070 十字架を背負って
文字数 2,228文字
「俺は親父を恨んだよ。なんで死んだんだって。無責任じゃないか。
でも、いつまでも愚痴っているわけにはいかない。俺には生活があった。智代をしっかり学校に行かせて、一人前にしなければならない。それがせめてもの、智代に対する俺の罪滅ぼしだ。智代に頼まれたとき、俺は親父を探しにいかなかったからね。俺が父親代わりになって、俺の責任で、高校も大学も一流のところに行かせるんだ。だから俺はがむしゃらに働く。ドラッグだって売るさ。派手な格好してツッパっているのだって、自分で自分に
親戚の人からは、父親が自殺したことは誰にも言ってはいけない、事故で死んだことにしなさいって言われた。世の中には自殺に対する強い偏見があって、自殺した人間は弱いから自殺したんだ、社会に適応できなかった落ちこぼれなんだと、誰もが考えるからだということだった。
父親が自殺したことが知られたら、智代だって結婚できなくなるって言われた。だから俺は今まで親父が自殺したことは誰にも言ってない。引越屋の同僚だって誰も知らない。俺は親父のことは心に封印して、できるだけ考えないようにした。忘れようとした」
「でもシンは、どうして俺には話してくれたんですか?」
不思議なのはそれだった。どうしてこんな重要なことを、俺に打ち明けてくれたのか。
「さっき、肉親というのは魂の部分でつながっているって言っただろ。親父と俺は心の中でつながっている。親父の問題についてはっきり決着を着けないと、俺自身が胸を張って生きていけないことに気づいたんだ。
俺は今まで友達としゃべっているときに、父親のことが話題になると、席をはずしたり、嘘をついたりして、その場をごまかしていた。いつ父親が自殺したことを知られるかと、びくびくおどおどしていた。もし知られたら偏見を持たれるんじゃないか、俺に対する態度が手のひらを返すように変わるんじゃないか、仲間はずれにされるんじゃないかって、そればかり恐れていた。
父親の問題から逃げていたんだ。他人の目を気にしてばかりで、これでは本当の俺の人生が生きられない。逃げちゃだめだって思うようになった。誰かにきちんと話して、俺の心の中で決着をつけようって思うようになった。なかなかそういう相手にめぐり会わなかったんだけれども、今日アキラに会って、なんかこの男なら信用できそうだって直感的に思って、話すことに決めたんだ」
今日はじめて会った俺を、そこまで信頼してくれたのか。父親を特殊な事情で失い、父親の死という問題に対して神経が鋭敏になっていたシンは、俺が同じ問題をかかえていること、俺が同類であることを本能的に見抜いたのだ。
シンは勘が鋭い。そういえば今晩、新宿歌舞伎町の路地に座っていた俺を見て、俺には泊まるところがないということを見抜いたではないか。
「話してくれて……本当にありがとう。シンの気持ちはしっかり受け止めました」
俺は居ずまいを正すと、センターテーブル越しにシンの手を握り、それだけ言った。俺は孤独を愛する人間だが、ひとたび信頼関係が成立した相手に対しては誠意をもって応対する主義である。
俺も君と同じ状況に置かれているんだ。俺の父ももうこの世にはいないんだ。すべてを告白し、ともに語り合いたい衝動に駆られた。シンは俺を信頼して、すべてを話してくれたのだ。俺もその信頼に応えたかった。だが……。
そう。だが、俺には使命があるのだ。長く険しい道は、まだまだつづく。今、ここでしゃべるわけにはいかない。俺は喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。心の中でシンに
シンに対して、君の気持ちはよくわかるとか、大変だったねとか、よけいなことは言わない。そんなことを言えば、なんでおまえに俺の気持ちがわかるんだ、安っぽい同情はしないでくれと反感を持たれることだろう。俺も父を、いやすべての家族を失っていることをシンは知らないのだ。痛みを共有しない興味本位の同情と受け取られかねない。それは彼の
俺はただ彼の言葉を受け止めるだけでいい。シンは俺に話すことで、じつは自分の心の中で闘っているのである。自分で自分のまわりに築いてしまった壁を、話すという行為によって自分の手で内側から崩しているのだ。俺はただ受け止めるだけでいい。
「アキラは俺のこと色眼鏡で見ないのかい? 話す前と、まったく変わらない態度で接してくれるのかい?」
「あたりまえじゃないですか。お父さんが不幸な死に方をしたからといって、シンはシンのままです。シンの人間としての価値が変わるわけじゃない。大切なことを打ち明けてもらって、感謝しています。今の話は俺の心の中で大切に守って、誰にも言いません」
(作者注:シンが亜樹夫には「泊まるところがないということを見抜いた」というくだりに関しては、エピソード「034 男の名はシン」をご覧ください。)