057 精神的な父親殺し

文字数 1,970文字

「奥が深いですよ。私の専門である心理学の観点から分析すると、三叉路(さんさろ)に壁のように立ちふさがり、オイディプスの行く手を阻んだ父王ライオスは、旧世代の価値観の象徴なんです。オイディプスが真に自立して新しい価値観を獲得するためには、壁となった父を打ち負かし、乗り越えていかなければならない。これは子が親の束縛を脱して本当に自由に生き、真のアイデンティティを手に入れるためには避けることができない人生の通過儀礼です」


 (画像はイメージです。)

「とすると、それはいわば『精神的な父親殺し』であって、現実世界で本当に父親を殺す必要は全然ないわけですね?」

「ご明察。現実世界で『

父親殺し』に成功した子たちは、やがて父親と和解し、人生を先に歩んで行きます。

父親を殺してしまうのは、『精神的な父親殺し』に失敗した子どもたちですよ」

「とすると、今回の事件、容疑者少年と父親との関係が焦点になってきますね」

「そのとおりです。捜査の進展が待たれます」

「先生のお話を伺っていると、被害者の命を奪った手段が異なっていた理由が、なんとなく納得できるような気がします。父親は両眼を(つぶ)したうえで鈍器で撲殺と、残虐性が際立っているのに対し、母と妹は絞殺ですから、命を奪ったという罪の重さに違いはないとしても、残虐性がやや薄いような気がします。容疑者少年は、母と妹に対する害意は、父ほどには強くなかったということでしょうか?」

「その可能性は十分にあります。少年のターゲットはあくまでも父親で、母と妹は巻き添えだったのかもしれません」

「ライオス王の護衛のようにですね。ますます『オイディプス』に似てきましたね、この現代の『父親殺し』は! その母と妹に関しては、他にも気になる点がいくつかあります。妹さんはカンゴールの赤いランニング・シューズを履いたままベッドで発見されていますが、これは、どういうことなんでしょう?」

「特別な意味はないでしょう。たとえば玄関で外出先から妹が帰宅してくるのを待伏せしていて、凶行に及んだ。遺体の腐敗を防ぐために、そのままクーラーの効いた寝室に運んだ。遺体を人間ではなく、すでにモノとして扱い、土足のままベッドに横たえた……そういうことではないでしょうか」

「枕元にスナフキンの縫いぐるみが置かれていたのは、どういうことでしょう?」

「気まぐれでしょう。この容疑者の少年、犯行が発覚するまで三日間、遺体と同じ屋根の下で生活していた。その三日間の間に、ふと真人間としての心を取りもどす瞬間もあって、自分が犯した罪の重さにおののき、被害者の魂を慰めようとしたのではないですか。しかし、それが縫いぐるみというのは、いかにも幼稚な発想ですね」

「殺した相手が赤の他人ではなく肉親ということが、恐ろしいところです。自分を生んで今まで育ててくれた親であり、血をわけた妹です。何年も生活を共にしてきた大切な家族のはずです」

「それを無惨に殺した。相当な負のエネルギー、怨念を感じます。そこまで恨みが深いということは、やはりこれは今までに家庭内で相当なことがあったと思うんです。そこで先ほどの話につながるんですが……」

「『精神的な父親殺し』に失敗した、というあの話ですか?」

「そうです。表面的には家族関係が良さそうに見えたとしても、実際のことは当事者にしか分かりません。この少年、やっぱり家庭内で傷ついていたと思うんですよ。具体的にそれが何かということは現時点では分かりません。警察の捜査を待つしかないでしょう。

 ごく幼い頃か、それとも最近か、とにかく非常につらい体験をして、心に深い傷を負った。でも、この少年頭がいいから、その気持ちを表に出しちゃだめだ、耐えなくてはだめだと我慢して、親や周囲が望むような理想像『いい子』を演じつづけた。オイディプスのように本当の自分を父親にぶつけて、壁を乗り越えていくことができなかった。

 さきほど私が指摘しましたが、少年のクラスメイトの一人の発言──『心の中で冷笑している』『何を考えているか分からず不気味』──あの言葉に少年の本当の人間像を読み解くヒントがあると思います。高校を卒業したら父親の会社を手伝うと言っていたのも、本心を隠した演技だったと思うんです。話がデキすぎていますよ。これではいつかキレます。

『精神的な父親殺し』に失敗し、無理やり心の内側に抑えこんだ深い傷が、(うみ)を出しながら、(いや)されることなくそのまま化膿していく。これが『心の闇』です。心理学の専門用語では『インナーチャイルド』といいます。いい子の仮面の下に抑えこまれた、子供のままの本当の自分という意味です。そしてその子供のままの自分が、何らかのきっかけで爆発、外部への異常な攻撃として転化した。抑圧されていた負のエネルギーが、突如、家族に向けられた……」
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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