063 関戸橋

文字数 1,062文字

 分倍河原の先で左折して、長く歩いた国道20号を離れた。しばし振りかえり、恨みをこめて別れを告げる。そのまま南下して鎌倉街道にはいり、多摩川にかかる〈関戸橋〉を渡る。恒例の夏の花火大会では20万人の見物客を集めることで有名だ。橋の手前に〈さくらボウル〉のビルがあり、屋上にボーリングのピンを象った広告塔が設置されていた。広告塔は高さが6~7メートルもあり、地元のランドマークになっている。

 多摩川は都内にある河川としては大規模で、関戸橋の全長は優に300メートルを超える。鉄筋コンクリート製で、上り3車線、下り2車線の堂々たる造りだ。アスファルトで舗装された橋の上を、乗用車、トラック、ダンプがひっきりなしに往来している。たえず轟音が響きわたり、砂埃が舞い上がる。空気も排気ガス臭い。ようするに交通量の激しい幹線道路そのものの眺めで、橋といっても風情も情緒もなにもない。



 騒がしい関戸橋を渡りきると、父が小休止しようと言う。土手を降りて、草の茂った河川敷を下流へむかって歩いていく。300メートルも歩くと、橋上の騒音は聞こえなくなった。川の流れは穏やかだ。河川敷にはところどころに樹々の茂みがあり、黒く影を落としている。日光が強いからコントラストが激しい。緑が風に揺れる。

 足元に黒く焦げた石の円陣をいくつか見つけた。釣人が焚火(たきび)でもしたのだろう。だが行政の対応が行き届いているのか、人々の意識が高いのか、ゴミのようなものは散らかっていない。今日歩きつづけた(ほこり)まみれのアスファルト道路上の喧騒(けんそう)に比べれば、よほど静かで清潔である。時間の流れがゆるやかになったように感じる。

 俺は、河川敷に根を張るプラタナスの木陰に倒れこむように腰をおろした。体中の筋肉が(きし)んだ。父はコンビニを探して飲み物を買ってくるから、ここで待っていろと言う。言われなくても、動き回る元気はない。水筒は昼食をとった際に焼肉屋で給水しておいたのだが、そんなものはとっくに空になっていた。

 午後もだいぶ回っていたが、真夏の太陽はいっこうに勢力が衰えない。父がいなくなると、俺は地面にひっくり返った。全身が疲労困憊(ひろうこんぱい)している。手足の感覚が鈍い。自分の体じゃないようだ。

 大の字になってプラタナスを見上げた。蒼々と生い茂った葉が、陽射しの猛威を和らげてくれている。木洩れ陽が顔にあたる。背中の下草がやわらかい。川面を渡ってくる風が涼しかった。考える力はもうない。太陽があり、樹があって、死んだように横たわる俺がいる。ただ、それだけだった。

 気がつくと、(かたわ)らに父がいた。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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