに踏みだしたのだ。

 俺にも──すでにこの世には家族と呼ぶ者は一人もいない俺にも、シンの悲しみ、苦悩がよく分かった。そして俺のほうも、心の重荷が少し軽くなったのだ。孤独に生きている者は俺だけではない。大切な肉親を失った者は俺だけではない。都会の片隅で身をよせあって生きる兄妹のささやかな生活にも、肉親の死という悲劇は影をおとしていたのだ。それでも彼らは前向きに生きようとしている。

 この世にはさらに大勢のシンたちや、さらに大勢の智代たちがいることであろう。彼らも悲劇の底から這いあがって、顔を上げて生きているのだ。俺だけではない。俺だけではない……。

「俺、アキラに謝らなければならないことがあるんだ……」
 気持ちが落ち着いてくると、シンは改まって言った。

「え、なんですか?」
「じつを言うと、俺、最初、アキラのこと疑ってたんだ」
「なにをです?」
「俺、見ちゃったんだ。今日アキラが歌舞伎町で刑事を気絶させたとき、ポケットにスタンガンをしまうところを……」

 俺は息をのんで、シンの顔を正視した。


(作者注:亜樹夫 (アキラ) がスタンガンを使用して刑事を気絶させたときの状況に関しては、エピソード「034 男の名はシン」をご覧ください。)

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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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