048 校長なんてのは学校の飾りにすぎない
文字数 1,622文字
「……なまじプロレタリア文学などというレッテルを貼るから、一般の読者からは思想的な背景を敬遠されて、読まれなくなるのである。先入観を廃し、もっと純粋に作品自体に目を向けるべきだ。作家・小林多喜二をハードボイルドという文脈で再評価するならば、昭和33年の
表題は「小林多喜二ハードボイルド論」と銘打って、都の教育委員会に応募した。
数週間後、教育委員会から俺の高校に連絡があって、俺が入選したという。
「先例のない斬新な発想」「さすが感性のみずみずしい高校生だけあって着眼点がユニーク」など、高く評価した委員がいたそうだ。賞状が高校に送られてきた。
この賞状を見て、俺の高校の校長が、学校にとって名誉なことだから全校生徒の前で表彰すると言い出した。俺を校長室に呼んで、その旨を伝えた。
表彰などというものは、権威によるランク付けに他ならない。俺は即座に拒絶した。賞状を得ることが目的でコンクールに応募したのではない。小林多喜二という偉大な作家が世間から再評価を受けるために、微力ながら一石を投じることができれば、と考えただけである。
校長にとっては予想外のことだったらしく、目を白黒させて
数十分後、今度は俺のクラス担任が青い顔をしてやってきた。この担任は教育者というよりは役場の職員か銀行員のような男で、ただ決められた仕事を事務的にこなしていくだけの男だった。俺たち生徒とは日頃から腹を割って語り合うことはないし、なんの信頼関係も成立していない。
担任は表彰に応じるよう、俺を説得しはじめた。俺は断った。担任はそれでも食い下がって、しつこく俺を
このままでは僕の立場もヤバイんだ、僕の心情も察してくれよ……と気弱に
──なるほど。校長と生徒の間の
俺はその姿を見て、ふと担任が哀れになった。自分の体面のためには、生徒にも頭を下げて恥じない卑屈な男。こんな男を相手に信条を貫くまでもあるまい。信条というのは、自分と対等の相手に対してでなければ意味をなさない。
俺は表彰に応じると承諾した。担任は泣き笑いのような顔をしていた。
「……なるほど。容疑者の少年は、進路が理系であるにもかかわらず、たいへん国語力もある生徒だったわけですね」
「そうです。すごい人です」
岩清水はしきりにアピールしてくれるが、それほどのことはない。明治・大正期の文豪森鷗外は、小説家であると同時に医者でもあった。しかも陸軍軍医総監という軍医としては最高の位まで登り、文筆活動と両立させた。幼少時から四書五経を暗記しており、漢文を自在に操ったそうだ。英語・ドイツ語の読み書きも堪能で、18歳時にはドイツ語で日記を書いていたという。それに比べれば、俺などはまだまだだ。単にまわりにいる奴のレベルが低いだけである。
岩清水は喋りつづけている。
「彼は現代国語だけじゃなくて、古文や漢文も得意でしたよ。僕は、勉強で分からないところがあると、いつも彼に聞いていました。そうそう、『
岩清水は、大胆にもリポーターに逆質問をかけた。