049 獺祭(だっさい)
文字数 2,004文字
リポーター女史は途方に暮れてしまった。
俺は
(画像はイメージです。)
高校の中間試験の範囲として指定された日本文学史テキストの正岡子規のページに、その旨の記述があったのだ。教師が授業中に説明したにもかかわらず、「獺祭」の意味を理解できなかった
それにしても、このテレビのリポーター女史は、キー局のニュースに出演するくらいだから、一流大学を出て高倍率の採用試験を突破した
「文学者が詩文を作る際に、多くの参考書籍を広げ散らすこと」などと地の文で説明すれば風情も
「容疑者の少年は高校三年生ですから、受験生ですよね。具体的には、どこの大学を狙っていたんですか?」
獺祭で無知をさらけ出したリポーター女史は岩清水の質問を無視すると、強引に話題を戻した。涼しい顔でインタビューを続ける。マスコミは、これくらいしたたかで強心臓でないと、やっていけない。岩清水も乗せられてしまった。
「それが……さっきも言ったように、彼のお父さんは工務店の社長なんですけど、この不景気で会社の経営が大変らしくて……。だから彼は大学へは進学せず、高校を卒業したら、すぐに父親の会社を手伝うんだと言っていました」
「成績優秀なのに、なにかもったいないような気がしますね」
「クラスの担任も、そう考えたようです。大学の建築学科で専門知識を身に付けてからでも遅くはない、長い目で見ればそちらのほうが自分のためにも父親の会社のためにもなると、彼を説得しようとしました。でも彼の意志は固く、即戦力としてすぐに父親の会社を手伝うんだと言い張って、大学進学は考えなかったようです」
俺は苦笑した。事なかれ主義で、役所の事務員か銀行員のような平凡な顔をした担任教諭の顔を思い浮かべる。あの担任が、大学に進学したほうが俺のためにも父の会社のためにもなると言ったのは建前だ。成績優秀な俺が一流大学に合格すれば、それは高校の実績として宣伝材料になる。だから、俺に大学進学を勧めただけである。ようするに自分たちの都合なのだ。
マンネリで退屈だった高校での生活。毎日、同じ顔、同じ授業、同じ話。そんな死んだような学校が、二月三月の大学入試合格発表シーズンだけ、見ちがえるように活況を呈した。教員の大半が職員室に詰め、携帯電話を手に、生徒からリアルタイムで送られてくる合格報告をホワイトボードに記入していく。ふだんは眠ったような顔をしている教員たちが、このときばかりは妙に生き生きしているのだ。そして生徒から寄せられたこの合格実績は大々的に
これはおかしい。大学合格実績をひけらかすことが教育の目的ではない。日頃から忍耐強く生徒とコミュニケーションを積み重ね、一人一人の性格や考え方、個性を正確に把握する。それを基に、その生徒のためにどういう教育をほどこしたら一番効果的で将来のためになるか。それを真剣に考えるのが教師の使命であり、教育の本義なのだ。
テストの採点をするときだって、一人一人俺たち生徒の顔を思い浮かべながら赤ペンを入れてほしい。たいていの教師は、面倒だ、なんでこんなことをしなければならないんだ、早く片づけて酒でも飲みたいと、そんなことを考えながらやっつけ仕事でやっているにちがいない。日頃からそんなありさまであるのに、大学合格発表シーズンのときだけ、それが高校生活における最大のイベントであるかのように錯覚して大騒ぎしている教師たちの姿に、俺は幻滅を覚えたものだ。
溜息をついていると、今度は別の生徒がVTRに登場していた。岩清水へのインタビューは、いつのまにか終わっていたようだ。