037 シンの妹・智代

文字数 1,688文字

 二階建て、木造モルタル造りのありふれたアパートだ。服装が派手なわりには、住まいは結構地味である。と言っても、新宿区内だ。

「家賃、高いんじゃないですか?」
「古いアパートだから、それほどでもないよ。六畳・四畳半・キッチンの2Kで、家賃が6万4000円。俺でも払える金額だ。新宿って結構古いアパートが多いんだ。陽のあたらない四畳半一間でいいなら、敷金・礼金ゼロ、保証人不要で3万円っていう物件もあるくらいだ」

 シンの部屋は二階の角だった。窓に明かりがついている。シンが話していた妹がいるのだろう。シンが靴音を響かせながら鉄骨の階段を昇っていく。俺が続く。靴音は立てない。影法師のように無音でシンを追う。習慣だ。自然にこうなる。

 ──まるで暗殺者だな……
 俺は苦笑した。そんな物騒なヤツが背後にいるとは、シンは夢にも思っていないだろう。

 シンが部屋の呼び鈴を押した。「城田晨一(しろたしんいち)」と表札が出ている。晨一だからシンか。本名は思いのほか、まともである。横に併せて記されている「智代(ともよ)」というのが、妹の名だろう。

「どなたですか?」
 ドアの内側から少女の声が訊く。可憐な響きだ。
「俺だよ。ただいま!」
 シンが大声で答えた。
「お兄ちゃん、また、そんな大声出して……近所迷惑じゃない」

 眉を寄せながら、それでも笑顔でドアを開いたのは、10代半ばの少女だ。こざっぱりしたレモンイエローのドビーブラウスを着て、淡いピンク系のルームカーディガンをはおっている。癖のないロングヘアーは、センターパートのロングレイヤーだ。染めていない生のままの黒髪が清楚な感じを与える。最近あまり見かけなくなったタイプだ。これで兄妹なのか。派手なシンとはだいぶ印象がちがう。

 少女は俺の姿に気づいた。シンが紹介する。
「こちらはアキラ君。今日、俺があぶないところを助けてくれたんだ。大恩人だよ」
「それは兄がお世話になりました」
 少女は姿勢を正して一礼した。まるで「息子がお世話になりました」と言っているようだ。母親のような落着きと風格がある。

「俺の妹で、智代。中学三年年」
 これで中学三年生か。よくできた妹さんだ。

「ところで、お兄ちゃん、アキラさんが『あぶないところを助けてくれた』ってどういうこと? また何か悪いことしてたの?」
 智代が詰問口調で、かわいらしくシンを睨んでいる。

「えっ、いや、べつに何でもないさ。な?」
 狼狽(ろうばい)したシンが、俺に同意を求めてくる。
「ええ、まあ、ちょっとしたことです。心配するほどのことはありませんよ」
 シンは智代に気づかれないように、俺を拝むような仕草をした。

 俺はアパートの六畳間に通された。居間兼シンの居室として使われているらしい。部屋の一角にラバーウッド材の折たたみデスクがあって、筆記用具やメモ用紙、読みかけの雑誌などが置かれていた。デスク正面の壁には、日付と曜日だけが記された格子状のシンプルなカレンダーと、コルク製の伝言ボードが吊られていた。伝言ボードには、仕事の予定や知人と会う約束などを記したメモが四~五枚ピンで留めてあった。

 部屋のもう一角には、組立式のスチール棚があって、テレビやオーディオがセットされている。壁際のパイプハンガーには、派手な男ものの衣装が数十着吊されている。シンのコレクションだろう。部屋の中央にはセンターテーブルが置かれている。屋内に固定電話はないようだ。携帯で事が足りるのだろう。

 男の部屋にしては全体的に質素で落ち着いており、派手なのは衣装だけだった。例のよくできた妹さんが、女房代わりに手を尽くしているのかもしれない。

 シンに座布団をすすめられて、俺はセンターテーブルの前に座った。リュックはすぐ手の届く位置に置いておく。シンも俺の向かいに腰をおろした。

 このアパートで、兄と中学生の妹だけで独立して暮らしているのだろうか? 親はどうしているのだろう?

「親御さんの姿が見えませんが、別のところに住んでいるんですか?」
「母は体が弱く、妹を生んですぐ亡くなった。父が男手ひとつで俺たち二人を育ててくれたんだけど、その父も二年前に……」
 シンの顔が曇った。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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