049 獺祭(だっさい)

文字数 2,004文字

「ダツサイ? ダサイじゃなくて、ダツサイですか? さあ……」
 リポーター女史は途方に暮れてしまった。

 俺は(わら)った。「(だつ)」は、訓読みすれば「(かわうそ)」である。イタチとビーバーを足して二で割ったような、川辺に生息しているあの哺乳類である。この獺は、捕らえた魚を、祭の供え物のように自分の周囲に並べておく習性がある。これを指して「獺祭(だっさい)」と言うのだ。転じて、文学者が詩文を作る際に、多くの参考書籍を広げ散らす様子を表すようにもなった。ちなみに、明治の俳人・正岡子規(まさおかしき)は、自室を「獺祭書屋」と呼んでいたそうだ。


 (画像はイメージです。)

 高校の中間試験の範囲として指定された日本文学史テキストの正岡子規のページに、その旨の記述があったのだ。教師が授業中に説明したにもかかわらず、「獺祭」の意味を理解できなかった岩清水(いわしみず)が、授業後に俺に訊きにきたことがあったのである。俺は丁寧に説明してやった。なれなれしくされるのは迷惑だったが、特に俺を信頼して質問してくれた以上は、無下に扱うわけにもいかない。

 それにしても、このテレビのリポーター女史は、キー局のニュースに出演するくらいだから、一流大学を出て高倍率の採用試験を突破した才媛(さいえん)だと思うが、それが「獺祭」も知らないという語彙(ごい)の貧しさは、いったいどういうことなのだ。最近の日本人の言葉に対する感覚の貧しさは、嘆かわしいかぎりである。ギャル語に代表されるチープな語法が蔓延(まんえん)し、日本語本来の豊かさが失われつつある。

「文学者が詩文を作る際に、多くの参考書籍を広げ散らすこと」などと地の文で説明すれば風情も含蓄(がんちく)もないが、それを「獺祭」という言葉で簡潔に、しかもより深く説明することができるのである。日本語とは本来、このような豊かな奥行きを伴った言語なのだ。

「容疑者の少年は高校三年生ですから、受験生ですよね。具体的には、どこの大学を狙っていたんですか?」

 獺祭で無知をさらけ出したリポーター女史は岩清水の質問を無視すると、強引に話題を戻した。涼しい顔でインタビューを続ける。マスコミは、これくらいしたたかで強心臓でないと、やっていけない。岩清水も乗せられてしまった。

「それが……さっきも言ったように、彼のお父さんは工務店の社長なんですけど、この不景気で会社の経営が大変らしくて……。だから彼は大学へは進学せず、高校を卒業したら、すぐに父親の会社を手伝うんだと言っていました」

「成績優秀なのに、なにかもったいないような気がしますね」

「クラスの担任も、そう考えたようです。大学の建築学科で専門知識を身に付けてからでも遅くはない、長い目で見ればそちらのほうが自分のためにも父親の会社のためにもなると、彼を説得しようとしました。でも彼の意志は固く、即戦力としてすぐに父親の会社を手伝うんだと言い張って、大学進学は考えなかったようです」

 俺は苦笑した。事なかれ主義で、役所の事務員か銀行員のような平凡な顔をした担任教諭の顔を思い浮かべる。あの担任が、大学に進学したほうが俺のためにも父の会社のためにもなると言ったのは建前だ。成績優秀な俺が一流大学に合格すれば、それは高校の実績として宣伝材料になる。だから、俺に大学進学を勧めただけである。ようするに自分たちの都合なのだ。

 マンネリで退屈だった高校での生活。毎日、同じ顔、同じ授業、同じ話。そんな死んだような学校が、二月三月の大学入試合格発表シーズンだけ、見ちがえるように活況を呈した。教員の大半が職員室に詰め、携帯電話を手に、生徒からリアルタイムで送られてくる合格報告をホワイトボードに記入していく。ふだんは眠ったような顔をしている教員たちが、このときばかりは妙に生き生きしているのだ。そして生徒から寄せられたこの合格実績は大々的に喧伝(けんでん)されて、新たな生徒獲得のための材料として利用されるのだ。

 これはおかしい。大学合格実績をひけらかすことが教育の目的ではない。日頃から忍耐強く生徒とコミュニケーションを積み重ね、一人一人の性格や考え方、個性を正確に把握する。それを基に、その生徒のためにどういう教育をほどこしたら一番効果的で将来のためになるか。それを真剣に考えるのが教師の使命であり、教育の本義なのだ。

 テストの採点をするときだって、一人一人俺たち生徒の顔を思い浮かべながら赤ペンを入れてほしい。たいていの教師は、面倒だ、なんでこんなことをしなければならないんだ、早く片づけて酒でも飲みたいと、そんなことを考えながらやっつけ仕事でやっているにちがいない。日頃からそんなありさまであるのに、大学合格発表シーズンのときだけ、それが高校生活における最大のイベントであるかのように錯覚して大騒ぎしている教師たちの姿に、俺は幻滅を覚えたものだ。

 溜息をついていると、今度は別の生徒がVTRに登場していた。岩清水へのインタビューは、いつのまにか終わっていたようだ。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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