015 隠蔽工作

文字数 971文字

 樹理(じゅり)のペースはまったく衰えを見せない。ゴールまであと三メートルというところでもう一人抜いて、滑るようにトップでゴールのテープを切った。
 俺は立ち上がって拍手をおくった。樹理のクラスメートたちも大喚声をあげた。明るく快活な樹理は、クラスの人気者だったのだ。俺は、あのときの樹理の笑顔を決して忘れはしない……。

 俺は樹理の遺体も一階の両親の寝室まで運び、父母の間に並べて寝かせた。二階の樹理の部屋からスナフキンの縫いぐるみを持ってくると、枕元に置いた。川の字になって仲よく眠っている三人。それを、静かな眼差しで見守るスナフキン。

 俺は玄関にカンゴールの真紅のランニング・シューズを取りに行き、ブラシで土と(ほこり)を丁寧に落とした。それを持って寝室に戻ってくると、樹理の小さな足に履かせた。樹理がカンゴールを履いて大地を走ることは、もう二度とない。

 俺は三人の上に毛布を広げてかぶせた。そのままベッドの横に座りこんで何時間もすごし、三人の冥福を祈った。
 最初は三人が死んだということが信じられなかった。現実感がなかった。三人は、ただ眠っているだけなのではないか。そのうちすぐに起き出して、いつものように笑ったり、喋ったりしはじめるのではないか。

 ……だが、三人が動き出すことはなかった。永遠に。いつまで待っても、冷たくなって無言で横たわっているだけだ。やがて俺は現実を受け入れざるをえなくなった。三人は、死んだのだ。最初はただ哀しいだけだったが、やがて身を焦がすような憤怒に体が震えはじめた。世の理不尽を呪った。そして夜が明けるころには、今回の計画を練り上げていたのだ。

 朝になると俺は自分の高校に電話をかけ、風邪でしばらく休むと担任に伝えた。樹理の小学校にも電話して、やはり休むと伝えた。
 三人を安置した寝室のエアコンは、クーラーを最大出力にしておいた。秋とはいえ、日中の気温はかなり高い。遺体が腐らないようにするための配慮だ。父の、母の、そして樹理の遺体が、醜く崩れていくことは血のつながった肉親として耐えられない。

 次いで、俺は父親の会社の事務所に向かった。事務所といってもプレハブ平屋建ての簡素なもので、自宅から徒歩で五分の距離だ。始業時間になっても父が出社してこないことを従業員から不審に思われないよう、あらかじめ手を打っておく必要があった。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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