048 校長なんてのは学校の飾りにすぎない

文字数 1,622文字

 それを見た俺は、いま述べたことを敷衍(ふえん)して、原稿用紙400字詰めで30枚程度の評論にまとめた。

「……なまじプロレタリア文学などというレッテルを貼るから、一般の読者からは思想的な背景を敬遠されて、読まれなくなるのである。先入観を廃し、もっと純粋に作品自体に目を向けるべきだ。作家・小林多喜二をハードボイルドという文脈で再評価するならば、昭和33年の大藪春彦(おおやぶはるひこ)『野獣死すべし』に先駆けること29年、昭和4年に発表された『蟹工船』こそ、日本ハードボイルドの始祖であり、古くて新しい金字塔といえよう」と結んだ。

 表題は「小林多喜二ハードボイルド論」と銘打って、都の教育委員会に応募した。

 数週間後、教育委員会から俺の高校に連絡があって、俺が入選したという。
「先例のない斬新な発想」「さすが感性のみずみずしい高校生だけあって着眼点がユニーク」など、高く評価した委員がいたそうだ。賞状が高校に送られてきた。

 この賞状を見て、俺の高校の校長が、学校にとって名誉なことだから全校生徒の前で表彰すると言い出した。俺を校長室に呼んで、その旨を伝えた。

 表彰などというものは、権威によるランク付けに他ならない。俺は即座に拒絶した。賞状を得ることが目的でコンクールに応募したのではない。小林多喜二という偉大な作家が世間から再評価を受けるために、微力ながら一石を投じることができれば、と考えただけである。

 校長にとっては予想外のことだったらしく、目を白黒させて狼狽(ろうばい)していた。俺はそんな校長を尻目に、冷笑しながら校長室を後にした。

 数十分後、今度は俺のクラス担任が青い顔をしてやってきた。この担任は教育者というよりは役場の職員か銀行員のような男で、ただ決められた仕事を事務的にこなしていくだけの男だった。俺たち生徒とは日頃から腹を割って語り合うことはないし、なんの信頼関係も成立していない。

 担任は表彰に応じるよう、俺を説得しはじめた。俺は断った。担任はそれでも食い下がって、しつこく俺を翻意(ほんい)させようとする。俺は拒絶しつづけた。俺の決意が固いことを知った担任は、最後に俺に頭を下げた。

 このままでは僕の立場もヤバイんだ、僕の心情も察してくれよ……と気弱に懇願(こんがん)した。

──なるほど。校長と生徒の間の板挟(いたばさ)みというわけか。俺の説得に失敗すると、校長の顔を(つぶ)したことになって、以後、学校内における担任の立場が微妙なことになってしまうわけだ。生徒の意思よりも自身の保身を優先するわけか……。

 俺はその姿を見て、ふと担任が哀れになった。自分の体面のためには、生徒にも頭を下げて恥じない卑屈な男。こんな男を相手に信条を貫くまでもあるまい。信条というのは、自分と対等の相手に対してでなければ意味をなさない。

 俺は表彰に応じると承諾した。担任は泣き笑いのような顔をしていた。

 岩清水(いわしみず)がリポーターに喋っていたのは、このときの話だ。俺にとっては、もはやどうでもいい昔話だが。インタビューは続いている。

「……なるほど。容疑者の少年は、進路が理系であるにもかかわらず、たいへん国語力もある生徒だったわけですね」
「そうです。すごい人です」

 岩清水はしきりにアピールしてくれるが、それほどのことはない。明治・大正期の文豪森鷗外は、小説家であると同時に医者でもあった。しかも陸軍軍医総監という軍医としては最高の位まで登り、文筆活動と両立させた。幼少時から四書五経を暗記しており、漢文を自在に操ったそうだ。英語・ドイツ語の読み書きも堪能で、18歳時にはドイツ語で日記を書いていたという。それに比べれば、俺などはまだまだだ。単にまわりにいる奴のレベルが低いだけである。

 岩清水は喋りつづけている。
「彼は現代国語だけじゃなくて、古文や漢文も得意でしたよ。僕は、勉強で分からないところがあると、いつも彼に聞いていました。そうそう、『獺祭(だっさい)』という言葉を知っていますか?」

 岩清水は、大胆にもリポーターに逆質問をかけた。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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