058 俺の心に闇などありはしない
文字数 1,783文字
マスコミの使命は、より正確な情報をいち早く視聴者のもとに届けることなどでは断じてなく、大衆の下種な好奇心を煽り、1%でも多く視聴率を稼いで、経営母体である企業に利潤をもたらすことにある。
もし大衆がトラウマ少年のサイコ殺人を望むならば、ディレクターはその文脈にそって作文し、都合のいいコメンテーターを探すのだ。彼らはものごとを断片だけから判断して、全体像を推しはかる洞察力がない。まったく人間ほど疑い深く、自分勝手で、視野が狭く、愚かな生き物はいない。自分に都合がいいように真実を曲げて考える。
人間というのは、自分が経験したことのない未知の出来事を恐れるのだ。自分の知識の中にない未確認情報に接すると、不安でしようがないのだ。だから、過去の似たような事件をよせ集めて類型化し、「心の闇」などとレッテルを貼って、それで安心しているのだ。まず枠を作っておいて、後から無理やりその中に出来事のほうを押しこむ。それで分かったようなつもりになっている。
──今回の事件も今までと同じです。私たち大人はもう対処法を心得ています。だから不安はありません……。
的はずれも、いいところだ。馬鹿馬鹿しくて話にならない。
俺は『精神的な父親殺し』の段階など、とうに卒業しているのだ。俺の心に闇などありはしない。俺はいい子など演じてはいない。俺の家族はみな本当に仲がよく、おたがいに労わりあっていたのだ。俺はみんな大好きだった。
妹の樹理にカンゴールのランニング・シューズを履かせたのだって、それが樹理の大切にしていた宝物だったからだ。樹理は運動会のリレーであのシューズを履いて、一等を獲ったのだ。短かった樹理の生涯における小さなモニュメントなのだ。スナフキンの縫いぐるみだって、樹理が寝るときも離さないほど大切にしていたから、枕元に添えただけだ。
俺は異常者ではない。殺人は罪悪だと分かっているし、大久保一丁目の交番で警官を襲って拳銃を奪ったのも、悪いことだと知っている。しかし、状況によっては殺人がやむを得ない場合もあるし、人間の命よりももっと崇高な理念のためには殺人が正当化される場合もあるのだ。父親の眼を
俺の言うことは正しい。俺のすることは正しい。たとえ世間の人間が口を極めて俺を非難しようとも、そんなものは無力である。聞く耳もたぬ。そんな非難は一蹴して、俺は俺の道を進む。天の裁定も、わが頭上に栄冠をもたらすだろう。
世の中には
だから他人の非難などに、耳を傾ける必要はないのだ。他人の尺度でなされた他人の判断などに、素直にしたがう必要はないのだ。自分は自分でいいのである。多少非難されたくらいで、いちいち信念がぐらついているようでは、とても人生などやってられない。
そんな俺の思惑とは無関係に、キャスターによる番組進行は一方的に続いている。
「何年か前に、『17歳の犯罪』が連続して話題になったことがありますよね。17歳の少年が高速バスをジャックして乗客の女性一人を殺害し、二人に重軽傷を負わせた事件。別の17歳の男子高校生が、『人を殺してみたかった』と主婦を包丁で刺殺した事件。さらに別の17歳の無職少年が、『好きだったのに相手にされなかった』と女子高生を刺殺した事件。どういうわけか、17歳の犯罪が続いた時期がありました。それに比べると、今回の事件の容疑者は、18歳と年齢が一つ上ですよね。この点については、どうお考えですか?」