052 お嬢様という厄介な生き物

文字数 2,086文字

 山田さとみと俺は通学経路が同じで、登下校する際にときどき電車の中で顔を合わせることがあった。とくに言葉を交わすことはなく、俺は会っても黙殺していた。べつに俺は彼女のことなど、どうとも思っていなかったのだ。たまに気分がいい日があると、気まぐれでかるく黙礼することはあった。

 どういう偶然か、俺はこの山田さとみとバッティングする確率がしだいに高くなり、そのうち毎日のように電車の中で顔を見るようになった。

 思春期のお嬢様という厄介な生き物のイマジネーションと思い込みは、想像を絶するものがある。こういう場合、きっとあたしに気があってストーキングしているんだわ、と勝手に一方的に解釈されてしまうことがある。彼女たちにとっては、世界は自分を中心に回っているものであり、誰もが彼女たちに注目して、その関心を引こうと躍起になっている、と考えずにはおられないのだ。たまたま通学経路と時間帯が同じだから顔を合わせるだけだという客観的発想は、彼女たちのメルヘンチックな頭脳には一切、浮かんでこないのである。

 山田さとみは、おっとりして、お嬢様風だった。性格も控えめで、クラスでも目立たないほうだった。口を開いて、ワンテンポ遅れて、後からゆっくり言葉が出てくる。そんな感じの女だ。父親の職業が何で、母親はどういう人間なのか、兄弟はいるのか、そんなことは俺は知りもしない。現代の高校教育現場においては、人間関係がきわめて稀薄である。たとえ同じ教室で学んでいても、おたがいに相手のことをほとんど知らないことなど珍しくもないのだ。

 クラスの女子の間には、俺たち男子からは想像もつかないような厳然とした勢力地図があり、目に見えない形でカースト分けがなされているようだった。一番発言力が大きいのは、ギャル風の3~4人のグループで、髪を金ないし明るい茶に染め、はでに化粧し、スカート丈を短く加工してサイボーグのようにそろって同じ外見をしていた。性格もみな活発で、でかい声、注目をひく行動で何ごとにおいても自己主張が強く、クラスを率先していた。

 勢力地図の次が、勉強ができたり、スポーツが得意だったりと、特殊技能を持っている子。そして最後が、おとなしくて目立たない普通の子だった。

 山田さとみは、あえて分類すれば三番目のグループに属するのであろう。授業やホームルームでも特に積極的に発言することもなく、休み時間も自分の席で静かに本を読んでいるか、自分と同じグループに属する二、三人の友人と控えめに談笑しているのだった。

 こういうタイプは世間知らずで思い込みが激しく、一途になったら何を考えだすか分かったものではない。俺はすでに述べたように、山田さとみに対し特別な感情は何もいだいていなかった。面倒な誤解をされては迷惑だから、通学時間を日ごとに微妙にずらして、電車の中で顔を合わせないようにした。

 すると今度は、どういう訳か、別の場所で山田さとみとばったり出会うようになってしまったのである。

 俺は昼休みに食事を終えると、ひとり、体育館でベンチプレスやスクワットで筋力トレーニングに励むのが日課だった。俺のほかにトレーニングをしにくる者は誰もいない。昼休みの体育館はがらがらだ。同級生たちは教室で馬鹿話に興じているのだ。彼らの話題はきわめて限定されており、たいてい誰と誰がつき合い始めただの、誰と誰が別れただの、幼稚な色恋沙汰(いろこいざた)に決まっている。DNAに刻印された種の保存という本能の命じるままに、低次元な雑談に耽っている彼らを尻目に、俺はひとり黙々と体育館で汗を流していた。誰と誰がつき合おうが、そんなことは俺にはまったく関心がなかった。

 登下校の際に山田さとみと顔を合わせなくなると、今度は日課のその体育館にむかう途中で、彼女の姿を見かけるようになったのだ。特に俺のほうを見るでもなく、はにかみがちに、やや伏し目加減で、俺とすれちがっていく。体育館へのルートを変えても、二、三日すると、そのルートで、むこうから歩いてくる彼女に遭遇するのだ。

 こうなってくると、さすがに俺としても悟るものがあったのだが、面倒くさいから黙殺しつづけた。女には不自由していなかった。

 週末、繁華街で、どこでもいいのだが、たとえば渋谷の109前に俺が立っているとする。待ち合わせや買物客やスカウトたちで、週末の109前は大混雑だ。しばらく俺がたたずんでいると、若い女が近づいてきて、たとえば「HMVはどこですか?」と俺に訊く。まわりには大勢の人間がいるというのに、特に選んで俺に訊くのだ。見ればメイクは入念だし、唇や鼻にはピアスをしているし、ファッションも最先端のものだ。かなり遊び慣れた様子である。いやしくも渋谷をフィールドにして遊んでいる人間でセンター街のHMVを知らない人間はいないだろう。俺は合点する。口実なのだ。

(作者注:この物語の設定年である平成16年時点ではHMV渋谷店はセンター街に存在し、平成22年、惜しまれつつ閉店した。現在、神南および宇田川町に存在するHMV渋谷2店舗は平成28年に再進出した新店舗である。)



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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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