042 児島令子さんの証言 02

文字数 1,308文字

 ──そうか。

 俺は思い出した。さっき聞いた話だが、シンは二年前に交通事故で父親を亡くしているのだ。体が弱かったという母親が妹の智代(ともよ)を産んですぐ亡くなり、その後、男手ひとつでシンと智代を育ててくれた父親である。片親で育っただけに、父親を思慕する念が、ひときわ強いのだろう。

 その父親を交通事故で失ってしまった。いつまでも近くにいてほしいと願っていた父親を、不慮の災害で突然、奪われてしまった。それなのに世の中には、自分の手で父親を殺す奴がいる。シンはそれが許せないのだ。

 だが……シンが歌舞伎町でドラッグを売っていることに、彼だけの特別な事情があるように、俺が父親を殺したことにも、俺だけの事情があったのだ。それは俺の家庭内の問題であり、外部からは窺い知ることができないものなのだ。

 テレビでの児島令子さんへの無遠慮なインタビューは続く。リポーター女史が訊く。
「こんどは亡くなった奥さんについて聞かせてください」

「あのかたも立派な人でした。控え目な人で、いつも一歩後ろから夫を見守っている……そんな感じの人でした。私には理想的な夫婦に見えました。私自身が夫と離婚してますから、こんな夫婦だったらいいな、うらやましいなって、いつも思いながら見ていたんです。ところが、その奥さんが体調を崩されて……。すごい綺麗な人なんですけど、最近、急に顔色が悪くなって、いつも、つらそうで……。大丈夫ですかって訊くと、苦しそうな笑顔で大丈夫ですって言うんです。それがまた気の毒で……。周囲に心配をかけないよう無理していたんですね。原因は何だったんですか? 警察の捜査で分かりましたか?」

「司法解剖の結果がまだ公表されませんから、それは何とも……」

 母が手術を受けたのは半年前だった。俺は胃潰瘍と聞いていた。退院後、母の体力はめっきり落ちた。二週間に一回は病院に行って、一日だけ短期入院してくる。母は術後の検査だと言っていた。だが、その短期の入院から帰ってくると、母の体調は最悪になった。やつれて顔色は蒼白く、トイレでよく吐いていた。洗濯物を干そうとカゴをかかえて庭に出ても、ふらふらとよろめいて、こんな軽いものが持てない……と哀しそうな顔をするのだった。

 俺が駆けよって介抱すると、手術の影響で一時的に体力が落ちているだけだから大丈夫だと言う。たしかに二、三日すると、顔色もだいぶ良くなり、体調も回復して、日常生活には差支えないようだった。ところがさらに二週間経過して、また短期入院の時期になると体調が悪化する。そのサイクルの繰り返しだった。

 母は母で自身の運命と必死に闘っていたのだ。俺はもっと親身になって気遣ってあげるべきだった。

 子供の頃、キャベツの葉についていた青虫を叩き(つぶ)そうとした俺を(いさ)めた母さん。その青虫を虫カゴの中で育てさせ、生長する姿を俺に見守らせた母さん。そして最後に、青虫がモンシロチョウに生まれ変わる姿から、生命の尊さを俺に教えてくれた母さん。

 しかし、その母はもういない。手遅れだ。いつも俺に優しかった母さん。俺は何も恩返しができなかった。ごめんね、母さん……。

「お待たせしました」
 俺は現実に引き戻された。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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