024 護身具ショップ〈アスピーダ〉

文字数 1,043文字

 制服警官は二人とも中年で脂肪腹だった。制服の腹の部分がだらしなく着くずれて、見苦しい。

 神はみずからの姿に似せて人間を創造したという。だからトレーニングと節制によって鍛えあげ、ストイックに完成された人間の肉体は、神に似て地上で最も美しい芸術品なのだ。しかし、この二人の警官はそれだけの強い意志をもたず、惰眠飽食(だみんほうしょく)の日々を(むさぼ)っている者たちにちがいない。食いたくなったら食い、眠りたくなったら眠る。動物的本能の命ずるままに。弛緩した姿がその報いである。パトロール中という緊張感は微塵もなく、歓談しながらリラックスしている。まるで仲のよい友人同士でおしゃべりしているような風情だ。警官というのは本来はプロの犯罪捜査官であり、日本の治安をあずかる身である。それがこの様子では嘆かわしい。

 俺はそのままの歩調で、胸を張って警官たちとすれちがった。一家惨殺の容疑者であるはずの俺に対し、警官たちは何の関心も払わなかった。

 犯罪者が職務質問で馬脚をあらわし逮捕されるのは、警官を見て動揺し、あわてた態度をとるからだ。俺のように堂々としていれば、職務質問を受けることはない。

 新宿コマ劇場の左横をすりぬけてから左折すると、正面に東急文化会館が現れた。公開中の映画の大看板が正面にかかっている。付近の路地の一本に入っていく。そばのパチンコ屋でがなりたてる客よせアナウンスが、背後から無遠慮に追ってくる。うるさい。

 タウンページで住所をメモした雑居ビルを発見した。階段を昇り二階にあがる。俺は階段を昇る際に一切音を立てない。背筋を伸ばし(へそ)の下に力を入れて、密林の捕食動物のように、しなやかに、すべるように昇る。ばたばた無駄な音を立てながら階段を昇るヤツは馬鹿だ。なによりデリカシーがないし、エネルギーの無駄遣いだ。音とは振動エネルギーである。音を立てるということはそれだけエネルギーを浪費しているのだ。

 俺は〈アスピーダ〉と看板のかかった護身具ショップのドアをくぐった。

「いらっしゃいませ」
 カウンターの女子店員が営業スマイルで迎えた。20歳くらいだ。丸襟の白いブラウスに、青いベストを着ている。襟元には水玉模様をあしらった赤いスカーフを巻いている。

 どういうわけか、女子店員は挨拶をしたまま、放心したように俺の顔を見つめている。俺はひやりとした。
 テレビ・ニュースで、肉親殺しの犯人として俺の顔写真が公開されたのか?
 それでこの女は俺の顔をまじまじと見ているのか?
 さきほどの警官以上に観察眼が鋭いのか?
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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