043 戦士の休息

文字数 1,328文字

 智代がトレーに料理をのせて現れた。湯気の立ちのぼる熱い皿を、俺とシンの前に置く。ジャガイモのピューレが敷かれた皿の上に、こんがり焼いた豚肉とソーセージが盛られている。味つけは粒黒胡椒(つぶくろこしょう)と白ワインだ。さらに上からカレーバターソースがかけられていた。粒黒胡椒とカレースパイスのミックスした香ばしい匂いが鼻孔を刺激する。智代の料理の腕前は相当なものとみた。

 ……だが、俺に食欲はなかった。いくら気持ちに整理をつけたつもりでも、テレビの報道であらためて肉親の死の現実に接すると、やはり気が重い。悲惨だった当時の状況がありありと脳裏に甦り、息苦しいほど胸が掻きむしられる。

「どうしたんですか? ピューレ、お嫌いですか?」
「いや、そんなことないです……」

 智代が俺を見ている。受験勉強で忙しい彼女が、俺のために心をこめて作ってくれたのだ。その好意を無にするわけにはいかない。

「遠慮しないで食べてよ。妹の料理の腕はプロ級なんだ」
 シンも口添えする。

 食欲が衰えれば、体力が落ちる。体力が落ちれば、気力も()える。俺が進むべき道は、まだまだ遠く険しいのだ。亡き肉親への感傷に浸っているときではない。

 俺はナイフで豚肉を切り分け、フォークで口に運んだ。熱が全体に回って、火の当たりがやわらかい。粒黒胡椒とカレースパイスの刺激が香ばしい。味つけも肉によく馴染んでいる。今度はジャガイモのピューレを口にする。肉やソースの味を損なわないよう薄味に仕上げられており、素材の風味が生きている。シンの言葉どおり、智代はプロ級の腕だ。

「お口に合いますか?」
「おいしい。おいしいよ、智代ちゃん」

 お世辞ではなく、本心だった。人間の肉体が生きようとする本能には驚嘆する。一口二口と食べていくうちに、しだいに食欲が刺激された。口に運ぶペースがあがっていく。

 死んでしまった俺の家族たちは、もう食事をすることができない。それなのに俺は今こうして、湯気の立ちのぼる熱い料理を食べている。悪いとは思いつつも、食べ続けることを俺に命じる本能に逆らうことはできなかった。革命を成就させるためには、俺自身がしっかりしていなければならない。それが亡き家族への最大の供養だろう。

 食べなければ。体力を養わなくては。そう思うと、胸のつかえが若干軽くなった。俺は舌鼓(したつづみ)をうちながら食べつづけた。智代もシンも、そんな俺の食べっぷりを満足そうに見守っている。

 家庭の味がこめられた手作り料理を食べるのは、いったい何日ぶりだろう? たった独りの闘いを始めてからの俺は、食事はいつもコンビニやスーパーの弁当、ファーストフードのハンバーガーですませていた。ただ栄養を採り、肉体を維持するためだけの作業であり、食の楽しみなどは感じなかった。

 それが今は明るい電灯の下、兄と妹が築くささやかな家庭に客として席を与えられ、心のこもった料理をふるまわれている。実際には、俺の闘いは始まってからまだ数日しかたっていない。だが俺には数年に匹敵する長い期間に感じられていた。久しぶりに、本当に久しぶりに、普通の人間としての血の通った生活を取りもどしたような気がする。

「ありがとう、智代ちゃん。ほんとうにおいしいよ」
 俺は心をこめて礼を言った。




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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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